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喫煙者の僕が歩きタバコを全否定する理由

煙害……じゃないんです。

今どき嫌煙権なんて労働者の権利より尊重されて久しいですし、個人が主張しなくても守られてます。

歩きタバコをする"人"の価値の話をします。

つまり誰かに迷惑をかけるとか、外見や思想を除いて成り立つように説明します。

前提として、タバコは意外と安くない嗜好品であることを共有しておきます。
1本で数十円、それを数分で消費するのですから、一般にイメージされるような、低賃金労働者やホームレス、不良少年のシンボルとしてのガジェットという今の地位はふさわしくないのです。

「あ、喫煙者だ、さては金持ってるな」

そう考えてよい時代です。

そんなぜいたく品ですから、僕はできるだけ他人の干渉がない場所で利用します。
オフィスビルの喫煙所には入りますが、公園に灰皿が置いてあっても使いません。イメージありきの嗜好品なので、得体の知れない人物が近づいて来たら嫌だからです。

さて、歩きタバコです。
都会では多くの場所で禁止されていますし、田舎でも白眼視されるご時世です。
歩きタバコをする人は、相応の覚悟を持っていることでしょう。
でも、自らの覚悟の問題ではありません。
先に書いたように、他人の迷惑だとか思想の問題ではないのです。

歩きタバコの欠点、それはコストパフォーマンスです。

喫煙所のように吸いながら歩く人はいません。
ほとんどの時間を手に持って過ごします。
そのタバコはムダに燃えていきます。
10歩あるくごとに1円ずつ捨てているようなものです。

そもそもなぜ歩きタバコをするのかというと、それがカッコいいと思ってるからです。
違うと言われてもこの点は譲れません。
他の理由があるのなら、たとえば歩きタバコのリラックス効果なり健康効果なりのエビデンスを添えて来てください。
「一定時間ごとに喫煙しないと肺が痙攣する診断書」とか、そういうのでもかまいません。
我慢できない理由があれば僕は納得します。

喫煙は脳が萎縮したり、気管支炎症やガン、筋萎縮等のリスクが高い行為です。
それを顧みず押し通すのは、リラックスしたり自分の時間を楽しむというメリットを選ぶからです。
酒だってそうです。
わずかなメリットのための嗜好品なのです。

それをムダに消費するのは愚かです。
何がいけないのかというと、単純にその人が愚かだというだけの話です。

歩きタバコで毀損される価値とは、その人自身の価値です。

ここまで読んだ方の中には、あれ、別に全否定ではなくない? とか、愚行権ってあるよね、とか思う方が多いでしょう。
特に愚行権、つまり、自分の利益にならないことをする権利は保証されています。
ですが、それを見た他人に嗤われることは受け入れるべきです。
というか、別に立派な行いをしても他人に嘲笑われることはあるので、権利とか責任とか、そんなレベルの話ではないんですよね。
愚者を嗤うことは人権侵害に当たらないかとか、そういう意味での問題提起は自分でやったらいいと思います。

現状、愚かであることを理由に排除される社会にはなってませんし、僕もそうしろとは言いません。
ですが、社会はこれからますますホワイト化する一方ですし、愚かであることを理由に排除される時代になりつつあります。
差別行為をしない差別主義者や、児童虐待をしないペドフィリアなどは、すでに「必要以上に権利を奪ってもよい対象」と認識され始めています。
「誰かを傷つけていいホワイト社会って何?」という人向けの記事は今度書きますのでお楽しみに。

今月も皆様のサポートのおかげで生活保護申請せずにすみました。心より御礼申し上げます。