薄曇りの下で

人生は度々空に例えられる。
晴れ渡る空のようにとか、止まない雨はないとか
それで言うと、俺の人生は薄曇りというところだろう。
晴れ渡ってはいないけど、止むのが心配になるような雨も降っていない。
清々しく輝いてはいないけど、わりと平和に過ごせるそんな空。そんな清々しくない平和な人生を17年と数ヶ月過ごしてきた。きっと幸運なことだ。
まぁ、晴れ渡った人生に憧れがないわけではないけど、そんな物語の主人公のような人生が自分に訪れないことは、十代も後半になれば分かってくる。



「なあ! 斉木、神田麗奈と別れて篠塚さんと付き合い始めたらしいよ。」

「へー、マジで。」

斉木拓弥。サッカー部キャプテン。
勉強もそれなりにできて、性格も良くて明るい。
それこそ主人公のような男だ。

「スゲーよなぁ、読モの次は篠塚美澪だぞ。」

神田麗奈は読者モデル経験者らしい。
俺はギャルっぽいイメージを持っている。
篠塚美澪は、才色兼備の優等生。マンガやドラマのヒロインのような女子という印象だ。
篠塚とは、去年同じクラスになったが、ほとんど話したこともない。
彼女が、読モやヒロイン。
主人公の素質はこういうところにでるんだろう。

「いいよな~、俺も彼女欲しいわ」

「あれ? 彼女出来たって言ってなかった?」

「あー、あれね。三股の2番目だったわ……」

「あぁ…」

いっそ3番目だったら、こいつにもある種主人公の素質があったのかもしれない。

こんなふうに、休み時間に主人公になりきれない友人から、主人公な人達の噂話を聞いて、コンビニで買った新作の菓子パンの驚きのウマさを静かに噛みしめたりする地味な日常。
そんな輝かない平和な人生を、俺はそれなりに気に入っている。



「あっ!」

「どした?」

「音楽室に筆箱忘れた…」

放課後、地味な面倒事が起きた。

「明日でよくね?」

「うーん……、いや、取ってくるわ、先帰って。」

「わかった。じゃな。」

「おう。」

音楽室は別棟にある。
3階の教室から一度1階まで降りて別館に移り、また3階まで上がる。
正直面倒だ。家で勉強するわけでもない。
確かに、明日でもよかった。ただ、明日の朝、通常の倍階段の行き来をするのは、今感じる面倒の数倍になる気がした。


「はぁ。しんど」

何とか階段を上りきった。
帰宅部にはなかなかの労働だ。
音楽室の前まで来ると、中から女子数人の声が聞こえた。

「どういうつもりなわけ?」

扉のガラス部分からそっと中を覗いた。
女子3人が1人の女子と対峙している。
3人組の真ん中にいるのは神田麗奈だ。
対峙しているのは、篠塚美澪。

(これは……)

「人の男取るとかマジクズじゃん」

神田の取巻き女子が言った。

(めっちゃ修羅場じゃん……)

この状況で中に入るのはかなり勇気がいる。
ただ、ここまでの労力は無駄にしたくない。

(おしっ!)

ガラッ

気合を入れて扉を開けた。
4人の視線がこちらを向く。

「なに?」

取巻き女子が怪訝そうな顔を向ける。

「いや、ちょっと忘れ物を……」

気まずさ全開で自分が座っていた席に向かう。

「ごめんなさい。ごめんなさい。」

背後から震える声が聞こえた。
振り返ると、篠塚が泣き出していた。

「泣くのは違うでしょ」

口調は強かったが、神田の表情は少し戸惑っていた。

「ごめんなさい!」

篠塚が、泣き崩れた。
十代後半の人間が泣き崩れる姿を初めて見た。
音楽室内に、気まずさが広がっていく……

「もう行こ」

最初に耐えられなくなったのは神田だった。
3人が音楽室を出る瞬間……

「マジ死ね」

小声ではあるが、確実に聞こえたその言葉は取巻き女子のどちらかが放ったものだろう。
なにか揉め事が起こった時、感情的になるのは、当事者よりもまわりにいる部外者だったりする。

(こわぁ……)

篠塚は、しゃがみ込んだままだ。
気にはなりつつも、できることもないので、筆箱を回収して俺も音楽室を出た。
先に出ていった3人に追いつかないようにゆっくりと階段に向かう。

“マジ死ね”

最後に放たれた言葉が頭をよぎった。

「いや、さすがにね。」

死ねと言われて死ぬ人間は滅多にいない。
滅多に……

『高3女子、音楽室から飛び降りか!?』

明日の朝、そんなニュースが流れる妄想が頭に浮かんだ。

(いや、ないない)

そう思いながら、足は音楽室に向かっていた。


音楽室に入ってゾッとした。
音楽室内には誰もおらず、ベランダに出る扉が開いていた。

「うそでしょ!!」

ベランダに駆け寄った。

「わっ!」

左側から声がした。
声の方に視線を落とすと、篠塚がスマホを手に、しゃがんでいた。

「はぁぁ」

情けない声が漏れた。
心の底からの安堵を初めて体験した気がした。

「え?どうしたの?」

「あ…… いや……」

飛び降りたかと思った。とは言えない。

「あ!ひょっとして、死ねて言われたの真に受けて飛び降りたかとでも思った?」

顔に出ていたらしい。

「あ、うん。 ちょっと…」

「そんなことしないよ!あのくらいの事普通に予想してたし。彼氏取っちゃたわけだからね。」

ほんの数分前に泣き崩れた人とは思えない。
というか、俺が認識していた篠塚美澪という人間とは、大分違う印象を受けた。

「いや、すごい泣いてたけど、あれは何?」

「嘘泣き。」

「うそでしょ……」

「ホント。女の涙は女にも効くんだよ。」

「そうなんだ……」

女って怖い……

「優しいんだね。」

「えっ?」

「だって、自殺止めに来てくれたわけでしょ?」

「あ……、いや、単に明日に罪悪感を生みたくなかっただけだから、優しいわけではないと思う。
そもそも、死にたい人を死なせないことが優しいのかも疑問だし……」

篠塚は、少し驚いたような顔をしていた。

「高野君、結構ひねくれてるでしょ?」

まあ、真っ直ぐではないだろうけど……

「なんか、篠塚さんには言われたくない気がする。」

「そりゃそうか!」

人は人を見た目で判断する。
それは間違ったことじゃないと思う。
実際、キツそうな人はキツイことが多いし、優しそうな人は優しいことが多い。
ただ、それが全てではないことを、俺は今実感している。

「じゃあ、俺はこれで。」

室内に足をかけた。

「あ、ありがとね!一応。」

少しからかったように笑いかけられて、早とちりをした恥ずかしさが今になって込み上げてきた。
会釈をして、足速に音楽室を出た。



「なんか、ちょっと主人公ぽかったな……」

帰り道、黄昏顔で夕焼けを見つめてしまった。



次の日の朝、廊下で篠塚とすれ違ったが、目が合うことすらもなかった。
もし、俺に主人公の素質があれば、きっとここで目が合っていたんだろう。
でも、俺にその素質はない。


俺の人生は、きっとこの先も薄曇りだろう。
輝かない平和な空の下を俺は歩いていく。

たまに見えかける晴れ空に、
少し、期待したりしながら。












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