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野草デビュー 200 イエギク


野草デビューに加えるのも???だけど
薬草教室の帰り道、空き地の岩のそばで華麗に咲いていました。
あまり見ない色。デイジー?
みちくさ部さんに聞くとイエギクとのことです。
イエギク?

鮮やかな色に驚いた
ゴミと一緒

ウイキで調べると一般的な菊の総称。

野菊なら野草なのだけど。野草ではないな。

イエギクを取り上げたのでとうとう菊を調べることに

友人のお孫ちゃんが菊博士なのだそう。
植物では菊が大好きで、菊の種類や仕立て方など、80歳のおじいちゃんと話してるみたいなのだそう。匠だなあ。菊の名称をたくさん知っているって😍⤴️⤴️すごいことですよね。

菊の種類の多さにいまさら驚き、色とりどり、花々選り取り見取り
菊って奥深し

自分薬草園の阿房宮
自分薬草園のもってのほか
🍙アクションで使った菊の数々
阿房宮ともってのほかおにぎり
もってのほかづくし
阿房宮おにぎり
阿房宮花天ぷら
阿房宮とノビルの天ぷら
アシタバ天ぷら
もってのほかと阿房宮の酢の物

自分薬草園?には食用菊を植えています。ピンク花の「もってのほか」と黄色菊の「阿房宮」。秋にはお料理に使って楽しみました。


毎朝の八宝茶に欠かせない菊花

中国茶の菊花茶も毎日飲んでます。
菊花は「薬草」感が大きいです。
菊とは縁があります。

イエギクウイキより長文です。
キク(菊)は、キク科キク属の植物。
ここでは、狭義のキク(家菊〈イエギク〉、栽培菊〈栽培ギク〉)について詳述する。

類: キク類 Asterids 

目 : キク目 Asterales 

科 : キク科 Asteraceae 

属 : キク属 Chrysanthemum 

種 : イエギク Chrysanthemum morifolium

日本で観賞用多年草植物として花卉園芸で発展した品種群を和菊、西ヨーロッパで育種されて生まれた品種群を洋菊と呼ぶ。 

概要 

 菊花紋章(十六弁八重表菊紋) イエギク(家菊)は、キク科キク属の植物。 

秋に咲く花であるが、短日性植物で、電照などを用いた作型の分化により、周年供給されている。
食用にする「もってのほか」などの品種もある。
観賞園芸的には和菊、生産園芸的には洋菊が中心に栽培されている。
また、切花としては温室での電照栽培で周年出荷されている。
バラ、カーネーションとともに生産高の多い花卉となっている。 

日本においては、菊は元々は外来種であり、薬草や観賞用植物として中国から伝来した。平安時代に用いられ始めて、宮中では菊の節句とも呼ばれる重陽の節句(旧暦9月9日)が明治時代まで行われ、現在でも皇室園遊会(観菊御宴)として行われている。
日本で菊の栽培が盛んになったのは、栽培のプロセスが冬に芽をとり、春に植え、夏に成長させ、秋に観賞するといった具合で、イネの栽培と類似していることが影響しているとの説もある。
現在では各地に愛好会ができる一方で、秋には、それらが主催の品評会が開かれている。 物品への意匠として用いられることも多く、鎌倉時代に後鳥羽上皇が身の回りのものに施したことにより天皇および皇室の紋となったといわれ、鎌倉時代には蒔絵や衣装の文様として流行した。
日本の南北朝時代以降には天皇より下賜されることにより公家や武家の間で家紋として使用されるようになった。
江戸時代には品種改良が行われた。 

世界的には、フランス、ポーランド、クロアチア等の一部のヨーロッパ諸国において白菊が墓参に用いられ、中国、韓国でも葬儀の際に菊が用いられることが多い。日本でも古くから仏花や献花として菊が使用されてきた(なお、慣習として故人への供花とされ、病室へのお見舞いの花としては忌避される)。 キクの花弁が放射状に並んだ形状に由来する慣習的な呼び名があり、アンモナイトの化石を「菊石」と呼ぶほか、また陶芸やそば打ちでの材料の練り方に「菊練り」がある。 

歴史 

中国  中国で菊は古くから文献に現われるが、これらは自生種のハイシマカンギクなどを指すと考えられる。栽培キクはチョウセンノギクとハイシマカンギクの雑種として5、6世紀頃に現れたらしく、唐代に入って盛んに栽培・観賞された。
宋代には劉蒙が『菊譜』を出版し、多数の園芸品種が育成されていたことが知られる。 

日本  五十円硬貨の表には、菊がデザインされている。 

日本にはタンポポなど多くの野菊が自生するが、家菊・栽培菊は日本になかった。
『万葉集』には157種の植物が登場するが、菊を詠んだ歌は一首もなく、飛鳥時代・奈良時代の日本に菊がなかったことを暗示する。中国から奈良時代末か平安時代初めに導入されたと推定される。
平安時代に入り、『古今和歌集』あたりから盛んに歌にも詠まれるようになった。 

『和名類聚抄』(10世紀前半成立)巻20「草類」における菊の和名表記として、「加波良與毛木」(カワラヨモギ=河原蓬)が記されている。 

春の桜に対して日本の秋を象徴する花となるが、それが決定的になったのは、鎌倉時代の初め後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、「菊紋」を皇室の家紋とした頃からである。
また、平安時代に藤原から改名した九州の豪族菊池氏も家紋に「菊花」もしくは「菊葉」を使用している。 

育種が一気に展開したのは江戸時代から、特に元禄期(17世紀末)以降である。
正徳頃からは「菊合わせ」と呼ばれる新花の品評がしばしば行われた。江戸、伊勢、京都、熊本などでそれぞれ独自の品種群、系統が生じた。
「三段仕立て」などの仕立ての様式やその丹精の仕方なども発達し、菊花壇、菊人形など様々に仕立てられた菊が観賞された。これらは江戸時代から明治、大正時代にかけて日本独自の発展をした古典園芸植物の1つとして、現在では「古典菊」と呼ばれている。
全般に花型の変化が極めて顕著であるのが特徴で、その中でも「江戸菊」は咲き初めから咲き終りまでの間に、花弁が様々に動いて形を変化していく様を観賞する。
このように発展した日本の菊は幕末には本家の中国に逆輸入され、中国の菊事情を一変させた。

明治時代になると、花型の変化よりも大輪を求める傾向が強まり、次第に「大菊」が盛んになった。花型としては厚物、管物、大掴み、一文字などに収束し、花の直径が30センチメートルに達する品種も現れた。
この傾向は菊を日本の象徴として見る思想と関係していると思われ、戦後にまで続いている。 

2017年、農研機構はサントリーと共同でカンパニュラ・チョウマメの遺伝子を用いて世界初の『青いキク』を作出した。 

ヨーロッパ  ヨーロッパへは1789年に中国からキクがもたらされたがなかなか人気が出なかった。
1860年に幕末の日本を訪れたイギリス人のロバート・フォーチュンが、翌1861年に様々な品種を本国に送ったことで、流行に火が付いた。
以後イギリスを中心にヨーロッパでも菊の育種が盛んになった。
特にイギリスでは、最後のフローリスツ・フラワーの一つとなった。
このように、日本美術が西欧美術に多大な影響を与えたのと同じく、菊をはじめとする日本の園芸植物もまた西欧の園芸育種に大きな影響を与えたと言われている。
その後西欧では切り花用や修景用など生産園芸分野での育種が進み、スプレーギクなどが生まれている。 

キクの代表的な品種 
 大菊  
厚物 
 管物 
小菊 
洋菊 
美濃菊 
食用キク(紫色品種) 

大菊(一輪菊) 花の直径は20センチメートル前後。一枝に対し一輪だけ残して周りのつぼみを摘蕾する。「三本仕立て」「ダルマづくり」「福助づくり」などにして楽しむ。 

 厚物(あつもの) - 多数の花弁が中心に向かってこんもりと盛り上がったもの。花弁が起伏がなく整然と並んだものが良い。 淡色から後に純白色に変化する大輪の「地辺の月」、雪白色大輪咲の「銀河」、京都の杉山勇助による純白の「初瀬」、豊翠園が改良栽培した黄鮮色大輪咲の「豊翠の輝き」等がある。

 厚走り(あつばしり) - 厚物の花弁の下に長い花弁が走るように垂れさがったもの。 京都の佐々木源次郎が発表した「郡山の雪」は、明治から大正時代にかけて日本国内で広く栽培され普及した。後の大正15年(1925年)に名古屋の宮島吉太郎が見事な大走の雪白大輪咲となる「雪山」を生み出した。 

大掴み(おおつかみ) - 青森県八戸地域で栽培改良されたことから、俗称で「奥州菊」又は「八戸菊花」とも称される。花の上部が手でつかんだように見え、走弁が下部につく。 

管物(くだもの) 管状の花弁を管弁(くだべん)という。花芯から直線的な管弁が放射状にのび、花弁の多くが管弁となるものを管物とよぶ。花芯に近づくにつれ、しだいに管弁の弁端が丸くなる玉巻(たままき)となり、下方の花弁は走弁(はしりべん)となって四方に長くでる。管弁の太さで、太管、間管、細管等に区分される。 

太管(ふとくだ) - 花色は多数あり、管物のうち巻弁が最も太い種類で弁質に力があるものの総称。 

間管(あいくだ) - 管弁は太管と細管との中間の太さである。この種類には、管弁の先が全て玉巻となる、俗に「総玉」といわれる種類も含まれる。 

細管(ほそくだ) - 糸管(いとくだ)とも称される。間管より細い管弁のために、花弁が自然に垂れる。そのために菊花を支える輪台が一般的に使用されることが多い。 

針管(はりくだ) - 針のように細い管弁が無数に直立して放射する種類。玉巻をしないことが普通であったが、玉巻する種が昭和初期(戦前)に日本国内で品種改良され、作出された。 

長垂(ながだれ) - 別名「長管」ともよばれる管物の一種。この種は、走弁が玉巻して長く垂下することが特徴である。古くは三重県松坂町の矢川で栽培された「松坂菊」、また伊勢の「長垂菊」で知られた。 広物(ひろもの) 

一文字菊(いちもんじぎく) - 別名「御紋章菊」ともいう。その名の通り、天皇の「菊のご紋」のように、平たい花弁が一重で並ぶ。花弁の数は14から16枚程になるが、16枚が理想とされる。 花色は白、黄色、紫、紅などで、白色の大輪花となる「白冠の輝き」、濃紫色蓮花咲の「星の海」、1930年代に一文字菊の名栽培家として知られた千葉県柏市の斎藤武衛が得意とした「国の光」等がある。

 美濃菊(みのぎく) - 岐阜市を中心とした美濃地方で改良されてきた種類で、「岐阜菊」とも称される。幅広の平弁からなり、花弁は中心部に向かって抱え込むように受咲する。昭和初期に日本全国に栽培が広がった。

 中菊  仏花などに使用される一般的な実用花や、洋菊(ポットマム)などが含まれる。ほか、江戸時代から続く「古典菊」もこの区分に入れられる。

 小菊  花の直径が1センチメートルから3センチメートル。つぼみは摘蕾(てきらい)しない。「懸崖仕立て」や「菊人形」などにする。 

スプレー菊  花の直径が6センチメートルから3センチメートルくらい。つぼみは摘蕾(てきらい)しない。ハウス栽培切り花として生産され、仏花などの用途で周年供給される。スプレイー(Spray)とは先が分かれた枝との意味で、小枝の先に多数の花を付ける。 

クッションマム(ポットマム)  いわゆる西洋キクで、鉢植えで秋頃に出回る。「矮化剤」で成長が抑制され、背丈が揃えられている。 普及したのは1950年代にアメリカ合衆国のヨーダーブラザーズによって発売され、1968年に日本国内でも販売開始された。1970年後半以降より販売数が減少したが、1990年頃に新しいパテントが普及され、麒麟麦酒の子会社でキリンマムから発売され、各種苗会社では現在も需要が多い。 

「食用菊」
山形県内各地、青森県八戸市など東北地方、新潟県の中越から下越などで栽培されている。 花を食用にするもので、刺身のつまとして見かけることも多い。花びらのみを食用とする。独特の甘みがあり、茹でてお浸しにしたり、酢の物や胡桃合え、天ぷらや吸い物に用いられたりする。保存食としては、天保年間に初版が刊行された『漬物塩嘉言』に「菊漬」の記載がある。また、干した加工品「のし菊」が作られる。旬は秋。主な品種に「松波」「安房宮」、桃紫色の花を咲かせる「延命楽」(通称「もってのほか」)がある。

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