見出し画像

イギリス史④イングランドから北欧勢力が去る

こんばんわ。
もうパソコンに打ち込むのも疲れるので、今日からはノートに書き込んでいきます。今回は前回までのデーン朝が終わり、再びウェセックス朝となります。よろしくお願いします。

エドワードの治世

エドワードはキリスト教徒として一生懸命活動したようですね。しかし、フランスの貴族や政治者を側に置くのはイングランド人からしたら嫌じゃないんですかね?ここからフランスと揉めに揉めそうでゾワゾワします‥(^_^;)

ハロルド2世への王位継承は揉める

エドワードが子供を持たなかったので、王位継承はエドワードの親戚になってしまいました。が、やはり親戚‥となると周りがガヤガヤ言い始めます。う〜ん。やっぱ息子だとね、周りも「仕方ないな」になるけど、親戚だと「お前がなるなら俺でもいいだろ」になりそうですよね(笑)

そんなこんなで下↓の3者で揉めます。
ちょっとハーラル3世に話が脱線しますが、後々繋がっていきますんで、ぜひ読んで下さい。

ハーラル3世は血気盛んでどんどん侵略していくタイプか??

現ノルウェー王のマグヌスについてです↓

ハーラル3世がノルウェー王だけで満足しなかったのは、かつて北海帝国を束ねたクヌート大王にどこか憧れを持っていたから‥?ていうかマグヌスって良い王様っぽいですね♡

ここで現れるイングランド貴族!

ノルウェーのハーラル3世の前に現れたのが、ノーサンブリア伯トスティ・ゴドウィンソン。

1066年1月、エドワード懺悔王が死去する。子がいなかったため、姻戚関係にあったトスティの兄ウェセックス伯ハロルドがイングランド王に即位した。当時、フランドル地方にいたトスティは兄の戴冠に反対し、兵と軍船を集めると、4月末から5月の初め頃にワイト島へ渡った。イングランド南部から北部の沿岸地域を荒らし回ったが、ノーサンブリア伯モルカールとマーシア伯エドウィンに駆逐された。船でスコットランドへ逃れたトスティは、スコットランド王マルカム3世の庇護を受け、夏の間そこで過ごした。

https://editor.note.com/notes/na0a1cd8835b7/edit/

その後、彼はどうにか北欧に行き?ハーラル3世の臣下となり、イングランド遠征を手助けすることとなります。ハーラル3世はこのとき丁度デンマーク王になることは無理そうだな‥と思っていたので、標的をデンマークからイングランドに移したんでしょうね。そこに声をかけたのがトスティ。
トスティはノルウェー王ハーラル3世の力を借りてイングランド王ハロルド2世を排除しようとしたわけですね。

スタンフォード・ブリッジの戦い

ここでハーラル3世は戦死。ハロルド2世が勝利しました。これ以降北欧がイングランドの王位継承に関わることはなくなったそうです。‥ということは、この後のイギリス史に北欧が絡んでくることは(あんまり)ない!ってことでいいんですかね?
スタンフォード・ブリッジの戦いについてはあまり興味がわかないので調べないことにしました。
にこ(●´ϖ`●)

ノルマンディー公ギョームVSハロルド2世

ヘイスティングズの戦いでハロルド2世は戦死。王位はノルマンディー公ギョームに移ります。ノルマンディー公国はノルマン人の国です。なのでアングロサクソン人の時代が終わり、これからはノルマン人がイングランドを動かしていくわけです。ノルマンディー公国って、私の認識ではほぼフランスです。なので、これからはイングランドにめちゃくちゃフランスが関わっていくってことになるんじゃ‥。不安ですな。

ってなことで、次回からはノルマン朝を勉強していきたいと思います。お疲れ様でした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?