「Coda あいのうた」を見て犠牲と貢献について考えた話
少し前ですがアカデミー賞を受賞した「Coda あいのうた」をみまして、犠牲と貢献について考えました。
ざっくりあらすじを言うと、自分以外先天性のろう者という家庭で育った女子高生のルビーが歌の才能を見いだされ、家族を支えるのか自分の夢に生きるのかの間で葛藤する物語です。
主人公が歌を通して自身を解放していく過程や、
家族、特に父親の娘に対する心境が変化していく過程が丁寧にリアルに描かれていてぐっときました。
見終わった直後は「親として自分の子どもに犠牲を強いるようなことはしたくないな!」と思ったのですが・・・、
はて、
ルビーは家族の犠牲になってきたのでしょうか?
それとも家族に貢献してきたのでしょうか?
そもそも犠牲と貢献てどう違うのか・・・ということを考えてみました。
私の理解では、
相手に尽くすことによって自分自身が満たされていたら貢献、
相手に尽くすことによって自分自身が損なわれていたら犠牲、
なのかなと思います。
こう整理するとルビーがしてきたことは犠牲と表現するのは不適当だと思えてきました。
ルビーの居場所は確実に家族の中にいて、そのなかで自分は満たされて生かされていると理解している姿がありました。
そしてそう考えると、この物語が決して特殊な家庭の特殊な話ではなく、どこにでもある子どもの成長と自立を描いた作品にも見えてきます。
そんなふうに思い、またこの映画のよさにぐっときました。
音楽も素敵でオススメです!
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