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断捨離中も、昔のスケジュール帳は捨てられない

「限りある時間の使い方」(オリバー・バークマン)という本を読んだ。私なりの要約としては、今は忙しくやることに追われていて、「いつか時間ができたときにこれをやろう、ゆっくりこうしよう」と思っていたも、そのときは永遠に来ない。だから今、やりたいようにやるべきだ、というもの。
とはいえ、リゾート地でなにもせずゆっくり過ごすなど、やはり小さい子供がいる間は現実的ではないこともある。
私が本を読んで、すぐやろうと思ったのは、部屋の片づけだった。
今は仕事と育児に忙しいし。子供が間違って飲み込んだら危ないものは置けないし。子供がふざけて壊すかもしれないし。
いろいろ言い訳して、片付けも、インテリアも妥協していた。子供が大きくなったら絵をかざろう、きちんと整理しよう、と思っていた。
でも、確かにそんな日はこないのかもしれない。
子供が大きくなったら、子供自身のこだわりもでてきて、私の好きにはできないかもしれない。そのころには私自身が年をとっているから、大がかりな模様替えや断捨離はできなくなるかもしれない。
今、できる範囲で好きな部屋にしよう。そう思った。
ひとまず、日々のストレスを感じていること、正体不明になっているところに手をつけた。ものをだし、いらないものは捨て、あるいは動線上使いやすいところに移動させる。
絵を買ったりはハードルが高いので、しまいこまれていた子供が書いた絵を、どこかから出てきた額縁にいれて飾ってみる。
「こんなのあったんだ!」と思っても、その存在を忘れて居たら意味がない。今日明日からでも使うか、捨てるか判断していく。
若いころ使っていたイヤリング。若いころ好きだったブランドの洋服。結婚式に招かれたとき用のドレス。このあたりはリサイクルショップに売る。
昔買ってだいぶぼろぼろの雑誌。旅行のパンフレット。なぜか保存してあったインフルエンザワクチンの接種記録。このあたりはがんがん捨てていく。
子供たちの臍の緒が入った箱、結婚前に夫から送られたネックレス。このあたりは棚の上、子供の手が届かないところに飾ることにした。

でも、今日明日は使わないし、なんなら数年単位でみない可能性も高いけど、どうしても捨てられないのが昔のスケジュール帳だった。
結婚前からの分が保存してあって、わりとスペースをとる。必要かといったら、不要だろう。思い出は写真でも保存してあるし。
でも、久し振りにページをめくったら、その日のことが鮮やかによみがえった。まだ恋人だった夫とのデートの予定。結婚式のやることリスト。出産までのやることリスト。赤ちゃんの沐浴のさせかた。子供のふとしたかわいい言葉。お出かけの準備リスト(当時は液体ミルクも持ち歩いていた!)。
今も、スケジュール帳には、子どもと遊びに行く場所リストや、家族旅行の持ち物リストを書き込んでいる。これも数年後見返したら、なつかしさで胸がいっぱいになるんだろう。

昔のスケジュール帳は、これといった趣味のない私の、唯一のコレクションだ。

#私のコレクション

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