時間術を駆使したが、浮いた時間でやりたいことが分からない
私は仕事術や時短術について調べたり、実践したりするのが好きだ。
仕事術については
家での時短については
と昔のnoteに書いた。
このところ、よりそれらを意識的に行った。
仕事は今まで以上にきっかり終わらせ、家事や育児も便利グッズや外注を積極的に利用する。スマホをなんとなく開くのをやめ、「これまたやるの面倒だな…」と思ったことは、雛形を作ったり、物の配置を見直したりすることを徹底した。
その結果、時間に少し余裕が生まれた。
と言っても忙しいときは忙しい。仕事中は定時に帰るために常に戦闘モードだし、仕事の日は出発前も帰宅後も毎日ばたばただ。食洗機を使おうが、予測変換を駆使しようが、子供の体調不良や登園しぶりはどうしようもない。
でも、例えば休日にシッターさんを頼んだ日。以前だったら、ちょっとしっかり目の風呂掃除、たまってきた段ボールをまとめてごみに出す準備、そういった「時間ができたらやろう」と思っていた家事をこなすだけで精いっぱいだった。
それが最近は、時間が余るようになった。おそらく、ちょっとした時短が積もり積もって、すべてではないにせよ、平日にそれらをこなす時間ができたからだと思う。努力がむくわれた、喜ぶべきことだ。
なのに私は空虚な気持ちになった。自由時間があっても、やりたいことがないのだ。仕事中も、眠いのに子供の相手をしているときも、あんなに自由時間を欲していたはずなのに。いつもより長めにヨガをしたり、そんなに読みたいわけでもない本を読んだり、ぼーっとしているうちに眠ってしまったり。それで時間をつぶしてしまう。
今はそれでもいい、とも思う。一見無為にみえる時間も必要だろう。
でも、今後はどうするんだろう?子供が大きくなって、平日に家事が終わるようになって、土日も一緒に公園に行かないようになったら、私はなにがしたいんだろう?
ヨガはリフレッシュできるが、どちらかというと毎日短時間でやるほうが好みだ。読書も好きだが、本当に夢中になって読める本は限られる。
考えてみれば、学生のころは勉強と部活、バイトで忙しかった。仕事を始めてからは帰宅時間や土日といった概念なく、毎日何時まででも仕事をしていたし、子供が生まれてからは子供に合わせた生活だった。
子供が大きくなっても、私の年齢や今の働き方改革の流れから考えて、以前ほど仕事に邁進するようにはならないだろう。
私は今までの人生で、自由時間の使い方を意識したことがないのだ。
時間やお金に制限がなかったらなにがしたい?例えば10億円もらえたら何に使う?と考えてみたが、とくになにも浮かばない自分に愕然とした。
仕事をやめたいわけではない。
豪邸に引っ越したいわけでもない。
高価な装飾品が欲しいわけでもない。
強いて言えば旅行か?でも、世界一周とか、ウユニ塩湖とかに行きたいわけじゃない。ちょっといい温泉宿に泊まれたらいいな、くらい。
私は将来に備えて、これからは自分の感情や心に意識的に向き合おうと思う。なんでも希望通りになるわけじゃないが、この仕事はしたいのか、しないといけないからやるけど本当はしたくないのか。子供が食べたいというから今日はファミレスだが、本当はなにを食べたいのか。今日公園に行くのは、子供が行きたいから我慢して行くのか、私も秋の空気を感じたいから一緒に行きたいのか。
常に自分に問いかけて、やりたいことをみつけていきたい。
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