RKS47ノートふるさとの宝物 番外編2「岐阜七福神巡り」

画像1 RKS47ノートふるさとの宝物 番外編2「岐阜七福神巡り」令和6年1月3日  2012年より岐阜市と各務原市に点在する曹洞宗のお寺では、「ぎふ七福神めぐり」と称して、各寺院に祀られている福神にお詣りすることができます。 七福神にお詣りすると「七つの災難を除き、七つの福を授かる」と言われています。 毎年1月3日~7日には秘仏を拝むこともできます。年の初めに、御朱印やお守りをいただいて福を呼び寄せましょう、ということでお参りしてきました。
画像2 岐阜市岩田西の「林陽寺」には「布袋尊」が祀られています。寺は、弘法大師の草創で大師が全国行脚途中、数年留まったといわれています。 岩田の羽場に村社「八幡神社」(現 伊波乃西神社)がありますが、大師はその南に、堂宇を建立し、自ら薬師如来の尊像を作って本尊としました。そこには大師23歳の「延暦15年(796)、伊波西乃僧院八幡の境林陽寺僧 空海書」とあります。
画像3 さらに、弘仁5年(814)大師41歳のとき、当寺に再来し、7日間薬師如来の護摩を修し、続いて、芥見大洞願成寺においても大日如来を刻み、灌頂の法を行ったと伝えられています。秘仏として公開されているのは玉製の「布袋尊」です。
画像4 岐阜市長良の「大覚寺」には、「福禄寿と寿老人」の2神が祀られています。
画像5 「寿老人」は、中国道教の神様、その姿は長い頭に白く長い立派なヒゲ、人間の寿命を記した巻物を杖にぶら下げています。「福禄寿」は、頭が長くて、白く長いヒゲの姿、杖を片手に腰にひょうたんををつけ白い鶴(地域により亀)をお供に従えています。違いは、「福禄寿」は鶴(または亀)と連れているのに対し、「寿老人」は鹿をお供にしているそうです。 境内には左手首がとれる石仏があり、その手首で体をなでると病気が治るといわれています。
画像6 岐阜市太郎丸の「吉祥寺」には「弁財天」が祀られています。「乳弁天」ともいいます。
画像7 むかし吉祥寺で一人の赤ちゃんを養女にしました。住職の奥さん「たつ」は自分が産んだ子でないのでお乳が出ません。お腹をすかせる子がかわいそうで、たつさんは毎日毎日、日に何回も欠かすことなく弁天様にお乳が出るようにとお祈りしました。すると不思議なことに、たくさんお乳が出るようになり、赤ちゃんはすくすくと元気でかしこい子供に育ちました。ちなみに七歳になるまでお乳を飲むことができたそうです。
画像8 岐阜市芥見の「龍雲寺」には、「毘沙門天」が祀られています。本尊は大日如来。曹洞宗の寺院で山号は護国山。美濃新四国57番札所です。天正年間に織田信長が美濃に侵攻した際兵火に曝され荒廃したと伝わり、その後江戸時代に入って外室祖教が龍泰寺18世長霊正鎮を開山として招き、曹洞宗の寺院となりました。濃尾地震で被害を受けたが復興を果たしました。
画像9 日本において毘沙門天は、国土守護の軍神として多くの武将から信仰されました。
画像10 岐阜市岩田西の「智照院」には「恵比寿」が祀られています。曹洞宗のお寺であり、ぎふ七福神、美濃新四国72番札所となっています。正徳元年(1711年)當村岩田村に住む孫次郎さんの娘さん、平素より情穏やかで智照庵という庵を建て出家し 、智照元明尼首座として観音様をお祀りし終日念仏三昧の日々を過ごしていたそうです。元文4年(1739年)當庵にてお亡くなりになり、當山開基となりました。
画像11 石仏恵比寿
画像12 裏手の墓地の中央に「智照院古墳」があり、横穴式石室を見ることができます。
画像13 岐阜県各務原市那加北洞町にある「瑞巌寺」は、釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号を北洞山。美濃新四国8番札所、ぎふ七福神として「大黒天」を祀ります。 平安時代に伝教大師最澄が開創したと伝えますが定かではありません。寛永16年(1639年)に加納藩主となった松平光重により、曹洞宗加納全久院下の寺院として中興されました。北洞村庄屋の記録によれば、伽藍の建立は承応3年(1654年)となっています。
画像14 2012年に岐阜市とその近郊の曹洞宗寺院で始まったぎふ七福神においては大黒天を祀っています。

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