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目的の与り知らぬ旅②~安曇野からインドへ~


2011年8月長野の渋温泉で一泊、翌日は
高山にもう一泊する予定でした。

旅の始まりに、夫が「安曇野(あづみの)に寄りたい」と言っていました。
昭和44年、リハビリを担当させていただいた臼井吉見先生の生まれたところを訪ねてみたいとかねてから思っていたようでした(半世紀以上も前のことなので、夫からかいてもいいよと)。

安曇野は穂高を頂き、水が清らかで豊かでわさび田があります。「わさびならお蕎麦!」と川でカヌー🛶を子供たちに教えている方に美味しいお店を教えていただき、行きました。そのまま道の駅でお土産でも買って高山へ向かおうかとして、目的を忘れていました😅

道の駅へ着くと、なんとそこは『臼井吉見文学記念館』でした😲
呼び鈴を鳴らして、職員の方は他の建物からいらっしゃってくださいました。
その方は館長さんでした。

もう、直に臼井吉見先生に関わった人に遭うことは滅多にないとのことで、とても喜ばれ、話に花が咲きました。
夫が担当していた頃、『安曇野』の第一巻が発刊されたばかり。先生はその後療養されながら、全五巻を書き上げ、『獅子座』も執筆されました。入院中に夫は『安曇野』の第一巻を先生より頂戴していました。

松本の北側、安曇野はもちろん「安曇族」のやって来たところですね。
安曇族は筑紫から山陰の日本海側を北東へ移動し、琵琶湖に辿り着いた人たちは安曇川(あどがわ)沿いに住まったようです。
姫川を上がった人たちは安曇野へ。
また、諏訪湖の北側、春宮・秋宮辺りへと移動しています。さらに富士山の東北には大明見、小明見という土地があり、安曇野の降りて行った形跡に思われます。

安曇野から高山辺りは「筑摩県(ちくまけん)」と呼ばれていました。
筑摩書房は臼井吉見の中学の同級生、古田晁(あきら)が幼馴染の臼井吉見先生を編集長にして、創設した出版社です。

館長さんは、「この後は是非『碌山美術館』にお出向きください。新宿中村屋サロンの美術館の招待券があるのですが、ご時世でで向けないので、お使いください」といただいた。 

館長さんお勧めの彫刻家・荻原碌山(おぎわらろくざん)は、ロダンの下で学んだ方でした。碌山美術館で、新宿中村屋に居候していた歴史が出てきて、ここで新宿中村屋が浮かび上がって来ました。

新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵(そうまあいぞう)も安曇野出身であり、仙台出身の黒光(こっこう)と結婚。彼女は当時学費の掛からないフェリス英和女学校を出て、愛蔵と結婚後は安曇野に住みますが、土地が合わず、上京。新宿中村屋を創業。敏腕の魅力的な女性です。

新宿中村屋は昔ながら変わらぬインドカレーを今も提供しています。付け合わせにはロシアのピクルスが出されています。中華料理や月餅もあります。
深く考えたことがなかったのですが、当時の政治上亡命した人たちや意識を持った人たちを匿った運動家だったのでしょう。そして、サロンには芸術家や執筆家たちが集っていて、その中に荻原碌山や島崎藤村などがおりました。社会的な向かう姿勢を持った人たちが集う場所であり、お二人は多くの人々を助けていたのですね。

今回のインドリトリートからの帰り、新宿中村屋のインドカレーのレシピは当時、インド独立運動家の二大柱の一人ラース・ビハリー・ボース直伝のものだったことがわかり、びっくりしています。
そのレシピは今も変わらない。

長野旅では、私たちはその夜高山、位山近くに泊まり、翌日位山に登ろうとしていました。麓に水無神社があり、参拝させていただきました。

ちょっと話が逸れますが、2012年体調を崩し帰省途中、なぜか白川郷へ向かうことになったふしぎなことがありました。白川郷ICのできる前で、御母衣ダム湖沿いを走りました。ダムを意識したのはここからで、以来あちこちのダム湖底に沈んだ村を思い、その想いはいつも片隅にあります。
御母衣ダム湖底の村の氏神、白山(白川)神社は水無神社に境内摂社として遷され、祀られているのを見て心からうれしくなりました。そして、水無神社の歴代宮司に島崎藤村のお父様がおられたことからも、島崎家も筑摩県の出だったのかと伺えました。
日本人は出身、出所の繋がりを大切にして来た民族だと改めて認識しました。

渋温泉では、和室の額に「教育勅語」が飾られていて、教育に熱心な土地柄を感じました。松代温泉を擁する皆神山の麓、六文銭の眞田家縁の地です。
長野には、ソウルソング「故郷」の高野辰之やら、満州開拓団があったり、松本、安曇野など、長野県は教育熱心だけでなく、能力のある人たちをたくさん出しているところと知らされました。

2年前には書けなかった安曇野について、感じたことをまとめてみましたが、ここで、「インド独立運動家R.Bボースが繋がった」ことはこの旅の意味の大きさを改めて思います。ボースさんは早くに亡くなられてしまいますが、相馬愛蔵さん、黒光さんのお子さんとご結婚され、血は中村屋に繋がっています。そして、独立運動家の遺志は、更に激しいチャンドラー・ボースさんへと繋がって行きます。

③へつづく