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二の矢に救われた〜「無(最高の状態)」を読んで

言葉によって意識を変えられる

という経験をしました。

「二の矢」という言葉をいたく気に入っています。

この言葉を知って気持ちが落ち着いた、という経験を書きます。

もともとは原始仏教の経典「雑阿含経」にあり、ゴーダマ・ブッダが唱えた言葉らしいです。

ブッダが弟子に問う。

「一般の人と仏弟子は何が違うのだろう?」

困惑して黙り込む弟子たちにゴーダマ・ブッダは答えました。

「一般の人と仏弟子の違いとは、“二の矢“が、刺さるか否かだ」

この逸話を読んだのはこの本です。

鈴木祐著
「無(最高の状態)」

哺乳類は一の矢の苦しみだけで終わります。

例えば、チンパンジーのレオ。

病に侵され、半身不随の重体に見舞われたにもかからわず、レオは精神を病むことはなく、治療と訓練によって歩けるまでに回復したという。

たいていの人間ならば人生に絶望し、鬱病に襲われてもおかしくない状況です。

哺乳類の中で、人間だけがそうして自分に二の矢を放つのです。

私たち人類だけが「苦しみ」をこじらせてしまうのです。

全編を通して、この二の矢の比喩がところどころに現れて、説得力を高めます。

私にとって、「二の矢」は言い得て妙というか、思いを代弁してくれた表現でした。

人間関係で落ち込んだとき、眠れなくなり、集中力が落ちてとんでもないミスをしたり、耳が聞こえにくくなったりしました。

メンタルをやられかけていると自覚して、精神科医の本を読んだり、メンタリストの動画を見たり、ありとあらゆる模索をしていました。

セロトニンやらオキシトシンやら、脳内物質の名称にも詳しくなり、知識があるとないでは、症状の治癒には大きな違いがあると知りました。

自分を客観視する、という手法で気持ちが切り替わり、不眠や不調からは脱することができました。

それは偶然の産物でしたし、そんなふうに考え方を切り替えられたのは、仲間のお膳立てがあってのことでした。

腰の重かった私を誘い出し、光の下に連れ出してくれたことで、偶発的に到達した心境です。

行動は変わったものの、いつまでも自分を責め、人をうらやみ、将来を不安に感じて、暗黒面に片足を突っ込んだままの私でした。

二の矢

この言葉を見たとき、

まさにこれや

本当にその言葉の矢が突き刺さった瞬間でした。

雲が晴れるように、薄皮がむけたように、自分の精神状態がはっきりと見えました。

そうだ。

人間関係でつまづいたのは一の矢だ。

でも、悩みは去って不眠からも回復たのに、いつまでもこんなことが頭の中をめぐり続けていました。

  • なぜ、うまくやれなかったのか。

  • 何か方法はなかったのか。

  • あのとき、こういえばああいえば云々。

  • これからどうなるのか。

  • もめごとを起こした人間として評価されて、居場所がなくなるに違いない。

  • 仲間は優しくしてくれるけれど、問題は解決されない。


よくもまあ、次から次へと二の矢を放てるものですよ。

これが、私の苦しみだったのか。

一の矢はとっくに去って、もう攻撃してくるものは何もありません。

本当に苦しかったのは、失敗したことではなく、失敗を責め続ける二の矢だったのです。

「無(最高の状態)」でも、自己にこだわる人ほどメンタルを壊しやすい傾向が報告されているとあります。

その典型でした。

ですが、人は多かれ少なかれそういう行動をとるもので、二の矢を放たないためには修行が必要なのです。

そのプロセスやエビデンスを細かく解説してくれるのが、本書です。

ぜひ取り入れていきたいなと思っています。

その前に、言語化には恐ろしいほどの力がある、と知りました。

「自意識過剰」や「自己肯定感」などの言葉を知識として知っていたのに、「二の矢」で霧が晴れるように本質的なものが見えたのです。

言葉を知ることは、物事の本質を見抜くこと。

本質を知れば、対処法も自ずと理解できる。

そんな好循環に乗ったなと感じています。

今は、失ったものを追わず、この手にあるものを見つめています。

自分が本当に望むものはなんなのか、はっきりと見えてきました。

それは、

  1. 日々の楽しみを感じること。

  2. 気の置けない仲間と一緒にいること。

  3. 技術の向上に集中して、成長を実感すること。

もう2度と失敗することはないでしょう。

人と人がいれば、またもめるかもしれませんが、そのとき決断することを後悔しない自信があります。

それほど、言語化が私の心を楽にしてくれました。

「二の矢」を知ったことで、ネガティブな感情を抱いたとき、

「あ、また二の矢だ」

と唱えます。

それだけで、すごく楽になります。

一の矢は避けられないけど、二の矢を刺しているのは自分なんだと知っています。

それだけで苦しみをこじらせることが少なくなりました。

次は、トレーニングによって著者の言う最高の状態を目指します。

そうなれば、創造性の上昇が見られたとのことで、文章をつづることに活かせます。

無我を求めて修行していきます。

少しでも書くことが成長しますように。

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