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【小説】青き島影

 見晴かす、緑美しこの国―――。
 これで幾度上空からこの国の風光に接することになるだろう。
 今私の膝の上には大拙居士の本がある。今回の日本赴任に際し、ボストンから東京へ向う機内では、私は主に居士の本を愛読している。前回の十年に及ぶ東京滞在は、機内ではずっと「エコノミスト」だったが。
 ちょうど今、低空飛行に入り機体の降下を身体に畳と感じている。飛行機が降下を始めると、私はいつも決まって窓外に目を遣る。
 ―――わたしの大和。
 一時間程前から私はすでに窓の覆いを上げていた。
 横では妻がまだすやすやと眠っている。二度目となる今回の東京赴任ももう早や年になろうとしている。今回の赴任は妻と私の二人きりの日本での生活である。私に伴って幾度太平洋を渡ったことか。
 今回の十年は有難いことに私が愛する私の日本に帰って来るたびにこのような晴天続きである。
 いつものことだが、この国の遙かに連なりゆく緑豊かな峯々は、美しい、と想う。
 このフライトでは、居士の本もここまでだ。
 今日も空港には、彼が待ってくれていることだろう。
 
 私は、仕事柄身なりには気を使ってきた。今回スーツは落ち着いた色目と柄のものを日本に来て何着かオーダーした。その分ネクタイは、少し派手目の色柄のものを好んで合わせる。
 髪には一層気を使っていて、性格からしても少し伸びてくると気に懸かる。ボストンでは、勤め先の銀行が入っているビルの上階に品の良い理髪店があって、月に一度は通っていた。
 二十年前、一度目となる東京赴任が決まった時、笑止なことだが、まっ先に浮かんだ心配事の一つが、気に入るように髪を調えてくれる床屋さんがはたしてどのような所か見当も付かぬ日本という国にあるだろうか、ということだった。
 そして、赴任。住まいがある程度人の暮らせるほどに整った頃、ちょうど髪も調え髭も剃ってすっきりとしたくて、近在をぶらりと歩いてみた。
 幸運だった。異国に来て、初めて入った床屋の主人と見事に馬が合ったのだから。
 私が、初めて日本に来た当時は、日本の店というのはどこもまだ外から中の様子が窺いづらい造りをしていた。それは床屋さんとて同じことで、特にその店は中の様子を見てもらおうというような窓を持たず、とにかく入ってみないことにはどういう人がどんな風にやっているのか外からは判らなかった。
 少々意を決して入ってみると、外から受けた印象より、店の内は広く明るく感じられた。と言ってもよくよく観察してみると、座席は三席あるのみ。広く明るく感じられたのは、店内の色調が青と白を基調にしていること、それと入るやすぐさま元気な声が四方から私に向けて掛けられ、店員さんたちがみなきびきびと働いている姿が私の全身に伝わって来たからだ。
 待合に落ち着き、一呼吸置いたところでぐるりと見回すと、天井が思ったより高く、壁紙のトーンが柔らかな色合いで、室内の物は整然と整備されており、所々に花の写真やルノワール風の明調な絵が架けられていて、そこで働いている人の気持ちがよく行き渡っているのがわかった。
 その時、店は混雑していたが、思ったより早く順番は廻って来た。座席に着くと、口髭が色黒の笑顔によく融け込んだ三十半ば頃の紳士が応対してくれた。彼がこの店の店主だということは、すぐに了解した。腰に巻かれてよく使い古されている濃い茶の皮製の鋏入れとその物腰にこの人の日常の丁寧な仕事振りがよく現れており、それはまさにこの店の雰囲気そのものであったからだ。
 私はその日およそ一時間半この店主に身をあずけていた。普段珍しい外国人の客にちがいない。しかし、何ら特別に気を張った様子も見えず、調髪から髭剃り、シャンプーへと流れるように彼のサービスは繰り広げられた。とても心地良く、私の心持ちにいたるまでさっぱりと積もった埃りを洗い流してくれたようで、その身のこなしさながら動く芸術品を見ているようだった。これは、のちに判ったことである。店内に飾られた草花たちの写真は、巡り来る季節ごとに取り替えられており、古寺を廻って撮されているものが多かった。実は、この店主の手に成るものであった。
 二度目の日本赴任となる十年前、東京に着任する私はと真っ先にこの床屋さんを訪ねた。その時も五年前とまったく変わることのないよく整えられた店内と、相変わらずの客入りのよさであった。ただ、違ったことと言えば、店主がさらに飛びっきりの笑顔で私を迎えてくれたことである。
 五十代に入ったばかりのこの店主と、その奥さん、そしてこの人、初めて会った頃と体型も変わらずにすらっとした長身の細めのブルージーンズのよく似合う店主の相棒。きびきびとした彼等の仕事振りは年齢を重ねて益々、接する私に心地良さを感じさせた。
 しかし、ここにもう一つ、店の中に変化していることがあった。四人目の、二十代そこそこの若い店員がそこに加わっていることである。その店員もまた主と同じく無口だが、いつも笑っているように見えて、颯爽とした動きに澱みなく途切れるところがない。私はすぐに了解した。この若者は、店主の息子さんであると。
 その床屋さんの空間はまこと彼等働き手と一つに成りきったものであって、店内の空氣そのものが仕事をしているかのようである。
 これは、その店に行く度に思う事である。
 今から二年前、店主は店を完全に息子さんに任すことに決められた。それでも私が予約を入れた時には、店主が私の髪を遣ってくれていた。引退してのちはまた、私が日本に帰って来る度に彼は、大好きな車を駆ってわざわざ私達夫婦を空港まで迎えに来てくれる。
 今、着陸のアナウンスが流れた。
 今回私は彼と一つの約束事がある。今後は彼の息子さんに私の担当を任せるということである。
 さあ、これから車の中で彼からこの季節の日本の花と草の話を聴こう。そして次の土曜日には、初めてこの愛すべき紳士の子息の前に、私はゆったりと体を投げ出していることだろう。

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