【小説】虧月―きげつ
来光
今朝の私の御来光は、ほんとうに近くって、とてもまっ白よ……ミギワは隣に立つアサセに、そうささやいた。
そう、それは佳かったね。僕のはね、普段よりちょっと遠いかな。それに、少し紫がかって見えるんだよな。最近、疲れてるのかな、おれ……真っ白なバルコニーに立って、地平線前方にまっすぐに観える日の出を臨みながら、アサセとミギワは、今朝の日の光のそれぞれの姿をたがいに告げあった。
よく晴れた日の朝は、いつもここプーラソーユでは、日の出に望んで各自の太陽の様子をそれと識ることが慣しとなっている。日の光が自らにどのような姿を現すかで、それぞれのその時々の身心の健やかさがわかるからである。
先史の昔、ローマといわれた地にコロッセウムという建造物があったとされている。その建て物に面影がよく似ていると言われる緑色の巨岩に形造られた複合住宅の、各部屋の白いバルコニーから(バルコニーだけを白く塗り込めるのが、ここプーラソーユの住まいの特徴である)、幾組ものカップルが今朝も(この住宅にはパートナーしか住んではいない。子供をもうけると、家族用に用意された緑の住居に移り住むのがここプーラソーユの慣しである)朝の自らの来光と対面している。来光と自分との顔合わせを終えると、それぞれがみな心の内で銘銘の朝の唱和を行うのもここプーラソーユの習慣である。
朝 の 頌――ミギワの場合――
訪れし目覚めの朝に感謝いたします
聞こえます
小鳥の囀り 葉擦れの音
肌を流れゆく朝の気のさわり
翠なす木々の香とまっ青な空
渡ってゆく雲の群れたち
悠久のむかしに放たれた矢は
今 このわたくしとの世界と成って
こうして眼の前に在ります
私も 世界が世界を観ずる
ひとつのまなざしにすぎません
わたくしがわたくしで在れたことに感謝いたします
世界を観ずる私の眼差しの
今日いちにち 正しきものでありますように
私の眼差しが 少しでも
世に明るき灯りでありますように
朝の目覚めの日の光のように
今日いちにち わたくしのまなざしの
世界を照らす明るき光でありますように
まなざし
アサセとミギワ、朝のそれぞれの祈りを捧げ終ると、ミギワは食事の仕度に部屋へと戻り、アサセはバルコニーで白木の椅子に腰をおろした。
アサセが~ニュース~と想念すると、バルコニーの前にはごくごく小さなラピュタが浮かび出して、像を映す。アサセの想念は、いつも決まってはじめは社会面に向うので、ラピュタはおのずからその日の社会面を映し始める。
俯瞰すれば、コロッセウムに似たこの複合住宅にそれぞれの階のそれぞれのバルコニーから、銘銘が見たいニュースを楽しむために各々の小さなラピュタに向けられているいくつものまなざしがあった。
いまアサセのまなざしの先には、その日の社会面の片隅に報じられている、プーラソーユ考古学研究所発表のある報道が映し出されている。
シーロードモミュメント
ノースアイランドのシーロードモミュメントで、パイシス晩期(約八五〇〇年前)の犬と猫の死骸がほぼ完全な形で見つかったとプーラソーユ考古学研究所が、ファーストムーンにあたる昨日、発表した。中型ほ乳類の死骸が、体毛まで残った姿で発見されるのは極めてまれで、しかも今回は、犬と猫の遺体がそれぞれ並ぶような形で出土しており、同研究所は「パイシス晩期の人々の暮らしぶりを知るうえで極めて貴重」としている。
出土した遺骸は犬と猫がそれぞれ一体ずつで、ともに体毛がほぼ全存して良好な状態という。双方ともに死亡時は十歳からおよそ十二歳くらいと推定され、当時のヒトの寿命に当てはめれば老齢にあたる。
ノースアイランドでは当時、ジャポネリア人が生活を営んでおり、出土した犬と猫はジャポネリア人に飼われていたものと推定される。ノースアイランド地方は、当時のジャポネスク四島では珍しい大湿原も存在していた土地で、地球がはげしく温暖化に向っていたパイシス晩期においても、氷点下数十度になる季節もあったという。おそらく死後、当時のジャポネリアの人々の風習から土に埋葬され、なんらかの状況下から十分に水分が供給される条件が保たれて、死骸が良好な状態のままで残ったものとみられる。
ただし同研究所によると「犬と猫双方の遺体にはともに、鋭利な刃物で耳が切断された痕跡が認められ、当時のジャポネリアの人々の心理面にまで及ぶ調査の貴重な資料になるもの」としている。
ブルームーンの前日まで、同研究所付属博物館で展示する。
ジャポネリア
ノースアイランドのシーロードモミュメントで、パイシス晩期の犬と猫がほぼ完全な形で出土したって、さっきニュースでやってたよ……バルコニーから戻ったアサセは、ミギワに告げた。
(1) パイシス晩期に滅んだとされる、北緯三十六度を中心に高度な文明を営んでいた四つの島からなる国家ジャポネスクの最北端に位置した島の名。 (2) 四島に居住した民族の総称で、現在のイーデジーヌ人の祖先と考えられている民族。
パイシス晩期のノースアイランドっていうと、たしかジャポネスクの時代の話よね……料理の仕度をする手を休めることなく、ミギワは訊き返した。
そう。でもね、見つかった二匹とも、片耳がそれぞれ殺ぎ取られてるんだって……アサセの声の調子が曇り空に変った。
それって、ジャポネリア人がやったっていうこと?……料理をする手を止めて、ミギワがアサセの方を見た。
たぶん、そうなんだろうね。プーラソーユ考古学研究所がすぐに調査に入るってさ。ジャポネリア人の手によるものなら、ジャポネスクの時代の人々の心の中にまで及ぶ調査を行いたいらしいよ、研究所は……ミギワの背後の食卓から果実を一つ、アサセは想うことによって自分の手元に引き寄せた。
心理面に及ぶ調査って、それって、銀河セントラルに有るレコードにまでアクセスして、当時のジャポネリア人の内を調べるっていうことになるの?……セラーから取り出したアロマウォーターを、ミギワは想うことによって宙に浮かべて、アサセの手元にまで届けた。
たぶん、そういうことになるんだろうね。ほかには方法がないものね。
手にした果実も水も、アサセの心にはすでに無かった。
朝日の横の地平線にぽっかりと浮かんでいたアサセの月が、朧ろに翳んでいった。
さまよい月
プーラソーユ考古学研究所は眉月にあたる昨夜、パイシス晩期のジャポネリア人の生活上の心理度を調査した結果を公表した。結論として同研究所は、当時のジャポネリアの人々の心理を「月暈(つきがさ)」、つまり当時の多くの人々の心の内は「雲が懸かって屈折したような状態になっていて、心の中に在る本来の月があらわれにくい環境に置かれていた」と論評した。
その上で過日、シーロードモミュメントから出土した、片方の耳が鋭利な刃物のような物質で切断された痕跡が認められる一対の犬と猫の遺体は、当時およそ十二歳と推定されるジャポネリア人の少女の手によるものであったと報じた。
今回の調査では、同研究所が独自に開発した、個体の腸の神経細胞ニューロネットをエントランスに使用して、銀河セントラルに集約されている各個体の生涯情報にアクセスするポータルユニットを活用した。この手法の特徴としては、直接銀河セントラルに集約されている膨大なセンター情報にアクセスして、ある個体の生涯情報を検索する手法よりも、現実に目の前にある個体の腸のニューロネットを入り口にして直にその個体固有の生涯情報にアクセスできるため、映像による鮮明なレコードが得られ易いという。
同研究所が開発したこの手法で、まず犬の生涯情報を読み解いたところ、六歳から七歳ころの間に、飼われていた家の十二歳の少女から、大振りの調理用ハサミによって片方の耳が切断されたことが判明した。同じく猫も同家で飼われていた猫であり、同様に腸のニューロネットからアクセスした猫の生涯情報から、同じ時期に同じ少女の手によって切断された映像を得たとしている。
同研究所はさらに、犬が耳を切断される瞬間の映像に映し出された少女の狂気を湛えた瞳から、少女の脳内の神経ニューロにアクセスして、少女の生涯情報を解析したと発表した。それによると、十二歳の頃の少女の心の中には月はほとんど存在しておらず、世界とまったく架け橋をもたない自我の中だけに完結した意識状態にあったとされる。これは「アクエリアス期の現在に生きる私たちには自然な、世界と一体化して生きる、という意識の状態にパイシス晩期のジャポネリア人意識がなかったことを示唆している」と分析している。
同研究所は今回の調査結果が、パイシス晩期(約八五〇〇年前)の各種文献に見られる、当時のジャポネスクに蔓延していた年老いた人々の孤独死や壮年者のうつ病による大量の自殺が、ジャポネリア人の心の中に月が無い状態、すなわちまったく自分の事だけで心の内が塞がれた、心の中のひとりぼっちが原因であったとするこれまでの研究成果の論証になるとしている。
同研究所は加えて、四十代になった少女の生活環境にアクセスしたところ、当時のジャポネスクのアルコールである‘SAKE’に酔ってひとり夜の街を徘徊している一夜の同女の映像を得た。その夜、ふと見上げた街の灯の向う側に十六夜の月が懸かっていて、瞬間、ふと歩みを止めてもらした彼女の言葉に「どうしてこれまで誰も私に、空に月が在ることを教えてくれなかったのだろう」というつぶやきがあったと報じている。
バルコニーの白い木椅子に腰掛けて、ラピュタに映し出される同記事を追っていたアサセのその朝の白い月は、いっそうか弱く、欠けていた。
白 夜
アクエリアス期の現在は日の沈むのがおそく、夜といっても遠い空は、どこまでも水と虹とそして白の入り混じった様を呈している。そんなうす紫色をした白夜のバルコニーに立って、夕べの祈りを捧げようとしているアサセとミギワの姿があった。
どうしたの? ジャポネリアの少女の記事のことで、そんなに気がふさいでしまったの……ミギワが訊いた。
過去には自分の日や月を持たない民族や時代があったなんて知ってね、ちょっとショックでね。おれたちって、当り前のように毎日自分の日と月を観て、自分の日々の身体と心と対話をして生活をしているじゃない。だから自分の心が汚れたり、疲れたりしていたら、はっきりと月に現れるから、すぐにわかるよね。だって月って、プーラソーユの人々にとっては、生きていくうえの心の羅針盤みたいなものでしょ。そんな月も持たずに生きていた人たちが、むかし、この同じ地球上に居たなんてことがね――。あの犬と猫の耳を切った少女が大人になってからもらしたという「これまでどうして誰も私に、空に月というものが在ることを教えてくれなかったのだろう」というひとり言が、あれがね、おれには相当こたえてね……北西の方角に浮かんでいるアサセの月の気配は、今宵、いつもにも増してか細く翳っている。
さあ、祈りましょ。そんな夜こそ、しっかりと自分の月に祈りを捧げるのよ……白いバルコニーに立つ若いふたりは、胸の前で揃って静かに手を組んで、それぞれの月に向ってそっと頭べを垂れた。
夕べの頌――アサセの場合――
夜の静寂に現れし月よ
私の成した今日いちにちの歩みは
勇者の為す正しきものでしたか
久遠のむかしに放たれたま白き光が
その還るさきのセントラルと
私の心は 今日いちにち
まことに一つで有りましたでしょうか
今宵 蒼き夜の星の天使達よ
もし 私の成したいちにちの歩みが
太古の言葉にそぐわなかったなら
次に迎えるべき私の朝が来たらなかったとしても
私は 意に従います
心の月の清らかでなき者は
来たるべき朝の来光にふたたび出逢えなかったとしても
はじめの言葉の定めしところと識りて
今宵 安らかに
眠りに入ります
朧に翳んでいたアサセの月の表面から、雲が静かに動きをはじめて、円かな月に向かってふたたび光が力を持ちはじめた――。
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