見出し画像

【小説】ひとひらの花

 それはまるで滝の中に身を浸したかと見紛うばかりでした。私の身体は一面の薄らと白い水面の上を滑ってゆくかの如くでした。私はおもいきり腭を上げて、その向う側にあるはずの夜空を覆い尽くした花花花を見上げて歩いておりました。その薄紅の花の間を洩れて、きらきらと煌めく光りが、私の歩調に合わせて点滅しておりました。それは、洩れ来る星々の明かりなのですが、まるで花の水の流れの中を行く身になっている当方の感覚にしてみれば、星の瞬きが、落ち来る滝に湧き立ち上る水沫きの如くに感じられたのです。
 私は思わずその煌めく燐光にそっと手を合わせていました。
 そして、腭を降ろして真っすぐに前を見やると、私の合わせたその手の先には、相変わらず前屈みにじっと前を向いて歩いて往かれる浄真様の後ろ姿がありました。私が浄真様に付き従って大仏造営の勧進に入って迎える、それが三度目の桜でした。
 
 二年続いた飢饉に、時の政府の無策に対してやむどころなき方より声があがり、都の東に大仏造営の御布令が出たのが、あなた様もご承知のように例の陰陽師さんがお隠れになった翌月、ちょうど野に緑が華やぎ出した頃でした。
 当時、山房にあって、一心に修行に励まれていた浄真様のもとに密かに詔書が届けられ、浄真様は大寺大仏大勧進の職に任ぜられたのです。それは、浄真様の兄上であらせられる時の国庫の長官の意向であると漏れ聞こえておりました。
 二年続いた凶作に国庫に余分の蓄えはない。が、民には朝廷の労あるところを知らしむる要がある。為、都に大仏の造営を計りたいが、国庫より金が出せない以上勧進によるよりほかはない。そこで白羽の矢が立ったのが、国庫の長官の実弟で兄の意を汲んで働いてくれるであろう浄真様でした。
 浄真様はためらうことなくお引受けなさいました。私には最初、当時、一山山房の若い僧たちの先頭に立って修行に打ち込まれていた浄真様が、いくら兄上様のお頼みとはいえ、そうあっさりと大勧進の職をお引受けになり下山なされたことは意外でした。
 しかし、いったんお引受けになってからの浄真様のお働きには鬼気迫るものがありました。勧進行脚には、私を含めて当寺から三十名あまりの若僧がお伴を致しました。ほどなくして迎えた葉々の紅く染まる頃、浄真様は荷車を持ち出されて御自らそれをお曳きになり、その荷車に「南無阿弥陀仏」の幟をお立てになったのです。
 大勧進自らが荷車を引いて先頭に立ち、その荷車に「南無阿弥陀仏」の旗を立てて都大通りをそぞろ歩くという光景など、それまで見たことも聞いたこともありませんでした。勧進行列の先頭を往かれる浄真様の背中を、すぐ真うしろから見つめつづけて私は、そこにこの大仏造営の勧進成就に賭ける浄真様の執念のようなものを見る思いがいたしました。
 多少の雨ぐらいならば日々の勧進行脚を決して中止なさることのなかった浄真様の背姿に、降りしきる雨もその熱意に蒸気となって立ち去るかと思われるほど、時にぎらぎらしたものが感じられたのでした。
 あの時、浄真様に、二年続いた飢饉から人々の、特に農民の苦しみを救いあげたいという純粋な思いがあって、祈りのようなお気持ちから勧進をお引受けになり、専心にあの大勧進をお進めになられたことはまちがいないことです。しかし、浄真様も人の子です。私には、浄真様のお側に仕えてあの七年に及ぶ全国行脚に付き従ったこの私の眼には、こう申し上げてもよいと思いますが、そして、このように申し上げても、浄真様の大寺大仏造営満願成就に至ったあの御偉業がけっして瑕瑾に晒されるものではありますまい。
 そう、あなた様も御承知のとおり浄真様は、大仏殿落成ののち日を置かずして朝廷より都に大寺を賜り、当山より都にお移りなさいました。もとより浄真様は都のお生まれであり、御実家は公家の名門、嫡子であらせられないゆえ幼少より仏門にお入りになられましたが、あの勧進のお話が兄上様よりあったとき、浄真様のお心に、時の権力中枢への御出世のお気持ちが揺らめいたとて、誰がそのことを嘖められましょうや。
 
 実は、浄真様に付き従って迎えた三度目の桜の頃に、こんな事があったのです。
 その朝、花の盛りの桜の木々は薄紅の花吹雪を降らせて、勧進の先頭をゆく浄真様の肩口にもふたひらみひらと淡い花弁を落としておりました。
その桜吹雪の舞う中を、浄真様の前へ、ふと横手から、われらの行列など目に入らぬが如くに一人の老婆が立ち現れたのです。
 なに事かと思う間もなく老婆は、すぐさま屈み込んで、一つの物を拾い上げました。
「おうお、こんなになってしもうて可哀相に…。さあさ、土へお還り」。
 そっと拾い上げたその物を、老婆はてのひらに載せて優しげに見つめながら、膝を折りつつ丁寧に運んで、横の叢にそっと置きました。
 浄真様は立ち止まって老婆の行いの一部始終をじっと見詰めておられましたが、老婆が立ち去ったあと、浄真様はすうっと叢の中に行かれました。
 猫の屍でした。
 もうすでに日を経ており、水分は抜け去って毛が体を覆っていた事実もその面影を留めているだけであり、幾日かを陽に照らされたいまは、道行く荷駄や知らず知らずのうちに人にも踏まれたのでしょう、屍体は平らにひしゃげて乾ききっておりました。
 しばらく、浄真様はその屍をじっと見詰めておられました。そして、時あって、ひと息深く嘆息されて、私にこう呟かれたのです――。
「応観、われ一切衆生を知らず。御仏は所詮、姿ではなし。わしはなあ、知らず知らずのうちに気持ちが人のうえに在った、人の世の綾のうえに…。人の為、世の為と言いつつこの勧進に入りたのにのう…。はああ、しかしなあ、応観や。所詮わしは…、山を下りてしもうた、山をな…。御仏は人の為のみにはあらず。わしは、このことも忘れてしまっておった……」。
 合掌し、低頭され、踵を返して往かれる浄真様の背な姿は、そのとき、少しばかり前屈みに丸まって見えました。そして、私には、相変わらずひらひらと舞い落ちる桜の花びらが、じっと前を向いて歩いて往かれる浄真様の肩口に、少しく多く降り積もっていくように感じられたのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?