2024.05.26

知らないけど、恋愛に恋焦がれた日々を卒業する段になって、なにか失ったような気持ちになる人がいる。ある種、幸せの絶頂とも言える時期なんだろうと思うのに、変に憂鬱になって、浮気に走ったりする人だ。そこに恋愛があるのに、どうして別種の恋愛を志向するのだろう、と、私などは訝しんだが、本人はいたってケロッとしていて、この恋愛と、あの性愛は別、という確固とした価値観を持っていた。その人が現在幸せであるかどうかは知らない。

恋愛は成就してしまうと憂鬱になる。このテーゼにおける、憂鬱の内実がわからなくて、色々聞いて回ったことがある。こういう時に、無類の積極性を出していけるのが多少の自分の強みだと思うけれども、就活の自己アピールでは斜め上すぎて、あんまり受けない内容である。「今注目している商品はなんですか?」と聞かれて、「たらみです」程度のオリジナリティでいいのだろう。半歩前をいけ、というのは、他人が分からないようなオリジナリティが共感の邪魔であることを示している。佐藤さん、そうだよね、俺の理解は間違ってないよね。

じゃあ、その憂鬱はなんなのか、ということが気になって、ずいぶんと時間が経つ。昔、『電車男』という映画があって、それはのちにドラマにもなったんだけれども、ドラマ版ではなく、山田孝之さんの映画版の方で、ネット民たちに応援という名の煽りを受けた挙句、お礼の電話で食事に誘った「電車」が、これまたとち狂った「エルメス」と、デートに行った後にTSUTAYA(かなんか)に寄るシーンがある。

TSUTAYAでエルメスは電車に、あなたの好きなもの教えろ、みたいな話をして、電車は早口でマトリックスについて口上を述べるのだが、いかんせん、チューンが合わない。観客には、合ってないように見えた。その前後で、電車が何かを熱く話し合っているオタクたちの方をチラッと見て、早足で目的の方に向かうエルメスを追いかけるのだが、この電車のチラ見に、私は「恋愛が成就してしまうと憂鬱になる」感覚の集約点を見た気がした。

電車はネット民たちに、ファッション指南を受けて、外見だけ生まれ変わる。外見はもちろん若い頃の山田孝之さんだから、イケメンであるわけだが、インスタとかに溢れる変身動画をみえば、それなりに外見というのは変化するモノだということがわかる。内面よりも外見は操作可能なものである。その自身の変身した外見に電車は驚き、それなりにエルメスに受け入れられたことで安堵するが、かつての自分のような2人のオタクたちの熱いトークを聴き、見て、自分が失ってしまった何かに気づく。この失ってしまったものへの回顧が、例の憂鬱なのではないか、ということを自己理解したというわけである。

バンジャマン・コンスタンの『アドルフ』は、結婚後の倦怠と憂鬱が描かれている小説であり、どっちかというと、ゲーテの『ヘルマンとドロテーア』みたいな恋愛成就譚だと思っていたから、びっくりした。でも、普通はそんな憂鬱、自己理解で慣らしていくものだと思うんだけれども、憂鬱から逃れたいあいつは浮気をすることで、その深みを埋めようとしたし、電車は、それにふと気づくものの、エルメスと一緒にいる自分の地位上昇に、その喪失を見ないようにしたんじゃないか、と思った。

私はスコット・フィッツジェラルドの小説って、どれもつまらんなあ、とずっと思っていたけれども、その感覚が入ってきたタイミングで読めるようになった。何かを得たことで生まれた憂鬱に耐える、そんな主題の小説だと思った。普段私も憂鬱や喪失として知覚できるかもしれない喪失の穴を、何かで常に埋めている。埋めないと、気持ちが容易にそっちの方へ引き寄せられるからだ。浮気に身をやつす人もいる。金にヒリヒリする人もいる。「大金を動かすと、気持ちが覚醒しませんか?」と言っていた人を思い出す。

金も異性もあんまりピンとこない自分は、多くの人がそうであるように、死と戯れることで、憂鬱の深みから目を逸らし続けている。死と戯れるというのは、死を直視するのではなく、「健康」という名の遊戯に身をやつすことである。曰く、健康食品、曰く、ボディビルディング、曰く、メタボ改善。私もまたメタボ改善のために、無駄に歩いたり、減塩したり、サプリを飲んだりと大忙しである。

だから何かというわけではないが、初めて恋愛をした時、そんな憂鬱を感じたのか、ふと思い出してみようとした。そしたら、こんな文章が出来上がった。それだけのことである。

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