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あの冬の今は 前編 〜2014年2月14日の豪雪被害〜

あの日、2014年2月14日(金)に私は、17時出発の特急あずさに乗るつもりで、新宿に到着した。しかし、若干の遅れをもって17:45分にあずさは発進した。この日私は時間が読めなかったことで指定席を取っておらず、自由席付近のデッキ空間で、混み合う車内を眺めていた。

多少の雪なら小淵沢までは行くだろう。私は安易にそう考えていた。

2011年3月12日にも、遅れに遅れたが新宿からなんとか小淵沢までは行き着いた中央本線である。中央本線への信頼は、厚かった。

しかし、雪は強まり、塩山付近で緊急停車したのが、すでに21:47分。それでも、雪さえやめば、明日の朝には到着するだろう。その時点でも、私はそう思っていた。

上越と岩手八幡平近辺の雪を経験している自分としては、それでも除雪車出動でなんとかなるんじゃないか、と考えていた。

それでも、長丁場になるに違いない。そう思った。

というのも2007年の夏、結婚式の打ち合わせに東京へ妻が向かった際に、塩尻で豪雨があり、そのせいで特急は停車を余儀なくされ、新宿到着が朝の4:00だったことがあるからだ。それを私はいまかいまかと新宿のバーをハシゴし、散財してしまったことがあって、それでも夜通し走って、特急は目的地へと到着した。

今回も、どれだけ遅れたとしてしても、いつかはついてくれるはずだ、と思っていた。

私は、あまり飲まないカップ酒を買った。そして、デッキにいた他の乗客と、雑談をした。山梨市に家があるという初老のおじさん、市川大門あたりに住んでいるというガタイのいいおじさん。3人で、なんとはなしに、不安を和らげるような身の上話をした。私もまだギリ三十代だった。

塩山からなかなか動かない。あと少しで家のある駅だという初老のおじさんは、あと二駅なのにと頭を抱えていた。それでもまだ、いつかは動くものだと安心していた。

窓の外は雪がしんしんと降っている。ただ、飯山や妙高の雪はこんなものじゃないよね、と見当違いな目測で、降雪を見ていた。

そして、やっと動き出した。東山梨に到着。初老のおじさんは、東山梨で降りて行った。家族が迎えにきてくれるという。私は松本だから、さすがにここまで迎えに来いとは言えないなあ、と思っていた。

そして、少しづつ動いて、石和温泉まで来た。時刻は24:00を回っていた。そして、全く動かなくなった。私は自分の席を探そうと、通路を歩いている時、小さな赤子を抱いた夫婦がいた。子どもは泣いていた。心細かろうと思った。

26:00。急速に携帯電話の充電が失われてきた。妻に、細かくメールをしていたからだった。緊急の時ほど、電池の残量がなくなる。遭難あるあるである。私は、もう待ってなくていいよ、と、電話を閉じた。

車内アナウンスが入った。

「パンタグラフが積雪によって曲がり、車内の電源が落ちます」ということだった。暖房が消えた。すぐに冷え込んでくる。人がそこそこいるから、すぐさま急冷するわけではないものの、次第に我慢しきれないほどの寒さに感じられた。酒のせいかもしれない。

寒い!と思って、コートにくるまった。そして、少し眠った。しかし、寒くて5:00ごろに目覚めた。完全にあたりは雪に埋まっている。電車の動く気配は全くなかった。トイレに行く途中で、幼子を抱えた夫婦を見た。子どもに毛布のようなものをかけていたが寒そうだった。8ヶ月くらいと見たが、どうして、そんな、こんな時に。

しかし、私も人を気遣っている余裕はなかった。携帯の電源はなくなり、唯一、タブレットのみが電源を維持している。しかし、LINEなどでメッセージを送り合う習慣などまだなく、インターネットと写真機にのみ、使える代物だった。

私は、とにもかくにも湯に浸かりたかった。それで、24時間営業のスーパー銭湯、これをさがした。今もある隗泉の湯なるスーパー銭湯が、駅から国道20号方面にあるという。

それだ、と意を決して、車両を後にした。勝手に改札を出ていいのかとも思われたが、多くの人が近くのコンビニへと買い出しに行っていた。コンビニには私も寄ったが品薄だった。

革靴を履いていた。雪に対して無力だった。すぐに足は濡れ、ツルツル滑り、新雪を踏み抜いた。しかし裸足よりはマシだった。2キロの行軍が、これほどまでに辛いとは。60cmは積もっていた。見慣れていた。しかし、長靴ではなかった。

雪の時には必ず長靴を履け。

途中転んだ。雪の中に投げ出された。服も濡れた。

雪が吹雪でなかったのが幸いした。スーパー銭湯につき、そこで時間を潰そうとした。

しかし、体が温まったのは良かったが、プライベートがない。そして、充電する場所がない。これでは到底、長居はできない。

朝6:00から10:00までいて、雪は止んでいた。近所に家のある人は、三々五々に帰り始めた。案外普通の光景だった。しかし、私には帰る手段がない。

充電を求めて、次に向かったのは、ネットカフェである。

20号を甲府へと少し進んだところにネットカフェがあった。今はもうないみたいだ。また、足はビショ濡れで、少し進むだけでも、時間がかかる。これはもう、帰れそうにない。そう思った。

この時点で、ネットを使ったホテル予約を想像できなかった。なぜだろう?震災のときは、1回目の揺れの直後にホテル予約をしたのに。ビルの20階のホールで壁に叩きつけられながらも、タブレットでネット予約をした自分が、想像できていなかった。

おそらく、今日には雪かきが済んで、夕方には帰れるだろうと思っていたのである。だから、甲府駅に向かえばいいと思っていた。

411号線に戻った。山梨学院大の脇の道。

ネットカフェで、私は充電を済ませて、まずは石和温泉に向かおうとした。土地勘はないわけではないが、雪が深い。私はABCマートで、長靴を所望した。一番大きいサイズしかないと言われたが、購入した。これが後々、正解となる。

雪国では当たり前のことだが、長靴は必須である。

降雪は止んで、青空すら見えていた。だから、電車もすぐに動き出すはずと思っていた。

甲府までの距離は長かった。たかが8キロだが、雪道はしんどい。甲府駅に着いたときには、17:00を過ぎていた。

完全に埋まっている


私が見たのは、車両の中で寝泊まりする人たちと、電車を止める雪の壁だった。

こりゃ出んわ。と思い、慌てて、ネットでホテル検索をするもどこにも空きがない。こういうときは電話である。アナログな手法が開く道もある。

果たしてとあるシティホテルの予約がなった。一泊だけ予約した。

この時点ではそれでも明日には帰れると思っていたのである。

ここから私は、よるべない不安と背徳的な自由に満ちた5日間を過ごすことになる。

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