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「読書生活のきっかけをもらったこと その後」/(1)、(2)を受けて

 実は、三年前にT先生に手紙でお礼状を差し上げた。

 この「読書生活のきっかえをもらったこと」を添え、下記のようなお手紙を書いた。

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 このようなお手紙を突然に差し上げまして不躾とは思いましたが、何分理系に志望しエンジニアとして生涯を過ごし礼儀もわきまえず無粋を通してきましたもので、なにとぞお許しいただければ幸いです。
 小生、あと二年余りで還暦となり勤め上げた会社を定年となる予定でございますが妻とともに育てました息子二人も一人前となってきております。改めて来し方を振り返りますと書物に与えられた恩恵はとてつもなく大きく、そのきっかけを頂きましたのは先生の授業でありました。そのことを再々意識しておりましたが多忙に紛れ御礼を申し上げる機会を逸し続けておりました。
 過日そのことを自分なりに言葉にし整理してみました。話術などは少壮のころより全く拙く、先生に直接御面前でお話により十分な御礼を申し上げる自信もございません。誠に拙文ながらこれを添えさせていただくことで衷心よりの感謝の気持ちに代えさせて頂ければ幸いにございます。本当にありがとうございます。

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 投函してから三日後すぐにT先生より返事が届いた。

 四十年前のことになるのだね、との優しい言葉があったのと最近は失敗したことを思い出すため教師時代のことは忘れるようにしている、とのことが記されていた。

 何か重いものを背負われているようだった。そして体調のすぐれないこともにおわされていた。そういえば学園祭で住所を教えてもらった教え子のOBが、先生が学校のトップと意見が合わず定年前に退職しその後かつての教え子とも交流を絶っていることを話してくれたとき、信念にたがうことができず士(サムライ)のように身を処しただろうとの感想が浮かんだが、あながち間違っていないかもしれないと思われた。


 有難くも自作の詩集本「詩集 はぐれ蛍」(築山多門 土曜美術社出版販売)が同封されていた。一週間ばかりかけて拝読したがいつしか時空を超えてかつての授業空間に立ち戻るような感覚に襲われた。凛としたあの日の先生の姿が瞼に何度も立ち現われた。そしてやはり重いものを背負われてもいるようだった。教師というものが全的に人間を相手にするものであり、それを真面目に真摯に捉え取り組むということが如何に至難であるか、そのことが脳裏をかすめた。

 先生のご健康がひたすら祈られたがなにか気の利いたことをお伝えすることも難しく通り一遍の御礼の返事をするに止まった。

 人生は本当にありがたいものだが同時に無力でむなしい感じにも襲われるものである。祈ることしかできないものかもしれないとの念にとらわれることもしばしばである。

 それでも心からの感謝の気持ちを伝えることができ、それがなにがしか通じたようだったことは何より私の心に潤いを齎してくれた。

―――――――終わり――――――――――



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