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「ギリシャ人の物語Ⅰ 民主政のはじまり」塩野七生著(新潮社)/ローマ人の物語を読めば手を取らざるを得ない。トロイ神話からギリシャ文明のはじまりと興隆:ここに西洋文明がはじまる、、、

「ローマ人の物語」から「ギリシャ人の物語」へ

「ローマ人の物語」全十五巻プラスアルファ(スペシャルガイドブック)を読了してみると、実に味わい深い思いが胸に残りました。
それはやはり塩野七生さんが、日本人としての視点をかっちりと維持しながら、古代ローマ帝国の人間模様を子細をしっかりと追いながら描いて見せてくれたからに他なりません。
本質的な意味で言うと、一神教キリスト教徒でない日本人塩野七生が一神教に乾いた目をもって描いたものだからこそ、日本人あるいは日本にとっての意味が深く感じられるのだと思います。
だからこそ、「ローマ人の物語」を読了した以上、「ギリシャ人の物語」を読むのは必然でしかありません。

ギリシャ文明のはじまり

「ギリシャ人の物語」は、その塩野さんがギリシャ文明の始まりから説き起こしてくれます。
古代はいずこも、神々の存在する多神教世界だった、というのは、渡部昇一さんがかつて言っていましたが、まさにトロイ神話からギリシャ文明という古代西洋も多神教の世界でした。
はじめに、スパルタとアテネがやはり目立ち現れてきます。
二つの都市国家は、始まりにおいて全く異なる成り立ちを経て、ライバルとして成長する。
その中でやはりアテネが実に興味深い。
「ソロンの改革」というのは世界史で聞いたことのある言葉ですが、民主化のまさに走りだった、これによりアテネ或いはギリシャ文明が方向づけられ、それに続く諸改革が、ペイシストラトス、クレイステネスによって断続的に行われます。

ペルシャ戦争こそがギリシャを文明たらしめたもの

そして一連の改革の直後に起こった大帝国ペルシャからの侵略。
ギリシャ文明から見れば、一連の改革がぎりぎりのタイミングでペルシャ戦争への対応力を用意せしめたという幸運。

・マラトンの戦い
・テルモピュレーの戦い
・サラミスの海戦
・プラタイアの戦い

スパルタ王レオニダス軍が玉砕したテルモピュレーを除き、他の三戦は劣勢であるギリシャ軍が専制帝国ペルシャの大軍に完勝するという、
まさに古代史の華なる戦いです。

専制独裁の大帝国ペルシャは、その毒牙をどこまでも拡大すべく、西へ西へと進み、ギリシャ勢力圏の小アジア(現トルコ西部)までをいとも簡単に掌中に収めますが、
民主政のアテネが、マラトンではミリティアディスが、サラミスではテミストクレスが大軍を上回る集団力を形成し、戦いを制する。
そして、プラタイアでは、スパルタの若きパウサニウスが寡勢のスパルタ強力重装歩兵団を縦横に使いこなし、大軍ペルシャを粉砕する。

ギリシャがペルシャに打ち勝つことによって、個と集団の力を結集するというローマ文明へとつながるものが生み出された

ギリシャがペルシャに打ち勝つことによって、個と集団の力を結集するというローマ文明、ヨーロッパ文明へとつながるものが生み出された、ということの重要性は、文字通り世界史的です。
このことを、塩野さんはこう言っています。長いですが第三章の最後を引用して、本記事を締めくくりたいと思います。

「ペルシャ(東方)は、『量』で圧倒するやり方で攻め込んできた。それをギリシャ(西方)は、『質』で迎え撃ったのである。
『質』と言ってもそれは、個々人の素養というより、市民全員の持つ資質まで活用しての、総合的な質(クオリティ)、を意味する。つまり、集めて活用する能力、と言ってもよい。
 これによって、ギリシャは勝ったのである。ひとにぎりの小麦なのに。大帝国相手に勝ったのだった。
 この、持てる力すべての活用を重要視する精神(スピリット)がペルシャ戦役を機にギリシャ人の心に生れ、ギリシャ文明が後のヨーロッパの母胎になっていく道程を経て、ヨーロッパ精神を形成する重要な一要素になったのではないだろうか。
 この想像が的を突いているとすれば、今につづくヨーロッパは、東方とのちがいがはっきりと示されたという意味で、ペルシャ戦役、それも第二次の二年間、を機に生れた、と言えるのではないかと思う。
 勝負は、『量』ではなく、『活用』で決まると示したことによって。」









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