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「118年前明治38年元旦、旅順要塞を陥落させた第三軍将兵に感謝の誠を捧げましょう」

既に述べてきたことですが、毎年元旦になるたびにこのことを思い出します。
今から118年前明治38年1月1日元旦、日露戦の旅順要塞は第三軍の死闘に次ぐ死闘により陥落しました。

旅順要塞の陥落無くして、奉天大会戦の勝利はありませんでした。
なぜなら、奉天会戦において彼我の戦力差が大きすぎ勝負にならなかったのみならず、決定的勝因を創ったのが第三軍だったからです。
また、旅順要塞の陥落無くして、情報感覚の欠如した海軍が連合艦隊の半分近くを旅順要塞に縛りつけその残存艦隊でバルチック艦隊を迎え撃つことはできませんでした。

したがって、第三軍の旅順陥落という大殊勲によって、日本は祖国防衛戦争である日露戦争を勝ち抜くことができたのです。

日露戦の勝利の意味は、世界史上に捉えられるものです。
日露戦争の日本勝利は、西欧により植民地化されていたアジアの人々に独立への自信を生みました。
西欧による西力東漸の最後の砦が日本だったのであり、その日本が日露戦敗戦でロシアにより植民地化されていれば、現在のような建前上は人種差別がなく、全てと言ってよいアジアアフリカ諸国の独立と国連加盟という国際政治環境は未だに出来ていなかった可能性が有ります。
なぜなら、コロンブス以来それまで三百年以上にわたり西欧に席巻されていた世界が、その後四百年以上にわたっていないという保証はどこにもないからです。
もちろん、そうであれば日本も現在のような自由で豊かな国でないことは間違いありません。
歴史を考察するというのは、パラドクスでもあるのですが、そこまでのことを深堀して考えておくということなのだと思います。

こういう視点に立った時、旅順要塞の陥落を完遂した乃木第三軍の将兵に対し、深甚の感謝を捧げたいと心から思います。

これまでに旅順攻防戦、奉天会戦については、下記に詳細を記してきています。
興味のある方は是非ご覧いただきたく思います。

以上です。

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