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「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 (5)近代とは、その2/定年講演

日本文明が「西欧近代」との親和性が高いとは言いつつも、でやはり、一神教のGOD、特に怒れる神や支配する神を受容することはできない、私は多神教的世界にしか生きることはできそうにありません。

私の信仰は、諸行無常、あの世を信じることで世俗的にも道徳的(物質的、精神的、社会的)にも豊かになれるのであれば、あの世を信じる、、、というレベル(あの世に行けば、死んだ親父や先祖、先輩に会える、という日本人の平均レベル)。

「西欧近代」というものの淵源を探ってみれば、「宗教改革=プロテスタント」です。「近代」は、急進的なプロテスタントであるカルバン派から発しており、その精神が根底にあります。それは、カトリックが来世での救済を求めるのに対して、100%現世での救済を求める非常に急進的な信仰です。

そしてその急進性は、旧約聖書(ユダヤ教)によっているため(ヨラムハゾニー、注参照)だということです。金、名誉、自己実現(この言葉は曲者です。今は私は嫌いな言葉です)、自由と独立不羈、悪く言うと人間のエゴ、欲望の肯定、良く言えば人間尊重という具合に、科学と似て、ある種、間違いなく魅力的ではあるのですが、、、、

若い20代の頃、闇夜に光明を見た思いでみた人に、P.F.ドラッカーという人がいます。1989年の新刊「新しい現実」という本ですが、その後本当に真剣になって読み続けましたが、もちろんいいことを書いてますが、結局「西欧近代」を前提にしており、解はあったようで有りませんでした。

結局、「近代」とは、所詮、西欧近代ということです。

急進的なキリスト教(一神教で濃厚な旧約の要素=怒れる神、支配する神=を持つ)という、この前提があるため、受け入れることを迫られ、またある種魅力があるものの、

(だからこそ、そこに向かって皆、突っ走っている)

受け入れがたいものがある。

では、私がどういう風に折り合いをつけてきたか、、、、まず、日本人にとっても近代、次に私どう折り合いをつけたかを、以下述べていきます。


(6)に続く

注、ヨラムハゾニーについては、以下を参照ください。


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