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「智子、そして昭和 エピローグ1」/種村のモデルは今村均陸軍大将

 モノローグを書いたのですけれど、まだ書いておきたいことがあり、プロローグなしのエピローグですが、すこし記させていただきます。

「”種村大将”について」

 作中に”種村”という軍司令官陸軍大将が登場しますが、お分かりの方もいらっしゃるかもしれませんが、モデルは「今村均陸軍大将」です。作中の設定はほぼ事実に基づいています。第八方面軍司令官としてガダルカナル撤退を指導し、その後ラバウルで陸軍7万将兵、海軍3万将兵とともに自給自活体制、地下要塞を構築し、連合軍をして攻略を回避せしめ、実に10万将兵を保って終戦を迎え祖国に帰還させるという優れた指導力を発揮した将軍です。 

 一つ、私事です。父方の上から3番目の伯父がラバウルで戦車戦隊の兵曹長でした。まさに南方派遣部隊で稀有にも戦後復員を果たし、天寿を全うし十年ほど前に亡くなりました。

 今村大将については、別途マガジンを作成するつもりですのでここでは作品に関連すること以外については詳しく述べませんが、戦後のいわゆる”戦犯裁判”にもかけられ自身懲役10年の刑となり、最後は昭和29年巣鴨を出所し、昭和43年に82歳で幽冥界に旅立たれました。ラバウルで、そしてジャワ(インドネシア)で二度の裁判を経て、明確な理由がありますがこの階級の将軍では稀有にして戦後生存を全うされております。
 また、今村さんは、ラバウル、ジャワでの”戦犯裁判”では、いわれなき無実の罪をかぶせられた部下の裁判の弁護に専心する中で部下たちの精神のよりどころともなり、文字通り戦後においても不当な敵国と戦闘を続けた、「聖将」と呼ばれるに値する将軍です。
 ですので新司との関係は創作ですが、その他作中の記述に偽りはありません。
 今村さんが経験された、このいわゆる”戦犯裁判”の記録については、ご自身で回顧録を残されています。2019年に文庫化されて入手可能ですので是非ご一読いただきたいと思います。

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  蛇足ですが、作中、”種村”を今村さんより早く昭和35年にお亡くなりにしたことは、設定上の都合ですが申し訳なかったと思っています。




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