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「三十五年越し エピローグ7」/『おたふく』(山本周五郎著)の「おしず」と美智子さんを重ねて

 エピローグが延々と続いてすみません。ただ、もう永遠のワンパターンとして続けてみたい気もしています。

 昭和六十年ちょうど美智子さんに恋をし始めた頃、この山本周五郎のピカイチの恋物語『おたふく』に出会いました。このことは『智子。そして昭和』の中でも多くを語りましたが、重複を厭わずこちらでも述べさせていただきます。

 『おたふく』の“おしず”さんとは昭和60年にめぐり合い、以来35年“おしず”さんに恋し続けています。ちょうど美智子さんに恋をし、一途にその心が向かっていったころです。

 中島敦は『山月記』などで男の心に潜む性狷介さの難を鋭く表現していますが、それを制御するのは本当に難しいことです。焦がれた恋にとってもまさしく厄介な代物です。そう感じていた矢先『おたふく』に出会いました。

 そのころ化学で自分の核となるものを得たいと一本気になっていた私は、職人貞二郎に何かしら相通じる一本気と気質の弱さを直感的に感じ、その頃自分でも少しづつわかりかけてきた酒の味、孤独と絶望の味を肴に酒を飲む貞二郎に共感し、まずそこに吸い込まれていきました。と、思いきや、話は徐々に“おしず”に重きをおく展開となっていきます。邪気のないすがすがしいまでの愛らしさ、美しさ、周五郎の表現は名人の域に達しています。周五郎は“おしず”のモデルを愛していたに違いないとは直感的に思ったことでした。

(その後、実際のモデルはだれなのか疑問は消えませんでしたが、最近夫人きんさんの著作『夫山本周五郎』福武文庫 に接し、“おしず”は夫人きんさんその人であることがはっきりとわかりました。)

 そして、話は、しかし、次第に誤解が誤解を呼び収拾がつかなくなっていきます。はらはらどきどきとなりますが、“おしず”の妹のおたかの登場によって小説は急展開を遂げます。おたかのキリで揉み込むような叫びは真実を明らかにし、貞二郎のまごころに再び素直さが灯されていく、、、、。そして、しばらくして帰宅した“おしず”は機敏に貞二郎の心の再生を捉え、そのこころは再び明るい仕合せで満たされていく、、、、、。

 こんな素敵な愛し愛され方があるんだろうか、と喜びが溢れました。そしてこんなにも心の底まで温まる感動を届けてくれた周五郎に対して感謝の気持ちで一杯になり、その作品たちは生涯の友人となりました。

 貞二郎のような不器用な職人気質の人間を自分に重ねつつ、知らないうちにおしずを美智子さんに重ねている自分がいました。



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