「118年前11/26、旅順要塞第三回総攻撃は開始された」日本軍にとって最も苦しい戦局だったが戦い抜いた乃木第三軍将兵に感謝の誠を
本日11/26、118年前明治37(1904)年の11/26は、日露戦の天王山旅順攻略戦の第三次総攻撃開始の日です。
日露戦旅順攻防線については、以前に記しました。
旅順要塞攻略戦は、日露戦の天王山と言える闘いです。
明治37(1904)年8月に始まるこの攻略戦は、要塞線を得意とするロシア軍が徹底的に防備を固めた中で、日本軍の戦略、情報の拙劣によって乃木第三軍将兵が血みどろの労苦を捧げる中で、11月26日の第三回総攻撃の日を迎えました。
いくつかの永久堡塁を奪取したものの、主要永久堡塁はびくともせず、いつ落とせるか見通せない中で、東京の大本営と満州の総軍司令部からは情報、戦略なき叱咤が矢のように飛んできます。
暗中、まさに暗闇の中、第三軍将兵は乃木希典のもと一糸乱れず戦い抜こうとしています。
東北正面を抜かなければ旅順要塞は落ちない、決死を覚悟したいわゆる白襷抜刀隊が敢然と要塞に向かう、28サンチ砲を大量に打ち込み要塞を破壊しにかかるがべトンで徹底的に固めた要塞は崩れない、西北203高地への攻撃展開が図れら、奪い奪われを繰り返しながら12/1後備第十五連隊の決死の活躍もあり、203高地を奪取。
西北の闘いでの兵力の消耗がロシア側にボディーブローのように効いて来ていました。12月半ば、28センチ砲が巡回中の敵将コンドラチェンコを襲います。支柱を失ったロシア旅順守備隊は、坑道を正攻法で進む日本軍に徐々に徐々に押されていきます。
そして、ついに12月末東北正面東鶏冠山、二龍山、松樹山の永久堡塁が落ち、勢いを買った日本軍が敵急所の望台永久堡塁を奪取し、旅順攻防戦に決着をつけるのです。
この戦いに勝てなければ、日本という国が、文明が滅びる、そう思って将兵は死と引き換えに、子孫へ勝利を届けたのです。
今日11/26はその戦いの中で最も厳しい局面であった、旅順攻略戦第三次総攻撃開始の日に当たります。
その意味を噛み締めて、第三軍将兵に深甚の感謝を捧げます。
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