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「小説 雨と水玉(仮題)(70)」/美智子さんの近代 ”映画『雨に唄えば』”

(70)映画「雨に唄えば」

ニューヨーク、ブロードウエイ、『雨に唄えば』という具合に旅行の話が前に向かっていった。
美智子が少し強めに望んだので啓一は押されたようになった。
「あかんことない。
美智子さんが真剣な顔して言うから少しびっくりしただけ。ブロードウエイに『雨に唄えば』を観に行くのはいいと思う。僕もそう言ってくれるのは嬉しい。」
「よかった、啓一さん、もうロンドンかパリに決めてたかと思った。」
美智子はホッとしたようだった。
「でも、今上演してるやろか?それを調べてみる必要があると思う。少しそこが心配やな」
「そうなんや、どこで調べたらいいの?」
「そうやねえ、どこで調べるかを調べてみる必要がありそうやね、
ぼく、少し考えてみるよ。美智子さん、書店に勤めてるからその分野の情報誌とかがあるのか、調べてくれるかなあ?」
「わかった、そうしてみる、詳しい人が職場にいるかもしれへんし」

しばらく考えていた啓一が、
「ところで美智子さん、映画の方はみたことあるの?」
「まだないの、上映したら観に行きたいと思ってたんやけど上映されないから。でも、学生の時、大学の図書館で調べたことはあって、写真とあらすじは知ってる」
「ぼくが四年前に話してから、調べてくれたの?」
「うん、そう」
「ありがとう、嬉しい。
なんか気の利いたこと、言いたいところやけど、
なんも思いつかないわ、ごめんね。」
「また、おセンチになってる、もうそれはあかんよ」
「そやね、
あの、美智子さんの家は、ビデオデッキはあったっけ?」
「うん、この間、お父さんが買ってきたからあるよ」
「今度、ビデオをレンタルして、映画の『雨に唄えば』を一緒に観ようか、ブローウエイミュージカルを観る前に映画を見といた方がいいやろからね。」
(その頃はDVDやBD、オンライン動画などはなく、ビデオレンタルが広まってきたころだった)
「まずそれやね、わかった。
わたし、十三に大きなレンタルビデオ屋さんがあるって、聞いたことある。わたしの高校の最寄りやから場所はわかると思う。そこに行ってみない?」
「善は急げか、よし、行ってみようか」
啓一の方は明日の日曜の午後東京に戻ればよかったので、今日土曜のうちにビデオレンタルできれば今晩か明日に観れるはずだった。

結構な大きなお店で探すのに苦労はしたけれど、幸い名作洋画コーナーのようなところに『雨に唄えば』があったので、早速借りて家路に急いだ。
十三の駅で、美智子が家に電話して父親に今晩の予定を確認したら、どうやら今晩ビデオ鑑賞ができそうということだった。

その晩は、お母さんの手料理の晩御飯を食べ、八時から『雨に唄えば』を皆で観ることになった。美智子は「お父さん、お母さんは見なくていいのに」と言っていたが。

「啓一君は、カラオケでよく唄も歌うそうやけど、洋画も好きなんか?」
「いえ、そんなに詳しくはないんですけど、このミュージカル映画はもうなんと言ったらいいのか、熱烈に好きなんです。」
「ほおー、そしたら集中して観なきゃいかんね。
カラオケの方やけど、この前の連休はいけなかったので今度ぼくの行きつけのスナックに一緒に行こうや。毎週来るんやからどこかで、な」
「はい、この間は体調を悪くしてすみませんでした。来週か、再来週かに行かせてもらえたらと思ってるんですけど」
「よっしゃ、そうしよう、楽しみやな、お母さん」
「ええ」
そうこう話しているうちに、美智子がビデオデッキにビデオテープを入れて、
「はい、始まりますよ、話はしばらくお休みね」
と言い、啓一の横に座った。

映画がはなから賑やかに始まると、コメディタッチで乗りが良く分かり易い話しに皆がすんなりと入っていったように見えた。
美智子は少し前掛かりの姿勢になっていたせいか、いつしか右手を啓一の膝の上に乗せていた。ドンとコズモの見事なリズムの踊りに、いつの間にか啓一が小刻みに身体を震わせていた。たしかに身体の躍動が心に跳ね返ってくるような感覚がある。
両親にもわかりやすいせいか、機嫌良く観てくれている。ときどきお父さんが啓一に、こうだよなあ、という具合に小さい声で話しかけていた。
コズモのメイコンラフ(MakeOnLaugh)、可笑しさと躍動がミックスし好ましかった。
キャシー演じる女優のキュートで勝気な可愛らしさが気に入った。わたしにはこういう可愛さはあるかしら?
撮影セットの中でのドンとキャシーの愛の語らいのとき、啓一の手がそれとなく美智子の背なに触れたように感じた。
そして敵役のリナがとてもおかしかったが、ストーリは展開していき、、、
試写会は悪評の極み、外は雨、
落ち込んだ三人が自宅で話し込むが、希望はいつも真剣に考える者にはやって来る、
グッドモーニング♪グッドモーニング♪
このシーンはすごいと美智子は思った。心臓が出そうなくらいに惹きつけられた。シーンが終わって振り返ると啓一が微笑んで見返した。
すぐにそのあとにメインシーンがやってきて、
美智子の心の中にグッドモーニングで高鳴ったものがゆっくりとさらに一層高まっていく。どしゃ降りの雨というのにどうしてこんなに愉しいのかしら。
ドシャ降りの雨の中だからこそこんなに愉しいんだよ、と啓一が言ったように思ったが心の声だった。
終盤にかけてミュージカル映画の中でミュージカル映画がつくられていく、
ラストはこの映画らしくコメディタッチでハッピーエンド、
楽しい、愉しい時間だった。

観終わると、たか子が帰って来ていつの間にか一緒に観ていた。
「啓一君、面白かったよ、こういう映画がええなあ」
「お父さんに気に入ってもらえてよかったです。お父さん、ラブコメディは好きですよね。そやからこの映画は大丈夫かなとは思ってたんですけど」
「そうや、君とは好みが合うな、やっぱりラブコメディが一番ええよな」
「そうです、そうです、やっぱりラブコメディが一番です(笑)
今度は寅さんを借りて一緒に観ませんか?」
「おお、そうやそうや、それそれ、そうしよ」
するとたか子が、
「こういう話になるとお父さんとお兄さん、波長合うなあ、ほんまに。
二人ともロマンチストやからね」
「そらそうや、たか子。男はロマンチストでないとあかんで。たか子もそういう男性を見つけなさい。
なあ、美智子、そうやろ?」
「あの、雨の中で歌って踊るシーンはよかったわあ、わたし。
愉しいってああいうことを言うんやろって思った。」
「そうそう、お父さんもあのシーンは心躍ったな、最高のシーンちゃうかな」
「ただ、あの前のシーンがあったでしょ、三人で歌って踊るグッドモーニング、あれもすごい。もう完全に乗せられてしまった」
「お兄さんの影響でお姉ちゃんまで、変にロマンチストになってしもたわ」
「たか子ちゃん、『変に』はおかしいでしょ(笑)」

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