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人文、歴史系

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人文系の記事を収録します。政治、金融、経済関係以外の文学、歴史、人間に関する記事と思ってください。政治、金融、国際政治及びそれに関わる社会事象は「世界情勢、歴史、政治、経済、金融… もっと読む
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#乃木希典

「日露戦争旅順攻防戦及び奉天会戦について」/俯瞰及び目次

「日露戦争旅順攻防戦/司馬遼太郎史観に騙されないで」及び「日露戦争奉天会戦/司馬遼太郎史観に騙されないで その1から5」に関する、俯瞰及び目次を、読者の皆さんの便宜のためここに作成します。 1.日露戦争旅順攻防戦/司馬遼太郎史観に騙されないで 2.日露戦争奉天会戦/司馬遼太郎史観に騙されないで 1)その1 2)その2 3)その3 4)その4 5)その5 今後ともご愛読賜りますようお願い申し上げます。 2.その他

「118年前11/26、旅順要塞第三回総攻撃は開始された」日本軍にとって最も苦しい戦局だったが戦い抜いた乃木第三軍将兵に感謝の誠を

本日11/26、118年前明治37(1904)年の11/26は、日露戦の天王山旅順攻略戦の第三次総攻撃開始の日です。 日露戦旅順攻防線については、以前に記しました。 旅順要塞攻略戦は、日露戦の天王山と言える闘いです。 明治37(1904)年8月に始まるこの攻略戦は、要塞線を得意とするロシア軍が徹底的に防備を固めた中で、日本軍の戦略、情報の拙劣によって乃木第三軍将兵が血みどろの労苦を捧げる中で、11月26日の第三回総攻撃の日を迎えました。 いくつかの永久堡塁を奪取したものの

「西郷隆盛」/西郷さんがわからなければ乃木さんがわからず、乃木さんがわからなければ昭和の戦争がわからないのではないか。

西郷隆盛は幕末から明治維新を成し遂げた日本史の偉人であることに異論はないでしょう。 西郷がいなければ明治維新は成し遂げられなかっただろうと言われます。 実際、幕末の混乱から戊辰戦争と続く流れに西郷なかりせば日本はどうなっていたか。 そして維新直後にもそれが現れています。 それは、それまで時勢を動かしてきた薩長首班藩閥政府の連中は尊王攘夷一本で、あるべき日本政府像を持つことなくひた走りに走ってきただけであった、その中で西郷は、それまでの日本の構造をパラダイム転換してしまいます

「日露戦争奉天会戦/司馬遼太郎史観に騙されないで その5:最終/司馬遼太郎と乃木さん」 乃木さんの孤独な闘いと殊勲

 その4までで記してきたことが私の所見になります。もちろん、参考文献に大きく依存しております。    最後に司馬遼太郎と乃木さんについて記しておきます。  司馬遼太郎は「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている、、、」と明るいほのぼのとさえ感じられる書き出しで『坂の上の雲』を始めています。  『坂の上の雲』が、占領米軍による自虐史観を強制されたままの昭和戦後の言論空間に与えた意義を過賞するにやぶさかではありませんし、予定調和に過ぎたとしても歴史物語にはそのような舞台装

「日露戦争奉天会戦/司馬遼太郎史観に騙されないで その2:奉天会戦はじまる」 乃木さんの孤独な闘いと殊勲

 さて、満州に対峙する日露両軍はいよいよ雌雄を決する奉天会戦(明治38年2月~3月)を戦います。 1)奉天とその南方に対峙する日露両軍  露軍は、奉天城を根拠に東西150kmほどにわたり堅牢な陣地を築き、37万の兵を擁しています。一方、遼陽から攻めあがってきた日本軍も沙河、黒溝台の両会戦を制し、露軍陣地と平行に陣地構築し25万の兵をもって対峙しています。この対陣の西部の南南西から北北東へ東清鉄道南満州支線のちの満鉄が縦断しています。 2)日本軍の作戦  日本軍の作戦は、なん