『フレイザー報告書』こぼれ話(16)

引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。

統一教会はM-16ライフル製造に関与したか

 安倍元首相銃撃事件から一年が経ち、各報道機関が関連記事を出すなか、共同通信大阪社会部「マルスム」取材班が、岸家三代と統一教会との関係を調べた、『統一教会と自民党の「本当の関係」 教祖が残した全20万ページの発言録、読み解いて分かった半世紀を超える歴史 「安倍3代」が手を出した「禁断の果実」』と題する記事を掲載した。文鮮明の発言録である膨大な「マルスム(御言)選集」を調べていく作業はさぞ大変だったであろうと思う。
 さて、記事の最後の方で『フレイザー報告書』(記事中ではフレーザー)にも触れられており、そこに引っかかる内容の文章を見つけた。

 報告書は、教団など関連組織の総称として「文鮮明機関(ムン・オーガニゼーション)」と表現した。そして「M16自動小銃の製造に文機関が関わった確かな証拠があった」などと、軍需産業まで関わった工作の数々まで明らかにしている。

『統一教会と自民党の「本当の関係」 教祖が残した全20万ページの発言録、読み解いて分かった半世紀を超える歴史 「安倍3代」が手を出した「禁断の果実」』

 今回は、「文鮮明組織」(当方は"Organization"の訳語に「組織」を採っている)とM16自動小銃(ライフル)の製造について調べていこうと思う。
 (いつもよりも与太話成分高めです)

M-16ライフル

 まず、『報告書』ではどう書いているのか見てみよう。文中、「統一工業」とは文鮮明組織のひとつで軍需産業分野を担当、社長の文成均(ムン・サンキュン)は文鮮明の又従兄弟である。「文のスポークスマン」とは文鮮明の最側近のひとりである朴普煕(パク・ボーヒ)のことで、彼もまた文鮮明組織のひとつである「韓国文化自由財団」の会長である。

 防衛[装備]契約の分野では、文と韓国政府の関係は密接であったが、その具体的な内容は秘密にされていた。国務省の報告書によると、統一工業は韓国政府から防衛[装備]請負業者として指定され、1976年半ばの時点でバルカン砲(戦闘機向け兵器)、韓国の小学生が軍事訓練に使用する空気銃、そして韓国陸軍の歩兵基本武器であるM-16ライフルと組み合わせて使用するM-79グレネードランチャーも製造していた。

『フレイザー報告書』(和訳版)67-68ページ(一部修正)
M-79グレネードランチャー

 統一工業がM-16の製造に関わっていることを示唆する報告は数多くあった。これらの報告は、調査の過程で聞き取りを受けた人々によって繰り返されたが、そのほとんどは、直接関与していない人物によるものであった。……韓国がM-16を生産する権利を得た共同生産契約では、この兵器のすべての構成部品を生産するのは[韓国]政府だけであると指定されていた。
 小委員会は、統一工業の役割について、適切な情報機関および他の行政府機関から確定的な情報を得ようとしたが、その結果は非常に不満足なものであった。M-16の製造、販売、流通に統一工業が何らかの形で関係しているかどうか、アメリカ政府機関は知らなかったようだ。
 ……ニューズウィーク誌のインタビューの中で、文[鮮明]は韓国の産業が政府のために軍備を生産しているかどうか尋ねられた。しかし、その情報が韓国政府によって機密扱いにされているという理由で、文[鮮明]はどの兵器であるかは明かさなかった。
 詳細を伏せたことで、文鮮明機関の広報担当者は、統一工業は空気銃だけを生産し、重火器は生産していないという主張を補強できた。
 元統一教会員や文鮮明機関に近い人物への聞き取りによると、文鮮明の下級信者たちでさえ、このように誤解していたことが分かった。
 文[鮮明]のスポークスマンは、M-16の生産における文鮮明に関連する組織の役割を明確に否定した。朴普煕は、統一工業はM-16の生産とは無関係であるという声明を発表した。
 朴は質問の中で、統一工業がどのような軍備を生産していたかは知らないと述べ、社長である文成均は、ライフルには一切関与していないと断言したという。

『フレイザー報告書』(和訳版)67-68ページ(一部修正)

 『報告書』によれば、韓国政府は1971年、M-16の特許を持っていたコルト・インダストリーズと共同生産契約を結び、上述のとおり韓国政府が独占的にM-16を製造していた(ちなみに、韓国で生産されたM-16は M16A1(603K) と呼ばれている)。ただし生産数は『報告書』には記載されていない。

 では、統一工業はコルト・インダストリーズに対し何をしたのだろうか?  『報告書』の著述は時系列が前後してわかりにくいので、筆者の方で纒めてみよう。

 まず、1977年9月、コルト・インダストリーズに統一工業社長・文成均から突然手紙が送られてくる(13日付)。

 拝啓。弊社は工作機械メーカー、輸出業者、輸入業者のひとつであり、軍需品の供給業者のひとつとして、韓国防衛を目的とした防衛産業にも参加しています。
 この度、弊社はM16ライフル銃身を製造し、東南アジア諸国への輸出を検討しておりますが、韓国政府の承諾を得る前に、承認していただけるかどうか伺いたいと思います。
 さらに、貴国の国防総省の認可が必要かどうかご教示くださりませ。
 上記2、3[段落目]を実現可能とされる場合は、上記プロジェクトの承認・認可を得る方法・手順についての情報をお教え願います。
 どうぞよろしくお願いいたします。引き続き、皆様からのご連絡をお待ちしております。

統一工業、文成均からコルト・インダストリーズへの手紙(1977年9月13日付)

 コルト側はこんな手紙をもらって面喰らったであろう。確かにコルト・インダストリーズは、統一工業とはM-79グレネードランチャーの共同生産契約を結んでいたから、全く面識がなかったわけではない(M-79の製造元もコルト・インダストリーズ)。しかも当時、コルト側は韓国政府側と契約の見直しを考えていた(後述)。だが、契約外の武器の生産(と第三国への輸出)に関し、いきなり内諾を得ようなどとは、根回しと善意に捉えたとしても唐突であろう。
 当然、そんな話にコルト・インダストリーズが乗るはずもなく、統一工業はにべもなく断られてしまう。(なお、コルト・インダストリーズとコルト・ファイヤアームズの関係性については『こぼれ話』(15)を参照)

 M16A1ライフル銃身の製造に関する1977年9月13日付のお手紙ありがとうございます。
 コルト・ファイヤアームズは、第三国への再販売を目的とした自社製品またはスペアパーツの製造ライセンスを発行する立場にありません。当社は、自国の領土内でライフルを使用する国でのみライフルの製造を認可します。
 さらに、米国国務省がそのようなライセンス契約を承認するとは思えません。
 お問い合わせいただきありがとうございます。この件に関する当社の立場をご理解いただければ幸いです。

コルト・インダストリーズ、H・P・ストーン[副社長]から統一工業、文成均への手紙
(1977年9月27日付)

 だが、話はまだ終わらない。1977年10月19日、コルト・インダスリーズのH・P・ストーン副社長は、韓国国防省の高官であるユ・サムソク少将に、M-16ライフルに関する契約見直し案を記した次のような手紙を出した。

 コルト社は米国国務省から、韓国がM16ライフル300,000丁を追加生産することに異議がない旨の通知を受け取りました。
 コルト社がこの修正案を進める前に、支払い方法の修正に同意いただければ幸いです。
 あきらかにこの要求は、引き落とし制限、行政政策および手続きの遅延に起因する、過去1年間に発生した支払い遅延によって引き起こされました。FMSの資金提供プログラムに基づいて信用状を確立することが可能です。現在の年間予想生産量に基づいて支払うべきロイヤルティをカバーする額の信用状を毎年発行し、H・P・ストーン副社長への四半期ごとの最低報酬はライセンス契約第X条第1項、その後の四半期ごとはライセンス契約IX条に基づき支払われる、この方法についてご同意いただけますでしょうか。インフレにもかかわらず、ライフル銃1丁あたり7ドルのロイヤルティは1971年に設定されたままであるため、上記の要求は合理的かつ公正な要求であると考えます。
 また、この修正の時点で履行済み、あるいは適用されなくなった、ライセンスおよび技術支援契約の両方に基づく条項を終了することが適切であると考えられます。
 これらの件についてあなたの同意と意見を受け取り次第、直ちに契約の改訂を進めます。

コルト・インダストリーズ、H.P.ストーンから国防省、ユ・サムソク少将へのテレックス
(1977年10月19日付)

 ところが、ユ少将から何の返事も貰えず、業を煮やしたストーン副社長は、二十日余りのちの11月10日にも、再度テレックスにて返事を促した。

 5日後に返事は来た。ただし、統一工業から。

 1977年9月27日のお手紙ありがとうございます。
 M16ライフルについて話し合いたいと思います。米国にいる担当者が[貴社に]うかがうか、貴社の部下が現在韓国にいらっしゃる場合はここ韓国[でお会いするの]か、どちらの方法が良いかお教え願います。

統一工業からコルト・インダストリーズへのテレックス(1977年11月15日付)

 10月19日でも11月10日でもない、ひと月半も前の9月27日の返信であることが、このテレックスの異常さを表している。なぜ統一工業が韓国政府の代わりに返事をよこしたのか? この2ヶ月間の動きは、韓国政府と統一工業が示し合わせていたのではないのか? 
 こうなってくると、コルト側としても無下に出来ず、即日で返信する。

 1977年11月15日のM16に関する議論に関するテレックスへの返答として、別の約束があるため、現在韓国に行くことが出来ないことを残念に思います。米国にいる貴社の代表者とお会いできると思います。この問題について私と話し合う予定の貴社の代表者の名前と、それがいつ行われるかを教えていただけますか。

コルト・インダストリーズ、H・P・ストーンから統一工業へのテレックス(1977年11月15日付)

 だが、翌週になっても返信が(また!)来ず、コルト・インダストリーズはテレックスにて催促せざるを得なくなる。

 返信は翌日に来た。

 1. 11月16日と22日のテレックスにご協力いただき、誠にありがとうございました。
 2. 政府との事前調整のため、弊社の代表者を派遣するまでにさらに数日かかります。
 3. 調整が完了したら、弊社側の「誰が、いつ」話し合うかを決めます。

統一工業からコルト・インダストリーズへのテレックス(1977年11月22日付)

 「政府との事前調整」。まさに、韓国政府と示し合わせているのではないか。
 ちなみに、このテレックスよりJ・D・チョ営業部長なる人物が統一工業側の窓口となるが、小委員会でもその詳細は掴めなかったようだ。

 6日後の28日、そのJ・D・チョから日程についてテレックスが来た。

 1. 弊社社長が、M16 契約延長について話し合うため、1977年12月12日から16日まで御社を訪問します。
 2. 詳細については後ほど通知いたします。

統一工業チョ氏からコルト・インダストリーズへのテレックス(1977年11月28日付)

 ところが、訪問予定日として示した12月12日になっても、統一工業は具体的な訪問日を通知しなかった。不安になったコルト・インダストリーズは、またまた統一工業にテレックスを出さねばならなかった。

 11月28日のテレックスに関し、12月12日から16日まで弊社を訪問する計画を立てていることに指摘をしたいと思います。
 貴社からはそれ以上の連絡がありませんでしたが、12月21日にはクリスマス休暇のため休業し、新年休暇後に再開することをお知らせしたいと思います。

コルト・インダストリーズ、H・P・ストーンから統一工業、チョ氏へのテレックス
(1977年12月13日付)

 返事は翌日にやってきたのだが、

 1. 1977年12月13日のテレックスありがとうございます。
 2. 弊社社長の文は、12月13日に日本経由で米国に向けて出発しました。
 3. 彼は12月15日ごろ貴社を訪問いたします。

統一工業チョ氏からコルト・インダストリーズへのテレックス(1977年12月14日付)

 二度ならず三度も返事を促さねばならなかったのみならず、訪問日を前日まで通知しないなど、もうここまでいくと、統一工業の態度は度を越して礼を失していると思わざるを得ない。

 1977年12 月、文成均と統一工業の J・D・チョは、コネチカット州ハートフォードにあるコルト・インダストリーズ関係者と会い、韓国で製造された M-16の輸出に同意するよう依頼した。

『フレイザー報告書』(和訳版)67-68ページ(一部修正)

 15日だったかはわからぬが、文中のように文成均はコルト・インダストリーズと会談は持ったようだ。だが一方で、

 12月のコルト社幹部との会談で、文成均は、韓国政府はこの会談を承知しているが、問われれば統一工業が韓国政府の代理として動いていることは否定するだろう、と述べている。

『フレイザー報告書』(和訳版)67-68ページ(一部修正)

 この会談で、統一工業がコルト・インダストリーズと、M-16ライフルの生産に関しどこまで話が進んだのかは不明である。

 ……小委員会のスタッフは、1976年に釜山近郊にある統一工業の工場を見学したアメリカのビジネスマンから聞き取りを行った。彼はM-16向けの「鋳物」製造に使用される機械を視察していた。韓国当局者はそのビジネスマンに、統一工業はM-60機関銃の部品も製造するだろうと語った。朴東宣(パク・トンスン)の元側近であるキム・ジンソクも、小委員会スタッフに対し、統一工業が機関銃の製造に関与していたと語った。キムは、1960年代末から1970年代初めにかけて韓国の防衛産業が強化された際、統一工業は韓国政府から補助金を受けたと述べている。彼の情報は、韓国国防省の高官との会話に基づいており、小委員会が所有する文書は、キムが韓国の防衛生産に関する機密の詳細を知っていたことを示すものであった。

『フレイザー報告書』(和訳版)67-68ページ(一部修正)
M-60機関銃

 ここまで確実に判っているのは、
 1. 統一工業は、それまで(表向きには)M-16ライフルの(部品を含め)製造をしていないにも関わらず、コルト・インダストリーズに部品製造の許可のみならず、その海外輸出も狙っていた。
 2. 統一工業は、M-16の部品を製造するための工作機械を作っていた。
 3. 統一工業は、国務省が把握していないM-60機関銃の部品を製造している可能性がある(韓国における同機関銃の製造請負もまた韓国政府である)。
 4.  以上の話を、韓国政府は承知していると考えられる。

さらに、

 コルト・インダストリーズの関係者によれば、……韓国政府はスプリングからバレル、マガジンに至るまで、M-16に関連するすべてのものを製造したいと考えていた。コルトでさえこの能力はなかった。これに対応するには、コルトは他の数十のメーカーと下請け契約を結ぶ必要があった。

『フレイザー報告書』(原文)77ページ

 すなわち、
 5. 韓国政府は、自国の官製工場のみでM-16の全部品を製造できる能力はない。
 韓国でのM-16生産とは実際のところ、部品のいくつかを国外(すなわち米国)から持ち込む、半ノックダウン生産だったのでは無いだろうか。

 それでは、『報告書』が示唆するように、統一工業はM-16を製造していたのだろうか?
 まず、この「製造」がM-16の完成品なのか、部品の一部なのかという問題である。先に引用した通り、コルト・インダストリーズですら、自社工場内で製造を完結させることは不可能だったことから、完成品を造って売っていたか、と言われると「否」だろう。では、構成部品のいずれかを、韓国政府と極秘で下請け契約を結び、生産していなかったのかと言われれば、その可能性は否定できない。
 だが、おそらく1977年末の段階で、統一工業はM-16製造に関わっていなかった可能性が高いと考える。なぜなら、統一工業は韓国初の国産軍用ライフルであるK2の開発に食い込めなかったからである。

K2ライフル

 K2ライフルに関しては韓国の情報のほうが正確そうなので、そちらから引用してみる。

 国防部は陸軍兵器工廠を国防部直轄に吸収し、1949年12月15日に兵器管理本部を創設し、施設拡充と技術向上に注力したなか、釜山に第一兵器廠を1950年6月15日創設し、……兵器と弾薬の学理的研究と試験製作を目的とする国防部科学研究所を創設した。

namu.wiki「K2ライフル」

 国防部科学研究所は1961年の5.16軍事クーデターにより解体されるが、70年に国防技術研究所(ADD)として再建される。

 1970年3月、韓米両国は韓国におけるM16A1の生産ライセンスに関する覚書を締結した。これにより、米国から資金と技術の支援を受け、釜山の第一兵器廠に生産施設を備えたのち、コルト社にロイヤルティを支払い、1974年3月からM16A1のライセンス生産を開始した。しかし契約ではM16A1の生産数は60万丁までと定められており、そのため、当時70万人に達した韓国軍の正規軍だけでなく、数百万人の予備役軍にもその数量がはるかに足りないという問題があった。こうした問題のため、結局米軍の助けなしに自ら武装を完備しなければならない状況を避けられなくなると、1972年に国防科学研究所で韓国産ライフル開発計画が始まった。

namu.wiki「K2ライフル」

 生産数60万丁というのは契約期間中の総数と考えられる(でなければ韓国側から不満が出るはずもない)。先のコルト・インダストリーズの手紙にあった追加の30万丁という生産数も、やはり総数、しかもプラス30万丁の90万丁を追加で造って良い、という意味ではなく、先の生産総数の半分しか更には造らせない、と解すべきであろう。これでは韓国軍の需要をおよそ満たせなかったことは明らかである。
 しかし、追加の30万丁という数字は誰が言い出したものだろうか。コルト側の手紙を読む限り、韓国政府が要求しアメリカ国務省がOKしたものと読めるが、韓国政府が自らすすんで低い数字を示したとは考えにくい。韓国側の提示した数を、国務省が値切って30万丁にしたのではないだろうか。そして、その段階でおそらく、韓国政府はM-16のライセンス生産契約の更新をあきらめ、ADDで進められていた国産ライフル開発に注力する方向へ舵を切ったのではないだろうか。
 開発に賭けた理由は他にもあった。先の手紙でも触れていたが、韓国政府はコルト・インダストリーズへ、ライフル1丁ごとにロイヤリティを支払わねばならなかったものの、外貨が不足していた韓国にとっては重い負担だった。ましてや、コルト側はロイヤリティを引き上げようとしているのだから、韓国政府が契約更新を渋っていたのは理解できる。

 新型ライフル開発計画は1974年までに開発されたB型ライフルを改良したXB-1型が出てきており、M16A1ライフル部品を活用して4つの試験用のXB-2~5型が開発された。以後1975年から7.62mmNATO弾用XB-6およびXB-6Aが開発され、1977年6月からこれをベースにした5.56mm用ライフルであるXB-7が開発された。その後、1980年にXB-7B型が完成した。最終的には1982年にXB-7C型がXK2になり、ついにXK2が一部の問題点を修正して正式に認可を受け、1984年にK2自動小銃と命名された。以後、韓国軍に制式採用され、K2が量産され始めた。1985年からは前線から配備が開始され、1985年7月1日に整備マニュアルが発行された。

namu.wiki「K2ライフル」

 K2ライフルがM-16ベースといわれるにもかかわらず、開発途中のXB-6Aまで、M-16の使用弾である5.56mm弾ではなく、7.62x51mm弾で開発していたのは、ベトナム戦争のため開発に使える5.56mm弾が不足しており、7.62mm弾を使わざる得ないという事情もあったようだ。そんな苦労もあってか、韓国政府がK2ライフルの完成までに、統一工業とコルト・インダストリーズとのやり取りがあってから数えても、7〜8年も掛かってしまっている。

 K2ライフルの完成が近づいた1981年頃、釜山の生産施設は大宇工業に払い下げられ大宇精密工業(現・SNT Motiv)となり、K2の生産も同社が引き受けることになる。ちなみに、大宇工業はM-16に取り付けるタイプであるM-203グレネードランチャーの共同生産を請け負っていたことがわかっている。

M16A2の銃身下部に取り付けられている
M203グレネードランチャー

 さて、統一工業がM-16の製造に何がしか関わっていたなら、K2の開発・量産にも参画できただろうが、そうならなかった以上は、M-16生産に関するノウハウが無かったと断ぜざるを得ない。では、統一工業が韓国政府に代わり、コルト・インダストリーズへ生産契約を結ぶよう持ちかけたのはどう解釈すべきなのか? おそらく、韓国政府は統一教会が契約出来れば(あわよくば輸出も出来れば外貨も稼げて)ラッキー、出来なくても元々という感じで黙認したのではないだろうか。

 根拠としては弱いが、統一教会がM-16製造に関われなったのではないかという傍証として、韓国で生産されたM-16ライフルの生産数が挙げられる。60万丁以上の生産数を提示した資料が見当たらないのだ。無論、M-16の銃身の製造契約をコルト・インダストリーズと結んだ可能性も無くはない。だが、国務省の目の届かぬところで契約を結び、密造することをコルト・インダストリーズが望んだとも思えない。そもそも当初、コルト側は共同生産契約を望んでおらず、国務省に圧力を受けて無理やり結ばされたというのが真相である。統一教会はそうした事情を承知していなかったのであろう。

 統一教会は文鮮明組織を通じてM-16製造に関わろうとしたが、『フレイザー報告書』が書かれた以降の歴史から見るに、結局のところ関われなかったのではないのか、というのが結論である。だが、防衛産業そのものに関わっていたのは明らかであるし、そのことは朴普煕も悪びれずに証言している。

 すべての韓国国民の第一の義務は、北朝鮮の攻撃から国を守ることに貢献することです。朝鮮半島も中東に負けず劣らず不安定です。北の攻撃による韓国の危機は、イスラエルが敵対的なアラブ諸国から直面する脅威に劣りません。韓国では、イスラエルと同様に、女性を含む全員が防衛産業に従事しています。
 農家は食物を生産しているため、防衛産業に携わっています。最優先事項は前線の兵士たちに食事を与えることです。技術者や道路建設業者が防衛産業に携わっているのは、戦争の際、軍事輸送に十分な道路を確保することが最優先事項だからです。セメント工場の労働者が防衛産業に従事しているのは、彼らの最優先事項が戦闘地域の塹壕や塹壕を強化することだからです。商人や実業家が防衛産業に携わっているのは、彼らの税金で軍隊に装備される飛行機、船舶、大砲の代金が支払われているからです。
 統一工業も例外ではありません。統一は確かに最高級の機械メーカーのひとつであり、針から洗練された軍用器具に至るまで、あらゆる金属製品を生産しています。政府の要求に応じ、ハードウェアや部品を製造するための政府契約を受け入れることが、法律で義務付けられています。それは文師の教えとは何の関係もありません。実際、彼にはこの状況をまったく制御できません。彼は何が生産されたのかさえ知りません。しかし、私が確認したところ、統一はM-16ライフルの製造とは何の関係もないことが確認できました。それでも、国防に貢献できていることをうれしく思います。韓国は依然として戦争状態にあることを忘れてはなりません。銃声は今は静かになっていますが、いつまで続くのでしょうか? 韓国は北朝鮮の侵略を阻止するためにあらゆる手段を講じなければなりません。

文鮮明師に対する1978年6月6日のフレイザー疑惑に対する逐次回答

 そして、兵器で金儲けをしたいドス黒い野望は、1994年のミサイル発射装置付き原潜を北朝鮮へ転売した疑惑へと行き着くのである。


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