『フレイザー報告書』こぼれ話(20)

 引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。

発言人物一覧

○朴普煕(パク・ボーヒ)……統一教会教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)の最側近のひとり。韓国文化自由財団(KCFF)会長。
○ジョン・M・ブレイ……弁護士。

○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長。

『朴普煕聴聞会』を読む〈四〉

 話は1978年4月20日午後に開かれた、統一教会教祖・文鮮明の最側近のひとりである、朴普煕に対する3回目の聴聞会に少しだけとどまる。

 フレイザー:中佐、私たちは1975年12月に開業されたディプロマット・ナショナル銀行(DNB)の所有権の問題に興味があります。1975年秋にDNB株数十万ドル相当が購入されたときの資金源があなただったかもしれない、との情報を私たちは入手しました。
 あなた自身、75,000ドル相当を購入したとすでに述べていますが、これで3,000株を購入したと理解しています。中佐、あなたはこの時期またはその前後に、他人名義のディプロマット・ナショナル銀行株を追加購入するための資金源でしたか?
 朴:その質問を左様に表現されるならば、答えはノーです。私にはその種のお金はありません。そんなお金はありませんでした。
 フレイザー:中佐、他の資金源からかもしれないがあなたを通じて来た資金を、物理的に提供しましたか? あなたは、他人名義で他の株式を購入するための資金を提供する仲介者でしたか?
 朴:委員長、あなたは仲介したと言いましたか、それとも私がそれを提供したのですか?
 フレイザー:何らかの形で関与していましたか?
 朴:はい 。
 フレイザー:他者が彼らの名義で株を購入できるように?
 朴:はい 。
 フレイザー:彼らが誰で、いくら提供したかを示す情報はありますか?
 朴:よろこんで。
 フレイザー:中佐、あなたとあなたの弁護士が同意するのであれば、このように解決させましょう。もしよろしければ、これから仰っしゃろうとなさる内容を名前と金額とともに書面に書き留めて、次回の聴聞会までに私たちに提供していただけますか。
 朴:別の聴聞会を計画されたいのであれば、ディプロマット・ナショナル銀行の株式問題を次回の公聴会でまとめて扱ってはいかがでしょうか? 委員長、私は十分にお答えしたいと思います。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 かくして、第4回目の聴聞会が開かれることになる。当初は翌月5月の11日に開かれる予定だったが、諸事情によりまる2か月後の6月20日にまで延びてしまった。
 本来なら3月の1回で終わるはずの聴聞会が延びまくり、4度目の聴聞会となる小委員会は、今回で終らせるべく、途中休憩を挟みつつ長時間の聴取となった。

 また、この聴聞会には朴夫人、朴の秘書であるサンドラ・クリストファー、ジュディス・ルジューヌ、エレイン・バローズの三人、聴聞会を録音するためのスタッフ(おそらく統一教会信者)を帯同していた。

◎謎だらけの年金基金

 まず前提知識として、ディプロマット・ナショナル銀行株問題とは何かということを短く抑えていきたい。
 同銀行は1975年、韓国系アメリカ人チャールズ・キム博士が設立したが、設立するに当たり、株式の引き受け先を設立委員会にいた米国におけるテコンドーの名士である李俊九(ジューン・リー)に相談を持ちかけたのが間違いのもとだった。なぜなら、李俊九は統一教会の信者でもあったからだ。
 銀行を支配したい統一教会は、教祖・文鮮明から一般信者に至るまで金を借りてまで株を買い漁る事態にまで発展する。さらにそれとは別に、韓国=KCIAのエージェントである朴東宣(パク・ドンソン)にも銀行株式が狙われたことで小委員会が乗り出すことになる。

 先述の、朴がDNB株購入向け資金を渡した相手のリストが(個人を特定されないように加工された形で)提出された。相手は全部で13人、購入総額は738,000ドルであった。

 朴:私自身および統一教会の他の信者と、ディプロマット・ナショナル銀行との関わりについて、ふたつの点について述べておきたいと思います。
 ひとつ目は、投資の目的が完全に正当であることです。ふたつ目は、株式の購入資金源、および購入資金の調達[手段]が完全に合法的であることです。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 朴によれば、韓国や日本の教会では、古参の高齢信者やその家族の生活のために基金や奨学金が存在したという。そして、

 朴:ここ合衆国では、家族支援プログラムを開始しました。より正確には、年金基金プログラムと呼ばれます。この基金は1971年に正式に設立され、私たちの教会のプログラム担当者が責務を担うこととなり、国際統一教会年金基金と名付けられました。1971年頃から1975年にかけて、十分な資金が集まり、良いプログラムの設立を検討できるようになりました。
 私は顧問を務めていたので、国際統一教会年金基金の担当者と私は、信者を助けるというこの目標を達成する方法について話し合っていました。 私の記憶が正しければ、次の可能性について話し合いました。
 ひとつ目は、韓国でやったのと同じように、古参信者のために家を買うことです。ふたつ目は、土地を購入し、住宅プロジェクトまたはアパートを開発することです。みっつ目は、高齢信者が儲かる事業に個人的に投資できるようにするための分配です。
 私たちはこれらすべてのことについて話し合いました。 私は良い可能性に常に目を光らせています。
 その後、1975年の7月か8月だったと思いますが、ディプロマット・ナショナル銀行の株式を購入する機会が、当時銀行の会長兼執行役員最高経営責任者であったチャールズ・キム博士によって私の注意を引き付けられました。キム博士は、次の3つの理由から、これは素晴らしい機会であると私に確信させてくれました。
 ひとつ目は、真新しい銀行の株式を入手できる機会は稀なことです。 新しい銀行が毎日設立されることはありません。私にとって、新しい銀行の初期株主になることは良いビジネス投資です。
 ふたつ目は、この銀行が単なる新しい銀行ではなく、初のアジア系アメリカ人の銀行として連邦政府によって認可されたということで、私は興奮しました。DNB株を購入することで、アジア系アメリカ人の大義にも貢献できるでしょう。
 みっつ目は、これも銀行に投資することで、信者が持っていない良い信用情報を確立できると考えたからです。私は銀行に投資することで2つの重要なことを達成できると考えました。
 まず、古参信者に経済的安全を与えること、これが基金の目的でした。第二に、アジア系アメリカ人の大義を支援することです。これは多くの会員の心に寄り添う、非常に価値のある大義です。
 これに基づいて、私は基金を担当するプログラム担当者に連絡し、アイデアについて話し合いました。 彼もこのアイデアに興奮し、融資を受ける資格のある人の名前のリストを作成するよう申し出ました。 その後、私はリストに載っている人たちに個別に連絡を取り、銀行の考えや融資の可能性について説明しました。
 私の記憶が正しければ、私は各人に必ず次のことを説明しました。
 ひとつ目は、銀行に投資するために融資を受けたいかどうかを尋ねました。私は、この融資は、高齢者の家族の定着を支援する目的で積み立てられた国際統一教会年金基金からのものであると説明しました。また、このローンは無利子で、お金があれば10年以内に返済できるので、他の会員が利用できるようにすることも説明しました。
 ふたつ目、私は、彼らが完全所有者として株式を購入する予定であり、彼らには好きなように株式を扱う権利があると説明しました。 彼らはそれを保持することも、いつでも好きなときに売却することもできました。 株式の目的は、彼らが経済的安全を得るのを助けることでした。
 私が提出したこのリストから選ばれたのは全部で13名でした。13人は日本人5人、韓国人5人、ドイツ人2人、アメリカ人1人で構成されています。全員が感謝し、ぜひ融資を受けたいと言いました。私は彼らに購入申込書に署名するように頼みました。
 ここで言っておかなければならないのは、彼らのほとんどは日本人か韓国人だったため、株の入手方法について何も知りませんでした。彼らは私に彼らを助けてほしいと頼んだので、もちろん喜んでそうしました。私は国際年金基金からお金を受け取り、会員が署名した購読用紙を受け取ったので、それをお金と一緒に銀行のキム博士に持って行きました。
 国際統一年金基金の資金は会員の寄付によって賄われています。 韓国政府からは一銭も出ていないし、もちろん韓国CIAからも出ていません。 この提案はばかげており、私たちの目標は銀行を乗っ取ることではありませんでした。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 問題は株購入の資金源とされた『国際統一教会年金基金』なるものの実態である。

 フレイザー:中佐、あなたはこの基金を何と呼びましたか ーー
 朴:国際統一教会年金基金。
 フレイザー:この基金はどこに維持されていたのでしょうか?
 朴:私はプロジェクト担当者ではありませんが、教会施設があるニューヨークで一般的に維持されていたことは知っています。しかし、現時点では日本にあります。この年金基金は日本に本部を置いています。
 フレイザー:1971年にニューヨークで始まりました。それがあなたの証言ですか?
 朴:はい、非公式かつ非常に大まかに、です。
 フレイザー:非公式かつ大まか?
 朴:はい。
 フレイザー:なぜ、「非公式かつ大まか」という言葉を使うのですか?
 朴:いかなる法的文書も作成されておらず、いかなる正式な会合や登録も行われていなかったため、法人として設立されたものではありません。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 朴:まず第一に、それは非常に非公式な場で起こりました。文師は私にその問題を調べるよう頼まれました。
 フレイザー:何を調べる、ですって?
 朴:家族支援プログラムを検討することを、です。
 フレイザー:しかし、中佐、私たちは今、基金について話しています。
 朴:はい 。 そこで私はプログラム担当者を任命し、この特別な責任を教会の指導者の一人に割り当てました。
 フレイザー:ちょっと待ってください。どのような責任を割り当てましたか?
 朴:家族支援プログラムや年金基金など、何らかのプログラムを設立することです。
 フレイザー:そのプログラム担当者に基金を設立する責任を特に与えましたか?
 朴:はい。
 フレイザー:彼の名前は何でしたか?
 朴:その名前は日本人メンバーの石井氏です。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 石井光治。彼こそが前回の第三回聴聞会で、朴が1972年から1974年にかけて3回、計223,000ドルもの大金を借りながら約束手形も作らず、聴聞会直前になって慌てて作った、あの貸主である。

フレイザー:基金の設立は石井氏にお願いしたんですか?
 朴:はい。
 フレイザー:さて、それでは何が起こったのでしょうか? 実際にこの基金はいつ設立されたのですか?
 朴:私は存じません。私はプロジェクト担当者ではないので、基金については詳しく承知していません。
 フレイザー:しかし、あなたは彼に責任を割り当てましたか?
 朴:はい。
 フレイザー:彼はそれを始めたときにあなたに言いましたか?
 朴:それは大体1971年に起こりました。私にはそれについての正確な記憶がありません。
 フレイザー:彼は何をしましたか?
 朴:彼は、ご存知のとおり、その目的のために資金を集められる可能性を検討し始めました。その後、この基金はゆっくりと、しかし確実に統一教会の会員からの寄付として集まりました。
 フレイザー:当時、物理的に基金はどこにありましたか?
 朴:ニューヨークのタリータウン地区だと思います。私は存じません。どこにあるのか特定できません。
 フレイザー:それがどこにあったか分からないのですか?
 朴:はい。
 フレイザー:銀行にありましたか?
 朴:存じません。
 フレイザー:中佐、それが銀行にあったかどうかはわかりません。あなたは宣誓の上で、知らないとおっしゃっているのですか?
 朴:わかりませんがーー
 フレイザー:かもしれないとーー
 朴:なんですって?
 フレイザー:それは銀行にあったかもしれないが、ここであなたはそれが銀行にあったかどうかについて実際には何もご存じないとおっしゃるのですか?
 朴:私が関わっているのはすべて現金です。したがって、彼らが銀行口座やこれらすべての分野を、持っているかどうかはわかりません。 私の答えは「わかりません」です。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 フレイザー:基金を立ち上げるにあたって、石井氏は何とおっしゃっていましたか?
 朴:はい。私の記憶によると、彼は大体、このプログラムはどういうわけか開始されており、旅行でこの国に来る統一教会の信者たちから寄付が入ってきている、と言っていたと思います。ご存知のように、委員長、私たちは1972年から1975年まで、そして1976年に至るまで、多くの[世界統一]十字軍や集会を行ってきたため、世界中の統一信者が米国に非常に多く旅行してきました。何千人もの人々がやって来ると思いますが、彼らは通常、必要な旅費を持ってやって来ます。彼らは確かに自分の取り分の一部を教会の活動に寄付したいと考えています。ですから、もちろん、直接の活動、十字軍、教会の目的、あるいは年金基金など、教会のために有効に活用されるのは会員の願いであり、石井氏はその資金源を通じて寄付を得ています。
 フレイザー:そして彼は彼らに何をしたのでしょうか?
 朴:どうやら貯めていたようです。
 フレイザー:どこに?
 朴:存じません。
 フレイザー:1971年末までに彼はいくら貯めましたか?
 朴:思いつきません。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 世界統一十字軍とは統一教会信者の伝道部隊である。米国信者、世界各地からタリータウンの研修所にやってきた伝道者からの寄付によって基金なるものが成り立っていたことはほぼ間違いないようだ。

 フレイザー:中佐、なぜこれが非公式かつ大まかに開始されたと言えるのですか?
 朴:その年は、一般的に、私は彼に指示しました。それがその年だということはわかっていますーー
 フレイザー:正式な会合がなかったことがどうして分かるのですか?
 朴:私自身、覚えていません。
 フレイザー:あなたは関与していませんでしたか?
 朴:もしそのような正式な会議があるなら、そのような正式な会議があったなら、私はその正式な会議に参加していたに違いありません。
 フレイザー:もし銀行口座を開設するための会議があったなら、あなたはそれを知っていたでしょう?
 朴:いいえ、彼らは確かに私の知らないうちにそれを行うことができました。
 フレイザー:法的書類が作成されていないことがどうしてわかるのですか?
 朴:見たことがないですから。
 フレイザー:でも、もしかしたらあったかもしれない?
 朴:わかりません。
 フレイザー:理解に苦しむところです。あなたはこれが非公式かつ大まかに始まったと言いました。 石井さんにファンド立ち上げの指示を出したと。その後の基金については何もご存じないようですね。
 朴:はい、委員長。
 フレイザー:したがって、おそらくそれは非常に正式に設立されたのでしょう。もしかしたら文書があったかもしれないし、登録されていたかもしれません。
 朴:わかりません。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 フレイザー:さて中佐、基金が1971年に開始されたことをどうして承知しましたか?
 朴:その人物と話し始めたのがその年だからです。
 フレイザー:はい。しかし私が知る限り、彼がその後何をしたかについてはあなたは何も承知してません。
 朴:まあ、私はそれについてあまり知識がありません、そしてーー
 フレイザー:1971年に始まったことがどうしてわかりますか? あなたは彼にそれを始めるように指示しましたか?
 朴:はい。
 フレイザー:それが起こったことをどうやって知りましたか?
 朴:そうですね、彼がそれが起こったと私に言ったからです。
 フレイザー:彼はあなたに何と言ったのですか?
 朴:彼は年金基金を設立しましたが、私たちにも当時の名前の年金基金はありません。私たちはその目的のために寄付を集め始めます。 それが始まったのだと思いました。
 フレイザー:いつからその名前が付けられたのでしょうか?
 朴:名前は付けられていません。
 フレイザー:それは後で起こりましたか?
 朴:はい 。
 フレイザー:いつ?
 朴:いつになるか分かりません。
 フレイザー:1972年?
 朴:私は存じません。
 フレイザー:1973年?
 朴:わかりません、委員長。
 フレイザー:1975 年までにその名前が付けられたのでしょうか?
 朴:わかりません、委員長。
 フレイザー:それは付いていますか?
 朴:わかりません、委員長。
 フレイザー:基金の名前は何ですか、中佐?
 朴:その基金を私が定義するなら、すでにお話ししたように、「国際統一教会年金基金」と定義します。
 フレイザー:いつからその名前が付けられたのでしょうか?
 朴:私には記憶も記憶もありません。 何も分かりません。
 フレイザー:もしご存知であれば、そのような名前があるという考えを初めて頭の中に思いついたのはいつですか?
 朴:私たちは、家族支援プログラムや家族定住プログラムなど、非常に多くの種類の名前について話してきました。
 フレイザー:それらの議論はいつ始まりましたか?
 朴:わかりません。
 フレイザー:さて、あなたが私たちに与えた名前に最終的に落ち着いたのはいつですか、あるいは誰かが落ち着いたのですか?
 朴:記憶がありません。
 フレイザー:記憶がない?
 朴:いいえ。
 フレイザー:先週だったでしょうか?
 朴:いいえ、もちろん、先週のことではありません。
 フレイザー:どうでしょう、今年の初めまでにそのような名前は存在していましたか?
 朴:推測することはできません、委員長。
 フレイザー:中佐、あなたがよく知っている教会の内部記録のどこかにこの基金の名前が書かれていますか?
 朴:知識がありません。
 フレイザー:あなたが知っている限り、教会が保管している印刷物や記録物のどこにも、あなたが今日ここで私たちに与えた名前の下にあるこの基金についての言及はありませんか?
 朴:知識がありません。
 フレイザー:まあ、あなたが知識を持っている限り、そのような名前がどこにも現れていることに気づいていません。そうですか?
 朴:石井氏はいくつかの書類を所持していました。紙が何であれーー
 フレイザー:私は石井氏のことを言っているのではありません、中佐。あなたが知っていることについて質問しています。
 朴:ですから、いいえ。
 フレイザー:この基金名を初めて使い始めたのはいつですか?
 朴:私は知らない。私は知りません、と言いました。
 フレイザー:初めて使い始めたのはいつだったかわかりませんか?
 朴:はい。
 フレイザー:今年ずっと使ってましたか?
 朴:長年は何を意味するのでしょうか?
 フレイザー:すいません、1978年1月1日以来です。
 朴:それよりもはるかに古いことは確かですが、正確にはわかりません。
 フレイザー:SEC(訳註:米国証券取引委員会)の調査に対処するために、ここ数か月の間にこれをでっち上げたわけではありませんね?

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 読者のみなさんなら、いつ設立されたかわからない、存在していた記録も残っていない、最近まで名称も無かったような基金から金を借りるであろうか? フレイザー委員長が思わず「でっち上げ」と言ってしまうぐらいに、この年金基金なるものの存在はあやしいと言わざるを得ない。

◎朴普煕が借りた金の源は?

 フレイザー:まあ、中佐、それはちょっと置いておきましょう。前回の証言に関連して、あなたが石井さんに執行した約束手形3枚を私たちに渡してくれたと思いますが、そうですか?
 朴:はい。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 フレイザー:さて、これらの融資は統一教会年金基金からのものでしょうか?
 朴:私は存じません。それはわかりません。私は石井氏を知っています。それは年金基金である可能性もあれば、民間基金である可能性もあります。
 フレイザー:中佐、あなたは石井氏に年金基金の設立を指示した人です。そうじゃないですか?
 朴:はい。
 フレイザー:あなたは彼から合計数十万ドルを借りたが、そのお金がその年金基金から来たのかどうかはご存じでないと今おっしゃるのですか?
 朴:はい。
 フレイザー:あなたはご存じない?
 朴:はい。
 フレイザー:彼はあなたに言いましたか?
 朴:いいえ。
 フレイザー:彼は裕福な人なので、これらの融資を組むことができるのでしょうか?
 朴:彼は非常に有能で、個人的に裕福とは言えませんが、非常に有能で有能なリーダーです。
 フレイザー:これらの融資はその年金基金からのものである可能性があります。そうですか?
 朴:私は知らないと言うだけです。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 朴:委員長、はっきりと知っておいていただきたいのですが、ここアメリカに年金基金はあります。ディプロマット・ナショナル銀行でさえ議論されるずっと前から、お金はここにあり、年金基金はここにありました。ここにあったんです。お金は日本から持ち込まれませんでした。そしてこのお金は彼が日本から持ってきたものです。つまり、この資金源は日本にあるのです。しかし、ここアメリカには年金基金があります。2つは別のものです。これは個人的な取り決めです。年金基金は一種の公共のものです。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 だが、これまでも引用した通り、年金基金の原資には海外信者からの寄付も含まれ、実態はまったく不明である。かたや朴が石井から借りた巨額融資も、石井のポケットマネーから出ているとは到底思えない。石井からの融資と年金基金からの融資に如何ほどの差があるというのか?

 フレイザー:あなたは石井氏が1975年に年金基金を日本に移管したと言いました。そうですか?
 朴:いいえ、委員長、1976年の終わりだったと思います。
 フレイザー:1976年末?
 朴:はい。その頃です。
 フレイザー:移管には何が関係していましたか?
 朴:すみません、委員長?
 フレイザー:アメリカから日本への移管には何が関係していましたか?
 朴:彼は日本国外で年金基金を運営していました。
 フレイザー:この基金はそれ以前は米国にありました。そうですか?
 朴:何であれ、当時彼らが持っていた資金がどうであれ、そう、それは米国にありました。
 フレイザー:では、その基金はどうなったのでしょうか?
 朴:私は存じません。彼は基金の残りを日本に持ってっているかもしれません。私は知りません。 繰り返しますが、私はプロジェクト担当者ではありません。 私はプログラム担当者ではありません。
 フレイザー:はい。ですがあなたは彼に指示を与えたのです。
 朴:繰り返しになりますが、カウンセラーとしてです。これは私が大まかに、と言っていることです。
 フレイザー:彼が日本に移管したことをどうやって知りましたか?
 朴:彼が私に言ったからです。
 フレイザー:彼はあなたに何と言ったのですか?
 朴:1976年の状況は、ご存知のとおり、1976年9月18日、文師はおそらくワシントン最大の宗教運動である『ゴッド・ブレス・ アメリカ ・フェスティバル』をワシントンで開催しました。そのため、その瞬間まで、私たちは全国で大規模な運動を行いました。非常に多くの統一教会信者が、日本を含むさまざまな国から米国へ入国しました。この出来事が終わった後は、重点が米国から欧州に移ったため、私たちはさらなる運動を計画しませんでした。そのため、交通量は沈静化、つまり緩和されました。
 それが、米国に来る会員の流入がこれ以上なくなった理由であり、これが、石井氏がスタッフと、新聞社、年金基金に関係する事務所が何であれ、スタッフを連れて日本に移住することを決めた理由です。日本国外で活動していました。
 フレイザー:彼は資金を物理的に送金したのでしょうか?
 朴:委員長、私には知識がありません。
 フレイザー:彼がいくら移管したかご存知ですか?
 朴:いいえ、委員長。
 フレイザー:彼がどのような形で移管したかご存知ですか?
 朴:彼は銀行経由で送金することも、現金で送金することもできると理解していますがーー
 フレイザー:中佐、彼が何をしたかご存知ですか?
 朴:私は存じません。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 朴が言及している伝道イベントの直後、1976年9月30日に文鮮明組織のひとつであるFLF(自由リーダーシップ財団。国際勝共連盟のアメリカ支部)のニール・サロネン会長が、非公開ながらも小委員会の聴取を受けている。政治的追求が文鮮明にまで及ぶことをおそれた教会が、あらかじめ資金移動をしたとも考えられる。

 フレイザー:中佐、彼は1971年から1976年の間に、基金の残高についてあなた、または統一教会の他の役職者に何か報告をしましたか?
 朴:1975年と1976年に、彼が統一信者にいくら融資したかと?
 フレイザー:彼は理事会や管理委員会、あなた、文師、あるいは誰かに書面で報告、あるいは口頭でも報告をしましたか? 彼は基金の状況について報告をしましたか?
 朴:いいえ、委員長。
 フレイザー:報告はありませんか。
 朴:いいえ、委員長。
 フレイザー:それで、彼以外には誰もそこにいくらあるのか承知してませんか?
 朴:それはほとんど私たちの日本の教会の影響下のようなものであり、ここ米国に来て以来、しばらくの間ここに存在し、ここで活動しているにもかかわらず、ほとんど日本の教会の権力下のようなものです。それはある意味、日本の教会に完全に依存していた――
 フレイザー:彼が移籍する前の話ですね?
 朴:はい。
 フレイザー:あなたは、1971年に基金を設立するよう彼に指示を出したとおっしゃる。その基金を彼は1976年に日本へ移した。
 私の質問は、その5年間に、彼はあなたに、文師に、指導者グループに、誰かに、基金にいくらあるのか、どこに保管されているのか、あるいは基金について何か報告をしたことがありますかということです。
 朴:いいえ、銀行の問題が浮上したときと同じように、私たちは何気なく基金について話し合いました。
 フレイザー:彼はその中にどれくらい入っているかをあなたに話したことがありますか?
 朴:正確には違います。
 フレイザー:それとも大体?
 朴:はい。
 フレイザー:いくら入ってましたか?
 朴:つまり、私たちがどれだけ持っているかということではありません。 私はおそらく次のような形で尋ねました。この種のプログラムに資金を割いてくれませんか、と。当時の金額はおよそ80万ドルでした。それで、年金基金は、私が言ったように、高齢会員への融資として、約100万ドルレベルの投資をする余裕はあるでしょうか、そして、私はそれを受け入れることができると思います、と彼は言いました。
 フレイザー:それはわかりました、中佐。私たちはそれについて触れていきたいと思います。 その取引や、ディプロマット・ナショナル銀行の株をすべて買うのに十分な資金があるかどうかについての問い合わせ以外に、彼は基金にいくらあるのかについて、あなたや他の誰かに報告したことがありますか?
 朴:いいえ、委員長、いわゆる報告という意味ではなくーー

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 基金の残高も聞かず、「80万ドル出せる?」「いいよ」みたいな軽い会話で金が出るとは。

 フレイザー:彼はその基金の責任者だったのでしょうか?
 朴:はい。
 フレイザー:彼は教会を代表して基金の責任者だったのでしょうか?
 朴:教会を代表して、はイエスです。アメリカ教会としては、ノーです。それはアメリカ統一教会の実体の一部ではありません。
 フレイザー:それは何の一部ですか?
 朴:これが、私がこれが非常に緩やかに組織された組織であり、より正確に定義されていると述べた理由です。今、この疑問が生じたので、それはむしろ日本の教会の一部であると言えます。
 フレイザー:最初から、1971年に遡りますか?
 朴:はい。
 フレイザー:それは日本の教会の下にあるはずだったと?
 朴:先ほども述べたように、法的な定義は示されていません。
 フレイザー:法的な定義がなされたかどうかにかかわらず、基金は誰の後援のもとに設立されたのでしょうか、中佐?
 朴:石井氏です。
 フレイザー:さて、彼はそれを実行する代理人でした。それはアメリカの教会でしたか、それとも日本の教会でしたか?
 朴:それはアメリカの教会ではありません、決してそうではありません。
 フレイザー:アメリカの教会ではないですか?
 朴:いいえ。
 フレイザー:日本の教会でしたか?
 朴:そのように定義されていませんでした。
 フレイザー:では、それはどのように定義されたのでしょうか?
 朴:おそらく、この特定の組織は当時存在していなかったので、おそらくそれは仮説であると非常によく定義できます。もしこの国際年金基金を定義するならば、それはアメリカ統一教会、日本統一教会とは別の国際統一教会の下に置かれるべきであります。しかし、国際統一教会は1976年に法人化されたと思います。繰り返しになりますが、ある種の活動は続いていましたが、実体はありませんでした。
 フレイザー:そうですね、中佐、それが世界中の統一教会の一般的な考えの下にあったにせよ、何であれ、あなたには石井氏にそれを始めるように指示する権限がありましたよね?
 朴:ええとーー
 フレイザー:少なくとも、あなたは彼に始めるように頼んだわけで、[彼は]そうしたと思っていましたよね?
 朴:権限の定義を正確に知りません。
 フレイザー:そうですね、あなたは彼にそれを始めるように頼んだのです。あなたはすでにそれを証言しました。
 朴:そうですね、私はただ「その件を調べてください」と言いました。私は彼がそうするのにふさわしい人物であると促し、彼にそう言いました。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 基金ができたあとにそれを管轄する団体をこさえる?

 フレイザー:中佐、あなたは 1971年に石井氏にこの基金の設立を指示しました。本日のあなたの証言によると、次にあなたが彼とこの基金について話したり、それに関する情報を得たのは約4年後、ディプロマット・ナショナル銀行の株式購入のため、基金からの資金提供の可能性について尋ねたときでした。
 私は明確にしておきたい。あなたは、その間の4年間、基金やその状況、基金にどれだけの資金が入っているか、その他基金に関するその他の会話はなかったとおっしゃっていますが、そうですか?
 朴:いいえ。何らかの会話があるはずです。いくつかあるはずです。
 フレイザー:いくつか覚えていますか?
 朴:覚えていませんが、たくさんの会話があったはずです。
 フレイザー:それらから何を学びましたか?
 朴:そうですね、私の声明で述べたように、私たちは時々、それを俎上に載せる前に何が最善かを話し合うことがあります。 私たちは、土地を探すべきか、アパート・プロジェクトを探すべきか、先ほども言ったように融資を、無利子の全額融資を提供するかについて話し合いました。 私たちはそうした会話を何度も繰り返したと思います。
 フレイザー:基金の活動について頻繁に会話していたのですね。
 朴:基金の活動ではなく、基金に関することを。はい。
 フレイザー:可能なプロジェクトを。
 朴:はい。
 フレイザー:その過程で、そこにどれだけのお金が入っているかを知ったことがありますか?
 朴:いいえ。
 フレイザー:一度もない?
 朴:はい。そこにお金があったことは知っています。そこにいくらかのお金があります。その特定の基金にいくらかのお金が蓄積されていることは知っていますが、金額に関しては、口座に正確な金額を受け取った記憶はありませんでした。
 フレイザー:そして、そのお金がどのように保管されているかを彼はあなたに話しましたか?
 朴:いいえ、委員長。
 フレイザー:全くない?
 朴:いいえ。
 フレイザー:彼に銀行口座を持っているかどうか尋ねましたか?
 朴:いいえ:私はそれを尋ねませんでした。
 フレイザー:興味がありませんでしたか?
 朴:そうですね、私たちは信頼して運営しています。私は彼のやることは何でも信頼します。彼を信用しています。それが私たちの運営方法です。書類があまりないのはこのためです。
 フレイザー:あなたの知る限り、それは現金で保管されていましたか?
 朴:まあ、それが認識でした。もちろん、銀行との取引については、それが私の認識でした。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年6月20日)

 さて、国際統一教会年金基金から出された金はどのように朴普煕の手に渡ったのか? それは次回で。

〈五〉につづく。


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