『フレイザー報告書』こぼれ話(13)

 引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。

発言人物一覧

○ダン・フェファーマン……自由リーダーシップ財団(FLF)評議会メンバー。1974年当時は事務局長。
○マイケル・D・ゴールデン……弁護士
○ジョン・ニデッカー……ニクソンおよびフォード政権時の特別補佐官

○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長

『ダン・フェファーマン聴聞会』を読む〈前〉

 1977年7月28日、下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会(フレイザー委員会)にて、自由リーダーシップ財団(FLF)評議会メンバーであるダン・フェファーマンの聴聞会が開かれた。これまで文鮮明組織の元職員には聴取していたものの、現役の文鮮明組織員へ対する、記録に残る聴聞は初である。(フレイザー委員会は幾度か文鮮明や側近である朴普煕(パク・ボヒ)に、委員会への聴取に応じるよう招致したが断られ前年9月30日にニール・サロネンFLF会長へ聴聞が行われたものの、聴取内容は非公開であった)。今回は強制力のある召喚令状を出した上での聴取である。

◎信教の自由と政治

 聴聞会は冒頭から波乱を予感させた。

 フェファーマン:委員長、小委員会のメンバーの皆様、私は記録のために、私がここに召喚令状と抗議の下にいることを最初に述べたいと思います。 私がこの小委員会の前に召された本当の理由は、私が文鮮明牧師の信奉者であり、統一教会の信者であるためです。
 ここ数週間、この小委員会は全国の統一教会の信者と元信者に連絡を取ってきました。ここにあるのは善意の調査ではなく、納税者を犠牲にした、さらに重要なことには、統一教会の信者とすべてのアメリカ人に与えられた、修正第1条であるところの信仰および結社の自由の保護を犠牲にした、別件捜査であります。これは、合衆国憲法修正第1条の精神に反するという理由で、下院非米活動委員会 (後のHSIC (House Internal Security Committee、国内安全委員会)) の廃止を非常に強く主張した国会議員からも特に好ましくありません[との意見があります]。マッカーシズムは、それが左派に対して実行された場合にのみ好ましくなく、共産主義に反対する宗教家に対して実行された場合は好ましくなくないのですか?
 なにより委員長、この調査の本当の標的は誠実さに疑う余地のない御方ではないのか、と私は心配しています。文鮮明がKCIAのエージェントであると考えるのは、彼を知っている人なら一笑に付すことです。しかし、文師は大きな話題を呼んでいます。ニューヨーク・タイムズから、アメリカ共産党の[機関紙である]デイリー・ワールドに至る全国の新聞が、小委員会が入手した機密情報を開示する際、一貫して「小委員会の情報源」を引用していることに、私はゾッとします。この小委員会が、今日の私の証言を機密として保護することを期待できることを願っています。
 この小委員会の権限に内在する優先事項に関して深刻な疑問があります。 とはいえ、その権限にふさわしい質問には、率直かつ率直にお答えします。 私は、今日であれ何時であれ、私の宗教的信念を共有する個人との関係について話し合うことを控えるという、修正第1条に基づく私の権利を犠牲にすることはありません。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年7月28日)

 いきなり合衆国憲法修正第1条を盾にしての拒絶姿勢である。
 これは当然想定の範囲内であり、フレイザー委員長は以下のように切り返す。

 フレイザー:宗教団体の政治的およびその他の公的な世俗的活動に対する議会の調査の妥当性は、法廷で直接争われたことはありません。しかし、非宗教団体の活動に関係する事件では、憲法修正第1条は議会の調査を絶対的に妨げるものではなく、さらに、合法的な議会調査の情報ニーズは、関連する私的利益とのバランスを取らなければならないと主張しています(Barenblatt v. U.S., 360 US, 109 (1959))。一般的に、裁判所は議会の調査に有利な判決を下しています。
 議会の調査以外の実際の状況で政教分離の紛争を裁定した事例は、修正第1条が宗教団体の活動に対する議会の調査に対して、非宗教団体の活動よりも大きな制限を課していないことを示唆しています。修正第1条の信教の自由には2つの側面があります。1つは宗教の設立に関するものであり、もう1つは宗教の自由な行使に関するものです。前者は、後援、財政支援、および宗教活動への、連邦政府の積極的な関与を暗示しています。連邦政府によるこの種の活動の禁止は、絶対的ではありますが、私たちの調査には関係ありません。私たちの調査に対するいかなる憲法上の異議申し立ても、間違いなく、それが宗教の自由な行使を侵害していると主張するでしょう。
 ただし、設立条項の保護とは異なり、裁判所は、宗教の自由行使の修正第1条による保護は絶対的なものではないと判断しました。このように、初期の判例では、法律は「単なる宗教的信条や意見に干渉することはできないが、慣習には干渉でき」るとされ(Reynolds v. United States, 98 U.S.145, 166 (1878))、そして「犯罪は、特定の宗派が「宗教」として指定する可能性のあるものによって裁可されているので、さほど憎むべきものではありません」(Davis v. Beason, 133 U.S., 333, 345(1890)(モルモンの一夫多妻事件)。最近の関連する訴訟の傾向は、信念と行動の違いにあまり焦点を当てていないことですが、言論の領域と同様、それが説得力ある理由で正当化されるのが証明出来るなら、主張される宗教の自由に対する世俗的な政府の利益とのバランスを取り、前者を維持することです(Shebert v. Verner, 374 U.S. 398, 403, 406-409 (1963))。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年7月28日)

 ここでフレイザー委員長が掲げた判例を1つずつ見ていこう。
 Barenblatt v. U.S. は、下院非米活動委員会(HUAC)の活動は憲法修正第1条に反していないとの判決(ただし5対4の判決である)を下した裁判である。
 次の2つの判例は、モルモン教における重婚の教義に関するもので、Reynolds v. United States は、重婚を禁止する法律は、合衆国憲法修正第1条に反しないとの判決が下された裁判、Davis v. Beason は、宗教行為は国の法律の下に従属しなければならないとした裁判である。
 Sherbert v. Verner は、信仰の安息日である土曜日に働くことを拒否し解雇された場合は失業手当を受け取ることができない、と裁定した州法に対し、憲法修正第1条の自由行使条項は、失業手当要件を決定する権限を有しないとした判決が下された裁判である。

 特にReynolds v. United States は、信教の自由行使事項に関する初めての裁判として重要であり、意見書では憲法修正第1条の成立過程までさかのぼり、修正第1条の原型となったバージニア信教自由法を起草したトマス・ジェファーソン(のちの第三代合衆国大統領)が綴った、次の一節を引用した。

 宗教は人間とその神との間にのみ存在する問題であり、人間は自分の信仰や崇拝に対して他に何の責任も負わないこと、政府の正当な権限は意見ではなく行動のみに及ぶことをあなたと共に信じ、  私は、議会が「宗教の確立を尊重したり、その自由な実践を禁止したりする法律を制定するべきではない」と宣言したアメリカ国民全体の行為を、最高の敬意を持って熟考し、教会と国家の間に分離の壁を築きました。良心の権利を擁護する国民の最高の意志のこの表明を固く守りながら、私は、社会的義務に反対する自然権は人間にはないと確信して、人間にすべての自然権を回復させようとする感情の進展を心から満足して見るつもりであります。

ダンベリー・バプテスト教会に宛てたジェファーソンの手紙(1802年1月1日)

 すなわち、

  法律は行動の統治のために作られ、単なる宗教的信念や意見を妨げることはできませんが、慣習を妨げることはできます。人間の生贄が宗教的崇拝の必要な部分であると信じているとしたら、彼の住む市民政府が生贄を妨げるために干渉することはできない、と真剣に主張されるのでしょうか? あるいは、亡き夫を火葬する薪の上で自ら焼かれることが、自分の義務であると妻が宗教的に信じている場合、彼女が自分の信念を実践するのを妨げることは市民政府の力を越えているのでしょうか?
 それでここでは、米国の排他的支配下にある社会組織の法律として、多妻結婚は認められないと規定されています。宗教的信念を理由に、自分の慣行と反するものを免ずることはできますか? これを許可することは、公言されている宗教的信念の教義を国の法律よりも優れたものにすることであり、事実上、すべての市民が自分自身の法律になることを許可することになります。 そのような状況下では政府は名ばかりの存在となります。

Reynolds v. United States意見書

 最高裁判事モリソン・ウェイトはこの裁判にあたり、修正第1条起草の見解を知るべく、ジェファーソンの遺した記録に当たり、この手紙を見つけ出したという。ウェイト判事が助言を求めたのが隣家に住む著名な歴史家ジョージ・バンクロフトだったのは、偶然であり適切であったと言えよう。このジェファーソンの〈教会と国家の壁〉という理念は、その後の修正第1条をめぐる裁判(例えば前出のDavis v. Beason)において基本的考えとなっていく。
 そしてこの聴聞会では、まさに統一教会および文鮮明の組織がおこなった行動こそが問われてゆくはずだった。だが、この小委員会は重大な欠点をはらんでいることがあきらかになっていく。

◎プロジェクト・ウォーターゲート

 この日の聴聞会は、1973年晩秋から1974年8月のニクソン米国大統領辞任に至るまでのウォーターゲート事件(統一教会ではウォーターゲート“危機”と呼称している)における統一教会のニクソン弾劾反対運動「プロジェクト・ウォータゲート」に関する質疑に集中した。
 プロジェクト・ウォータゲートに関する年表を以下に掲げておく。

1973年11月初旬……統一教会のコンサルタントであるジョセフ・ケネディが朴普煕にニクソンとウォーターゲート事件に対する懸念を表明。
1973年11月10日……「希望の日」全米講話ツアーのさなか、文鮮明が2週間に渡り韓国と日本へ旅行。
1973年11月30日……統一教会、ニューヨーク・タイムス、ワシントン・ポスト、サンフランシスコ・クロニクルの3紙に全面広告「“危機にあるアメリカ”=ウォーターゲート事件への回答 許せ 愛せ 団結せよ」掲載。
1973年12月1日……「全国祈りと断食委員会」、全米で40日間の断食デモを開始。
1973年12月11日……ニクソン大統領、文鮮明に感謝の書簡を送る。
1973年12月14日……ホワイトハウス隣接の“エリプス”公園にておこなわれたナショナル・クリスマスツリー点灯式に朴普煕が招待される。
1974年2月1日 ……ホワイトハウスにおける全国祈りの朝食会において、ニクソン大統領と文鮮明が会談。
1974年7月22日……「全国祈りと断食委員会」、連邦議事堂東階段で3日間の祈祷と断食集会を開く。
1974年8月9日……ニクソン大統領辞任。

『フレイザー報告書』等に基づき筆者が独自に作成

 『フレイザー報告書』に纏められている情報以外で真新しい情報があるわけではない。
 細かいところでは、1973年秋から始まった「希望の日ツアー」がすでに年末には資金不足に陥っていた点、文鮮明のウォーターゲート声明に対し、上院議員4名と下院議員31名が支持を表明した点、資金稼ぎのため“グラナリウム”と統一教会が称する、色の付いた木目の台座と装飾的なガラス瓶に入ったドライフラワーアレンジメントを、5〜8ドルで販売(サイズで異なる。原材料費は1ドル25セント)している点などが挙げられる。ちなみにこのグラナリウム、議員へのプレゼントとして喜ばれたらしい。チョロいな。

 クリスマスツリー点灯式の統一教会の行動もなかなかひどい。ちなみに、この日の活動は「プロジェクト・ユニティ」として、「全国祈りと断食委員会」と別の委員会(名称不詳)が動いていた。フェファーマンの証言によれば、イベントとしては後だが、委員会設立等の動きは先だったようだ。

 フレイザー:1973年のクリスマスツリー点灯式事件に話を向けたいと思います。
 ニデッカー:あれは大失敗でした。
 フレイザー:ジョセフ・ケネディ博士の役割を含め、それについて何ができるか教えてください。
 ニデッカー:ケネディ博士は、文鮮明の信奉者に一定数のチケットを発行し、鉄柵で囲われたエリプスの外に彼らのための場所を確保する手はずを内務省と整えました。クリスマスツリー点灯式は始まった時点で準宗教体制であったため、彼ら全員はこの場所より後ろにいることになっていました。そこには聖歌隊があり、何人かの聖職者が壇上に座っていて、大統領がボタンを押すか、ボタンを押している人を助けてクリスマスツリーに点灯することになっていました。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1978年6月1日)
ホワイトハウスとエリプスの位置関係

 “エリプス”は「楕円」という意味の通り、楕円状の公園である。1923年より始まった全国クリスマスツリー点灯式は、テレビ中継および受像機の急速な発達により、1950年頃から文字通り全米的イベントとなり、それに伴って、キリスト教系宗教団体が介入しようとしだす。このため1954年、ワシントンD.C.の地元住民と事業者らが非営利団体「ピース・オブ・ページェント」を立ち上げ、国立公園財団と共催の形で、特定宗教を強調することのないイベントとして行われるようになる。セキュリティ上の懸念も勘案し、宗教団体関係者は“エリプス”の外に追い出され、選ばれた一般市民のみが内に入れるようにされた。

 クリスマス ツリーに火が灯る直前、報道関係者たちがカメラを持ってそこにいたことはご存知でしょうが、前置きのスピーチがありました。大統領はボタンを押す若いボーイスカウト、だったと思いますが、を指揮する準備がほぼできていました。
 文の信奉者らは柵を押し倒して駆け上がり、彼らが持って来た小さな演壇の周りに集まり、アメリカ国旗を手に政治のことを叫び始めました。そしてもちろん、報道関係者らにとってそれは明らかに出来事だったので、彼らはそれを写真に撮り、記事にしました。
  大統領は激怒しました。なぜなら、宗教的な文脈で私たちにとって国家的なものだと大統領が感じていたものを、彼らは政治集会に変えてしまったからです。大統領はこの中断に怒り狂いました。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1978年6月1日)

 迷惑系カルト団体(というかカルトは常に迷惑だ)。

◎フレイザー委員会の弱点

 FLFの内部文書を示して証言を求める小委員会に対し、ついにゴールデン弁護士の怒りが爆発する。

 ゴールデン:委員長、文師によるウォーターゲート事件に関する広告は韓国人によって書かれたものだから、したがって、クリスマスツリーの点灯やその他での統一教会の活動に関するいかなる疑問も、この委員会の精査の対象となるのですか?
 ここ合衆国における統一教会のあらゆる活動を、フェファーマン氏とともに調査するための基礎として、ウォーターゲート事件の声明を発表する前のある時点で文師が韓国を訪れたという、先に述べられたあなたの声明以外に、あなたの委員会が持っている結びつきはありますか?
 委員長、あなたがフェファーマン氏にプロジェクト・ユニティや全国祈りと断食委員会と、大韓民国、韓国政府、韓国大使館、または韓国CIAとの関係を知っているかどうか尋ねることに私は異議はありません。しかし私は、そのような結びつきの兆候がない限り、この委員会が米国における統一教会のあらゆる活動を調査することを、非常に強く反対します。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年7月28日)

 こうした非難は一面的には正しい。この小委員会の目的は韓国政府およびKCIAが合衆国内でいかなる活動を行っていたかが目的である。したがって、統一教会および文鮮明の組織の政治的活動に対しても、韓国の政府機関が関与していないと調査に支障が出るのだ。以前取り上げた反日デモ未遂事件は、KCIAワシントン支局長が統一教会に依頼した、という証拠が存在していたので、調査のしようがあった。だが、ウォーターゲート事件に絡んだ一連の擁護デモは、いかんせん、韓国政府が関わっていたという証拠が乏しすぎた。
 無論、フレイザーも黙ってはいない。

 フレイザー:情報を得るためにフェファーマン氏へ尋ねているのだ、と言わせてください。私たちは判断を下そうとしているのではなく、いくつかの事実を得ようとしているのです。そして彼は調査官の質問に答えたがらないか、または弁護人から答えないように忠告されました。私たちは誰かを起訴したり、何かを証明したりするつもりはありません。単に情報を得ようとしているだけです。
 質問はつまるところ、これらの活動またはその他の活動が韓国政府と関係があるかどうか、それが最終的な結論になりますが、現時点では情報をあきらかにしようとしています。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年7月28日)

 あらゆる証拠を集めるのは犯罪捜査において基本である。一見、結びつかなそうな証拠も、別の証拠と突き合わせて新たな事実が浮かび上がることもあるからだ。しかしながら、

 ゴールデン:フェファーマン氏は、[韓国政府、韓国CIAまたは韓国と、米国内における文師の活動との]何らかの関係を示す証拠がない限り、彼の団体やメンバーシップに直接関連する私的な事柄にこれ以上踏み込む気はないと述べています。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年7月28日)

 韓国政府の関与を見つけるために証拠を集めたければ、韓国政府が関与した証拠を見せろというのでは、何も調査できなくなってしまうではないか。
 結局、この日の聴聞会は質疑は止まってしまい、別の日に改めて再開することになる。だが、小委員会側が今回の問題を次回までに解消出来るとは思えなかった。

次回〈後〉に続く。


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