引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。
発言者一覧
○ソン・ソングン……サンフランシスコ湾岸地域向け韓国語新聞『コリア・ジャーナル』の元発行人兼編集者。韓国系アメリカ人。
○チュン・テポン……ニューヨーク生命保険会社の代理人。韓国系アメリカ人。
○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長
○エドワード・J・ダーウィンスキー……同小委員会委員
駐米韓国領事による嫌がらせ
前回、1974年5月にサンフランシスコでの金大中(キム・デジュン)講演会を、韓国政府が妨害しようとした事件を取り上げた。その際、この事件を取り上げたサンフランシスコ地域向け新聞『コリア・ジャーナル』を、サンフランシスコ韓国総領事館は目の敵にした。
イ・ミンヒ、またアンタか……。キム・ドンオクは、『こぼれ話』(1)で触れたサンフランシスコ在留韓国人協会の会長・副会長選挙で、元KAPA(韓美政治協会)事務局長だった金容伯(キム・ヨンベク)会長候補と対で副会長候補となった人である。
この件については後で別立てで紹介する。
総領事館の矛先はソン氏本人にも向けられる。
長年の嫌がらせ行為によって、彼は新聞事業を止めざるを得なくなる。
『こぼれ話』(1)では、サンフランシスコ在留韓国人協会の会長・副会長選挙で、KCIAが推していたキム・ギョンハ候補らを勝たせるべく、対立候補への嫌がらせと選挙不正をやったこと、投票前日深夜まで選挙工作をしていたリム・マンソン領事をサンフランシスコ韓国総領事館前で張っていた『コリア・ジャーナル』発行人のソン・ソングンが、リム領事の車に轢き殺されそうになった件を取り上げた。リム領事がソン・ソングンを狙う理由は、韓国政府が選挙に介入していることを表沙汰にされるのを嫌ったのはあるが、先述した通り、金大中演説妨害事件を報道されたのをリム領事が逆恨みしていたのが伏線としてあったのである。
“遺言”
ところで、『コリア・ジャーナル』への広告掲載を断ったビジネスマン、チュン・テポンの名前には見覚えがある。サンフランシスコ在留韓国人協会の会長・副会長選挙にて、KCIAが推していたキム・ギョンハ候補陣営の選対本部長をしていた人だ。
だが、一方でチュンとソンは友情で結ばれていた。
後に触れるチュンがソンに語った証言テープでも「僕が君と肝胆相照らす仲」だ、とまで言っている人である。二人の長年の交友関係を韓国領事館やKCIAが知らなかったとは思えないのだが、韓国政府が推す候補を、批判的に報道するであろう新聞発行人と近しい人物を、なぜ選対本部長にしたのだろうか。
件の暗殺未遂から半年以上経った1976年11月。新聞廃刊後にその印刷機を転用したのだろうか、ソンは印刷会社を営んでいたが……
そのテープ内容の書き起こしを見てみよう。
キム・ソクハはキム・ギョンハ候補の実の兄弟である。
ソン暗殺は、実際に行われた2、3日前に計画されていたのだ。ところが実行する前、偶発的に6日、リム理事が自ら轢き殺そうとし、かつソンが上手く回避したため、未遂で終わったわけだ。しかし、脳筋な義兄弟に殺人を依頼しようとはマンガか?!
そして、今度はチュン・テポンがKCIAに狙われることになる。
キム・ギョンハが、なぜチュン・テポンを訴えようとしたのかはわからない。考えられるのは、対象地域外の人々を動員し投票させた、選挙不正の情報を対立候補側に漏らした疑いだろうか(『こぼれ話』(1)参照)。
チュン・テポンが、思い余ってソン・ソングンのもとを訪ねたのはそんなときであった。生命の危険に晒されているお互いがテープに記録したのは、万一殺されたときの犯人の告発である。これはもはや悲壮な決意のこもった“遺言”と言えよう。
一般市民にこのような“遺言”を残すことを強いる、朴正煕政権の恐怖政治は決して忘却されてはならないのだ。