『フレイザー報告書』こぼれ話(1)

引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。

発言者一覧

○李在鉉(イ・ジェヒョン)……元在米韓国大使館職員(文化情報担当官首席、在米韓国広報館々長)、証言当時ウェスト・イリノイ大学准教授(ジャーナリズム)
○ソン・ソングン……サンフランシスコ湾岸地域向け韓国語新聞『コリア・ジャーナル』の元発行人兼編集者

○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長
○エドワード・J・ダーウィンスキー……同小委員会委員

選挙妨害

 李:……KCIAだけでなく韓国領事館の職員も、最近のサンフランシスコ在留韓国人協会の会長・副会長の選挙中、合衆国憲法が保障する韓国系アメリカ人および在留韓国人の権利に不法に介入しました。
 KCIAとサンフランシスコの韓国領事館は、KCIA ―と韓国領事館― が支持する候補者らと対立するひとつの候補者リストに激しく反対したと言われています。多くの証拠は、KCIAと韓国領事館が、会長候補の金容伯(キム・ヨンベク)【註1】を打倒するために疑わしい行為に関与していたことを示しています。
 金容伯の選挙運動員の何人かは、KCIAエージェントのリム・マンソンから金容伯を支持しないように警告されたと言われています。 少なくとも1人のビジネスマンも同様に言われました。
 金容伯の別の支援者は、韓国にいる彼の家族から、金容伯のために働かないようにとの電話を受けたと報告されています。
 金容伯と共同する副会長候補も、韓国にいる家族から呼び出され「相手は(韓国)政府が支援しているから出馬しないほうがいい」と言われました。
 上記の2つのケースでは、韓国にいる家族には両者とも、金容伯の運動員としての活動については何も知らせていないことに注目することが重要です。

『合衆国における韓国中央情報部の活動』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1976年6月22日)

註1……KAPA(韓美政治協会。米国版「在日本大韓民国民団(民団)」を目的に作られたが、実態は統一教会のフロント組織だった)元事務総長。なお、「韓美政治協会」「金容伯」は『韓米関係調査』報告書資料集1514ページに基づく(「容」の字が潰れており「蓉」の可能性もゼロではないが前者を採用している)。

フレイザー:1976年3月5日に行われた在留韓国人協会の総選挙で、会長と副会長の候補者をご存知ですか?
 ソン:はい 。候補者リストは2枚あり、1枚はキム・ギョンハとイ・チュンジェ。もう1枚は金容伯と、『コリア・ジャーナル』の編集者であったキム ・ドンオクでした。
 フレイザー:あなたの新聞でその選挙について報道しましたか?
 ソン:はい 。
 フレイザー:サンフランシスコの韓国総領事館は……どの候補者たちをサポートしましたか?
 ソン:彼らはキム・ギョンハとイ・チュンジェを支持しました。
 フレイザー:彼らは積極的な援助やお金などを与えましたか?
 ソン:はい。彼らの選挙対策本部長はチュン・テポンでした。彼は、KCIAから一部資金を得ていると私に言いました。彼は、KCIAから少なくとも3,000ドルを受け取っていると確信していました。
 フレイザー:これは候補者自身があなたにおっしゃったのですか?
 ソン:いいえ、選対本部長からです。
 フレイザー:金容伯とキム・ドンオクに投票しないよう人々を説得する、リム・マンソン領事の腐心をご存知ですか?
 ソン:はい。リム領事は人々に電話を掛け、金容伯とキム・ドンオクを支援しないように忠告しました。 また、選挙前夜、彼は人々に金容伯の選挙を手伝わないように言いました。
 フレイザー:それらは電話掛けだったのですか?
 ソン:はい。また、彼らは総領事館にも数人を招待しました。
 ダーウィンスキー:誰が選挙に勝ったのですか? 金容伯氏の勝敗は?
 ソン:最初、金容伯は敗者でした。KCIAが支持する候補者たちが31票の差で勝利したのです。その後、サンフランシスコ・ベイ・エリアの外側にあるカリフォルニア州モントレー郡から、KCIAが支援する陣営が人々を連れてきたので、……金容伯側はそれが違法な選挙であると主張しました。彼らは訴訟を起こし、法廷は再選挙を命じました。その後、金容伯が勝利しました。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1978年6月7日)

モントレーの件をやや詳しく。

 李:モントレー韓国人コミュニティのサンボサ寺院を主宰する仏教僧イ・ハンサンは、KCIAと韓国領事館から圧力を受けて、彼の信徒たちを投票のためにサンフランシスコに連れてくるよう求められたと報告されました。

『合衆国における韓国中央情報部の活動』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1976年6月22日)

 『フレイザー報告書(和訳版)』(以下『報告書』)を読んでいて、いちばん違和感があったのは、「なぜ金容伯が出さなかったKCIAへの書簡についてわざわざ書くのか?」という点であった(『報告書』49〜50ページ)。書かれている内容はKAPAの本性が表れているであろうが、どちらかといえば彼が悩んだ末に出さなかったことに力点が置かれているようにしか読めないからだ。
 のちに金が、先に引用したとおり在留韓国人の自治会選挙に出たことを知り、なんとなく理解できたような気がする。彼はおそらくサンフランシスコの在留韓国人社会でも人望があり、KAPAで事務局長に就いていたのも、KAPA設立の際、統一教会が正体を隠すために使った「隠れ蓑」だったのだろう。組織創設時に統一教会とは関係のない有名人を(統一教会の名前を出さずに騙して)重職に就け、組織が軌道に乗ったらなにかと理由をつけて排除する、あるいは統一教会との繋がりに気づいて辞職することで、結果的に組織が統一教会に乗っ取られるのは、やはり統一教会のフロント組織であるKCFF(韓国文化自由財団)理事会からのチャールズ・フェアチャイルド理事長ら反対派の排除(『報告書』61〜63ページ)や、KCFF会長アーレイ・バーク元米海軍提督の辞職(『報告書』57ページ)と共通する統一教会のやり口である。
 金の逡巡にあえて紙幅を割くことで、彼がKAPAにいた「不名誉」を少しでも和らげる意図があったのでは? と考えると、ここは「報告書」という感情を排すべき文書の中で執筆者の感情があらわれた箇所なのかもしれない。

キレる領事

その選挙での話。

 ソン:誰かが、選挙を手伝うため [サンフランシスコ]総領事館が夜通し作戦を行っていると私に言いました。その証拠を得るため、[投票前夜に]私は自ら総領事館へ行きました。リム領事の部屋が明るくなり、総領事館で働く人々が出入りしていました。……カメラでフラッシュ撮影していると、リム領事が出てきました。
 フレイザー:それは何時頃でしたか?
 ソン:それは午後10時から11時の間でした。
 フレイザー:リム領事があなたを見たとき、彼は何をしましたか?
 ソン:彼がちょうど出てきたので、私は彼に「この遅くまで何をなさってるんですか? あなたは公けには5時か6時で手仕舞いでしょう。なぜあなたはこんな遅くまで働いているのですか?」彼は「ポーチ【註2】を用意していたんだ」は言いました。私は彼に「わからないですね。ポーチは日中に用意したらどうです?」と言いました。それからカメラのフラッシュを焚きました。彼はとても怒って、タバコを私に投げつけました。
 その時、私は総領事館のすぐそばで自分の車に乗っていました。……するとリム領事の部下の車が私の車に激突しそうになりました。その時はそれがリム領事の車だとは知りませんでした。とにかく、フォルクスワーゲンっぽい車が私の車にぶつかりそうになりました。
 あくる選挙当日、サンフランシスコ総領事館のキム領事がプレスコーナーに来ました。私は彼に「フォルクスワーゲンに乗っていて、私の車に突っ込もうとしたのは誰です?」と尋ねました。キム領事はリム領事だと言いました。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1978年6月7日)

註2……外交ポーチ(外交行嚢、外交封印袋)のこと。

 領事というよりチンピラ。どこぞの議員秘書を思わせる。

 ということで、『フレイザー報告書』からやむなく漏れたり、ディテールが削がれた話を、小委員会における宣誓証言をもとにチマチマ書いていきたい。それで『フレイザー報告書』の理解に少しでも資すれば幸いなのだが。

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