見出し画像

精読「ジェンダー・トラブル」#021 第1章-4 p40

※ #020 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。
※ 全体の目次はこちらです。

フェミニズム批評は、男中心の意味機構がおこなう全体化の主張を子細に検討する必要があるが、同時に、フェミニズム自身の全体化の身ぶりについても、終始一貫して自己検証をおこなっていかなければならない。

「ジェンダー・トラブル」p40

 地域、階層、人種、セクシャリティ、そして歴史を超越した、普遍的なジェンダーというものは存在しないので、自身の主張が普遍性を主張していないか「自己検証」をしなければ、それは普遍性を主張する「男中心の意味機構」と変わらないことになります。

敵を単数形で見てしまうことは、抑圧者とべつの条件を提示することにはならず、抑圧者の戦略をこちらが無批判に模倣する裏返しの言説になってしまう。

「ジェンダー・トラブル」p40

 「男中心の意味機構」は普遍性を主張しますが、実際は地域、階級その他に応じて色々とあります。それが「単数形」に見えてしまうとき、自身も普遍性のわなに入り込んでいます。そうして話は〈どのような普遍的ジェンダーであるべきか〉という議論に陥ってしまい、「男中心の意味機構」を批判しているつもりで、対案は同じく抑圧的な、単数形の、普遍性を主張するものになってしまいます。

そういった戦法が、フェミニズムの文脈でも同様に作用しうることは、植民地化の身ぶりそのものが、そもそも、あるいは最終的に、男中心主義のものではないことを示している。

「ジェンダー・トラブル」p40

 「植民地化の身ぶり」つまり西洋の理論を普遍的なものとして頭ごなしに押し付けることは、とりわけ家父長制支配の普遍性を主張するフェミニズムにおいて盛んに行われてきました。したがってこういう普遍性を志向する姿勢は、そもそもはじめから男限定のものではなかったか、あるいは初めのうちは限られた小さな範囲での個別具体的な主張だったものが、最終的に「男中心主義のもの」同様に普遍性を主張するものとなったか、のいずれかです。

弁証法的な取り込みという帝国主義の身ぶりによってある部分構造化される権力の磁場は、性差の軸をのりこえ、またそれを取り巻いているものである。

「ジェンダー・トラブル」p40

 2011年4月、フランスにおいて、イスラム教徒の女性が着用する顔を覆うベールを公共の場で着用することを禁じる〈ブルカ禁止法〉が施行されました(ロイター)。これは大多数のフランス人に支持され成立しましたが、その主な支持理由は ①顔が隠れていると気味が悪い、②ブルカは女性差別的だ、の2点です。
 「弁証法的な取り込み」の「弁証法」は、テーゼがフランスの自由な女性、アンチテーゼがイスラム圏の抑圧された女性、ジンテーゼが、フランス人に啓蒙され幸せになったイスラム圏女性です。そうやってイスラム圏女性が「取り込み」に遭います。
 この結果「権力の磁場」は、フランスが上、イスラム圏が下、と「構造化され」ます。そしてこの「権力の磁場」はジェンダーだけの話に収まらず、宗教、地域が複雑に絡み合った憎しみの感情が「性差の軸をのりこえ、またそれを取り巻いて」います。

弁証法的な取り込みや《他者》弾圧は、男中心の意味機構のみがおこなう戦法ではない。たしかにおもに男中心の領域を拡大し、それを理論づけるために機能してはいるが、それだけのために配備されているのではない他の多くの戦法のひとつにすぎない。

「ジェンダー・トラブル」p40

 フェミニズムにおける「女性弾圧」という言葉を、ここでは「《他者》弾圧」と言い換えています。
 「《他者》」はボーヴォワールのところで出てきました。

ボーヴォワールによれば、女性蔑視の実存的な分析では、「主体」はつねに普遍と融合した男であり、つまり、ひとであるための普遍的な規範のそとにいる女という《他者》からーーすなわち「特殊」にしかなれず、身体的存在とされ、内在性を宣告された《他者》からーーみずからを差異化している男なのである。

「ジェンダー・トラブル」p36

 この文章の語句を少し変えてみると、バトラーの言う《他者》のイメージが湧きます。

「女」はつねに普遍と融合した西洋人女性であり、つまり、「女」であるための普遍的な規範のそとにいる非西洋人女性という《他者》からみずからを差異化している西洋人女性なのである。

 このように、《他者》を「普遍的な規範のそと」に設定することが「《他者》弾圧」です。
 これは「男中心の意味機構のみがおこなう戦法」ではなく、既存のフェミニズムも、そして人種差別や階級差別などと戦う人も多く採用している戦法です。
 しかしこの、《他者》を排除する戦法を最も効果的に実行できるのは、実際に排除する実行力を持つ男なので、全体としてみれば「男中心の領域を拡大し、それを理論づけるために機能してはいる」結果となっています。
 しかしこの戦法は「他の多くの戦法のひとつにすぎない」ーー他にも色々と戦法があり、それらが合わさって男社会の維持に寄与している、とバトラーは言います。
 そしてそれらの戦法は「それだけのために配備されているのではない」、つまり男だけのためにあるのではなく、女も使うことができるし、知らないうちに使っている羽目に陥ることもある。だから「終始一貫して自己検証をおこなっていかなければならない」と言う冒頭部分につながります。

(#022に続きます)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?