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My Roomという幻想に囚われて


「俺もう寝るから電気消してー」

深夜1時頃、兄にそう言われしぶしぶ部屋の電気スイッチを切る。まだ眠くないので布団に入ってスマホをいじる。細めた目で光るディスププレイを見つめながら思った。

「自分の部屋が欲しい...」

生まれてから大学を出るまで、自分専用の部屋を持ったことがない。それは兄も同じだった。
一人で使うには中途半端に広い横長の部屋が、実家にはある。
小学校に上がる時、両親がそこを勉強部屋にしようと決め、それ以来私と兄の勉強部屋と就寝部屋を兼ねている。部屋に入って東側には私の机とベッド、西側には兄の机とベッドがある。あとはハンガーラックや本棚などを置けばそれなりにスペースは埋まり、部屋としての役割は十分に果たしていた。
その部屋の東側が、ずっと私の「領域」だった。部屋ではなく領域。
オフィスフロアによくある自動販売機が置いている休憩所。そこの一角を無理矢理自分のものと決めつけているような感覚だった。

領域の間に仕切りはなかった。だから向こうが何をしているのか、ちらりと横に目を向ければすぐに分かった。夜、どちらかが寝るために電気を消すと、もう一方は煌々と明るいままだと気まずいので、寝るかリビングに移動するかの選択肢を迫られる。
だから大学受験時など、どうしても夜遅くまで起きている時は、ほとんど毎日リビングまで移動して勉強を続けていた。

面倒くさいと何回思ったか分からない。
自分の部屋さえあれば、こんなことしなくて済むのにと。

自分以外の家族も何回も出入りする場所ということもあって、私は自分の領域に、見られたくないものを置かないようにしていた。
自分がいない時に兄がこっそり見ても、母親が掃除の最中にふと目についても怪しまれないように、何かしらの秘密の痕跡を残さないようにしていた。

だからなのか、私の領域には、これといった特徴がなかった。
あったのかもしれないが、思い出せない。思い出そうとしても、切れかけた蛍光灯のように頭の中で点滅するだけ。しかも一瞬浮かんでくるのは、デパートの家具売り場でサンプルイメージとして置かれているような、無機質なベッドと机。ギターもポスターもプラモデルも、私の領域を彩ることはなかった。

それが寂しいこととは思わない。
だって部屋がないのだから。私の領域は部屋ではなく共有スペースの延長線上にあるようなものだ。自由にできる部屋がなけりゃカスタマイズもできませんよと、ある種の開き直った気持ちがあった。

だから早く、自分の部屋を持ちたかった。

小学生のころ、友人と「秘密基地」遊びが流行った時期があった。
公園の一角にある茂みや小木に囲まれ目立ちにくい場所を秘密基地と称し、適当なガラクタを拾ってそこに集めてくる。その辺にある石から、ポイ捨てのまま放置されていた空き缶や雑誌まで。珍しそうなものならなんでも構わず拾って秘密基地の一部にした。

中にはスプーンや泡立て器など、なんでこんなところに落ちているのか不思議なものもあったりした。側から見ればただのゴミ集積所だったが、小学生の私たちにとっては立派な遊び場だった。本来ならばすぐに捨てられる物も、秘密基地に一歩足を踏み入れれば、立派なおもちゃに変わった。ガラクタを拾って集めて並べるだけ。この、ある意味めちゃくちゃな遊びに私は一時夢中になった。何もなかった空間を自分たちの手で居場所に変える。そのことがとても新鮮で、今までにない楽しさを感じた。

自分の部屋と、秘密基地。
これらは小さな王国のようなものだと思う。
もちろん王様は自分。王様が一番偉い。だから何をしてもいい。
どんな国を作っても、ヘンテコな飾り付けをしても、違う国から珍しい物を仕入れても。誰にも文句は言われない。
部屋は、生まれて初めて与えられる自分の国だ。
私が秘密基地遊びに心底夢中になったのは、国を自分で作る楽しさを初めて知ったからだと思う。

だから早く、自分だけの部屋を、王国を持ちたかった。隣と地続きの国境が存在しない、島国としての部屋が。

大学を卒業する数ヶ月前、入社予定の企業から配属希望のアンケートが送られてきた。
そこに私はあえて地元である神戸とは離れた地名を記入した。

理由はもちろん一つ。
一人暮らしをするためだ。実家から通えない場所に配属されてしまえば、必然的に家を出ることになる。そうすれば念願だった自分の部屋を持てる。国を思い通りに築き上げることができる。ワクワクせずにはいられなかった。

思惑通り、私は記入した第一希望の場所に配属された。
晴れやかな気持ちで引越しを終え、記念すべき建国記念日を新天地で迎えた。

「ようやく自由にカスタマイズできる。次の休みに近くのホームセンターに行って色々見に行こう」

そう決意し迎えた最初の休日だったが、家具家電や生活に最低限必要なものが足りていないものが多かったので、それらを買い足して終わった。


「今日は仕方ない。来週こそ買いに行こう」

翌週、行こうと思っていたことすら忘れていた。


「次こそは、来週こそは」

気持ちを新たにするだけで、結局その後、ホームセンターに足を運ぶことはなかった。あれほど自分の部屋が欲しいと思っていたのに、蓋を開けてみれば引越し直後と何も変わらない、無機質な王国に私は住んでいた。

それどころか、本当に必要なものだけが置かれ、ごちゃっとしていない自分の家が、シンプルで心地いいと感じるようになっていた。
洗練という言葉は、この部屋にこそ相応しいとさえ思っていた。

小さい頃、テレビで見た魚のししゃもが美味しそうで、どうしても食べたかった。母に何度もお願いして買ってきてもらったのに、いざ食べてみると全く美味しくなかった。一口かじってギブアップした。母は何度も「せっかく買ってきたのに」と言っていた。


「せっかく一人暮らしを始めたのに」とは思わない。選んだのは自分だ。
それでも、自分の部屋に対するあの異常なまでの執着は一体何だったのか。今考えてもよく分からない。何も置いてない自分の領域に慣れすぎて、逆に何か物があると煩わしく感じる体質になってしまったのかもしれない。

だから今でも、私の部屋に「欠かせないもの」は特にない。
「ないと困る」と「あったら便利」は大きく違うが、私は身の回りの物を損か得かの2択で考えすぎていたのかもしれない。
「あったら便利」でなくとも、「あったら嬉しい」とか「理由はないけどあったらテンションが上がる」とか、そういったものをもう少し集めてみてもよかったなと思う。

実家に私の領域は残されたままだ。
ずっと何もないと思っていたが、以前帰省した時に、学生の頃に買い集めた数十枚ほどのCDが机の横に平積みされていた。おそらく母が勝手に整理したのだろう。実家にいた頃は全て引き出しの奥深くに入れっぱなしだったが、出してみると結構な枚数だった。

懐かしく、一枚一枚を手にとって見ていると、買った当時の光景が頭をよぎり、

「このCD、捨てたくないな」と心から思った。

CDプレーヤーはもうない。中の曲は全てウォークマンに入っている。
だからもうケースを開ける必要すらない代物ではある。それでも、そのCDを捨てたり売ったりする未来は私には考えられなかった。考えたくなかった。

この時気が付いた。
必需品というのは、それがないと困るとか、生活に支障をきたすとかそういうものではなくて、時間が経っても離れることがあっても、変わらずそこにあって欲しいと願うものではないだろうか。

時間の経過によって記憶や思いが薄れゆく一方、逆にどんどん色濃くなるのは、そういったものが多い気がする。
あのCDもきっと、ずっと手元に残しておくことで、いつの間にかかけがえのない物になるはず。そう確信できる。

自分の部屋があるかどうかは、大した問題ではなかった。そんなものがなくても、私は知らず知らずのうちに、近くにあって心地いいものを取捨選択してきたのだった。
そしてそれは、この先何度引っ越したとしても、変わらず迎えてくれる家族のような存在なのだ。


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