春と修羅と俺。

・仕事の5日目が終わった。
 慣れていくにつれて体感時間が短くなっていくのを感じる。新しいことでも、5日続けると無意識で処理されるようになる。さらに新しさを得る必要がある。
 気づいたことがある。
 ファミリーマートの明太ポテサラが美味しいこと。
 勝手に6時に起きてしまうこと。
 早起きしたのに眠くないこと。
 飲み会の幹事はテキパキしていてかっこいいこと。
 ビールを美味しく飲めるようになっていること。

・初めて飲み会に行った。同期のなかでも社会人経験のある人たちがセッティングしてくれた。
 友達どころか知り合いもいない中で突撃した僕も僕だが、想像よりも辛い2時間だった。たまたま僕が辛い状況に喜ぶ人だからよかったものの。

・もともと同期グループの1部で飲み会がセッティングされていて、僕のいたグループはそれに入り込む形で参加した。参加の経緯は、僕のグループのなかに飲み会グループと繋がりを持っている人がおり、その人から隣のグループで飲み会があることを知らされた。グループは班で分けられていて、僕の班には底抜けに明るい、FunnyかinterestingでいうとFunnyの人がいた。一緒に行くよねということで、班が同じだったから、飲み会に参加することになった。運だ。僕一人では参加しようと思わなかった。

・良くなかったことは、会場への道中ではぐれたことだ。1人がコンビニに金を下ろすというので着いていくと、2人だけになった。
 その人とは道中で話すことが出来たのでよかったけれど、飲み会には遅れてしまった。まだ注文をしていなくて、どちらかと言えば間に合っていたとも言えるのだけれど、既に席が決まっているのは、明確に遅れた! と思った。
 僕のような者は隅っこの席に座ってしまうと追いやられるまでもなくレペゼン掃き溜めになってしまう。
 運が尽きた。

・マックス明るい人がいて、隣に人がいて、更に隣に僕がいた。ここで決した。いや、たぶん席順が違っても僕は撃沈していたろうけれど、もう、席順のせいにしたい。
 明るい人は陽のキャラクターで、陽の当たるところ出身です、みたいな振る舞いをしている。口がまったく塞がないで話し続けている。隣の人はその人にめちゃくちゃ話しかけられていて、だから、もはや僕に背を向けていた。なんという排斥感。
 せっかくだから他の人と話していても、一対一でない場で話すことに慣れていないせいでいまいち話すことができず、笑わせて逃げようにも、いまいちオチが見当たらなかった。

・今回の飲み会にリザルトがあるなら0点だった。なんというか、プラマイゼロというか。行っても行かなくても同じというか。
 目の前でlineが交換されていくのをただ眺めていることしかできない。
 それに、なんか緊張して、ビール一杯とから揚げ2つとお好み焼きの端っこくらいしか食べることができなかった。会計では2000円払って、それは予想よりも安くて嬉しかったのだけれど、食べた量を考えると1000円分も食べていない。
 2時間がとても長く感じた。俺は、弱い……! 2000円払って辛くなっている……。

・かなりくじけた。会社のなかにめちゃくちゃ仲の良い人を作らない限り、この現状は変えられない予感がしている。
 思い出してみると、苦し紛れに出した自虐でしか笑いを取れていなかった。はずかしい。
 会社で修羅になってもいいのかな。誰とも友好関係をもたず、死ぬまで眉間に皺を寄せている……。
 もし、次回このような機会があった時、自分はいったいどうすべきか。正直、参加したくないけれど、だからこそ逆に参加する道もある。痛みを伴わなければ生の実感を得られない。

・10時くらいに電車に乗った。意外と座ることができなかった。普通に10時に家に帰る人もいる。

・家に帰って、YouTubeとTwitterを開く。
 本当に、本当に、本当に、心が満たされる。
 僕の喜びはここにある。
 飲み会で話を振られた時、僕は何も言えなかった。オタク・コンテンツを言えない雰囲気だったこともあるが、そもそも僕の中には何もなかった。
 あるのは、YouTubeとTwitterだ。
 修羅なのだ。

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