俺達の首には価値がない。

・銭湯行こ! と21時ごろ誘われて、お腹が減ったので2人でスシローに行って、お腹がいっぱいになって眠くなったので帰った。

・土日を安心して過ごす方法が分かった。
 金曜日の夜から行動することだ。
 昨日はスーパー残業してからお寿司に行った。めちゃんこ残業しているので総合得点はマイナスになるのか? 意外なことに、金曜日の夜が土曜日曜のボーナスタイムと見做されて、心が平安になる。

・お寿司はちっさい塊を食べるだけで100円とか120円とか240円とか360円とかがぶっ飛んでいくからヤバすぎる。酸っぱいお米に魚の死体乗っけた奴を何個か食べるだけでワンピースの単行本一冊の値段を超えていく。
 この貧乏考えのせいで毀損されている美味しさが間違いなくある。

・4週間前に小説を書くことを決意して、これまで頭の中で妄想する奴すらもしていない。
 枯れているのかもしれない。
 最近は朝にお味噌汁を作って飲む。その美味しさを新鮮に驚いている。こんなことではいけない。
 最近見た映画を起承転結ハッキリさせながら思い浮かべるくらいのことをしたい。
 楽しいことがしたい。僕の楽しいことは小説を書くことだった。もう一回あれを感じたい。

・『首』がネットフリックスにやってきたので観た。北野武映画はサブスクで観れないと思っていた。
 色んな種類のバイオレンスがいておもしろかった。織田信長のように分かりやすく前面に暴力性を晒しているキャラクターや、秀吉のように暴力と日常が混ざり合って分離不可になっているキャラクターや、暴力の時代なので真面目に暴力をする明智光秀や、暴力に晒されないよう他人の命を消費しまくる徳川家康がいる。
 生きている間の鮮烈さがあるので、首だけになった後のあっけなさがひどいものだった。生首の作り物っぽさも、命の軽さくだらなさ無意味さみたいなものを感じた。殺して、首だけになって、死んだことを確認できたけど、次は? いつか自分がこれになって終わり? というような虚無さ。第六天魔王になろうが三日天下を達成しようが出世のために耐え忍んでも凡百として死んだとしても、首になったら全部同じ無価値であるということのつまらなさ。
 ラストカットが一番ひどかった。明智の最期と、明智の首のためにクズながら命を賭した浪人の最期を観た後がアレなのは、首というものを相当無価値なものだと思っていないとできない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?