バガボンドは佐々木小次郎編から真に面白い。

・これが俺の答えや!
 2時くらいにシーフードヌードルを食べた。僕と言う存在は本当にちっぽけなので、これで芯から満足できてしまう。でも、まだまだだと信じたい自分もいて、だからあっさり醬油ラーメンも食べた。美味しいのか美味しくないのか分からない。味の許容量を超えてしまって舌が痺れる。食べながら、しばらく眠ってしまっていて、不健康真っ逆さまという感想。

・バガボンド。佐々木小次郎編が始まってから、あまりにもおもしろすぎる。
 親子愛(血のつながりはない)に異常なほど感動してしまう。
 自分の人生が終わったとき、いったい何を残せる? 何もなかった鐘巻自斎は小次郎と出会った。何かを残せるかもしれない。
 運が味方してやっと相打ちできる疫病神、不動幽月斎の元へ、決死の覚悟すらままならないのに、一歩ずつ、休みながら、小次郎のために歩いていく姿。帰宅して、小次郎へ「剣は教えぬ」と“言う”いじらしさ。
 
・佐々木小次郎が言葉を話せないことが、漫画としての面白さを爆発的に引き上げている。言葉を話せないからといってコミュニケーションを取れないわけではなく、打ち合い斬り合いによって、何より深く通じ合える。という描写の嬉しさ。相手が死ぬことによってコミュニケーションが終わる悲しさ。
 佐々木小次郎は話せないうえ、言語を持たないので思考すら描かれない。そのぶん他のキャラクターが深堀りされるようになっているので、ドラマが広く深くなっている。ときに小次郎が死神のように描かれる場面すらもあるが、それでも小次郎の主人公性が失われない。
 主人公以外に語らせたり過去を描写したりすると、物語は勢いを失ってしまうものだと思うけれど、そうなっていないバランス感覚がすごい。井上雄彦のすごさなのか、原作の吉川英治のすごさなのか。
 たとえ他のキャラクターを描写しているところでも、いつも小次郎の存在感がある。他のキャラクターに小次郎の影と言うか、同じ境遇や気持ちが描写されているからだ。
 
・バガボンドの背表紙のフォントが変わってから、宮本武蔵と佐々木小次郎が京都に集まった。そういうことだったらしい。
 
・ネットで観たところ、バガボンドはまだ完結していないらしい。
 37巻の背表紙がめっちゃ爽やかな青色だからそこで終わりだと思っていた。

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