語るには簡単な真実と騙るには難しい理想。

・ニューダンガンロンパV3を遊んでいる。第四章までクリアした。
 真実を追い求めることの意味と難しさを残酷に掘り下げていた。「真実」と聞くと耳触りが良い感じがするけれど、真実は「ただそうである」ことを表すだけで、暖かな温度感までを保障してくれはしない。むしろ、ダンガンロンパにおける真実とは「仲間が仲間を殺害した」ということを意味するため、重く冷たい。
 しかし、主人公にできることは、謎を暴いて真実を明らかにすることだけだ。今作の主人公がこれまでの主人公と違うのは、「真実を暴くことで傷つく人がいる」と考えているところだ。真実を暴くことしかできないのに、真実を暴くことに後ろめたさを覚えている。
 また、真実へのアプローチもこれまでの主人公とは違っていて、V3の主人公は「嘘を吐いてでも」真実を暴こうとする。
 ダンガンロンパは生き残りをかけた戦いであるため、仲間の死が真実である一方で、生き残った仲間との絆も真実である。この環境では、噓を吐いてでも仲間を殺人犯であると疑う主人公の態度が裏目に出る。真実を明らかにすることが仲間の処刑を意味する以上、仲間を失いたくないという理想と絶望的に嚙み合わない。
 ダンガンロンパは、仲間を信じるために証拠と議論を重ねた後、決定的に犯人が浮き彫りになってしまうというような形がとられていたような印象がある。しかし、V3では、理想の結論のために証拠と議論を捻じ曲げる。
 V3では、「真実を明らかにする」ということを「嘘」の面から掘り下げている。真実は厳しい現実で、嘘は暖かい理想。それでも真実を追い求める必要はあるのか? 真実を明らかにすることは理想を否定することになっているのではないか?

・第四章をクリアしたあとには、「嘘を吐かない」ことは簡単で、「理想を語る」ことは難しいことなのではないかと思える。理想については語るというより騙るといった方が適切かもしれない。どちらにせよ、残酷な真実を突きつけるよりも、理想のために命を懸ける方が過酷な道であるような気がしている。論理よりも感情を優先させることの難しさとも言い換えられる。
「あいつが人を殺すわけがない。なぜならあいつが人を殺すわけがないからだ」という言葉に対して淡々と証拠を突きつけることは果たして正しいことなのか?
 もちろん、真実を明らかにして、真実と立ち向かわなければならない。主人公にできることは真実を明らかにすることだけだ。しかし、その真実には理想を犠牲にする価値があるのか?
 僕は仲間のために真実を暴いているのか? 真実のために真実を暴いているのか?

・V3の主人公はきっと真実に立ち向かうことができる。第一章からずっとそれを証明してくれていた。大事なのは何を芯に据えているか、ということで、そのためには、真実へ到達する途中で嘘を吐くことだって、真実の行動足りうる。

・僕は嘘を吐きたくないと思っている。その思いは肥大化していて、「うわべ」とか「お世辞」とか、そういうものにまで嫌悪感を抱いていた。
 ただ、今となっては、そうする方が楽だから噓を吐きたくないと思っているのではないかと自分を疑っている。
 なんというか、嘘を吐かない自分を清廉潔白で無菌状態な人物だと考えていたけれど、本当はただ人間関係をやる気のない人物であると考え始めている。

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