他責思考で内面を清く保とう!
・思いつき、最寄り駅から家まで徒歩15分を走って帰った。太ももがすごく痛い。
楽しかったからまたするかもしれない。
・仕事でミスをしてお客さんに経緯を説明した。すると「それは違うんじゃないですか?」と言われる。
違うことはなく、ただ僕がミスしただけなので、謝って終わった。
違うというのは何のことを言っていたのか? 聞いていた話と違うということだろうか。 それとも僕の態度のことだろうか。話している雰囲気からではそのようなニュアンスを感じられなかった。
相手を責める時のプリセットとして、場合を問わず使っているのだろう。便利な言葉だ。便利な言葉は使っていくべきだ。言葉の重みが無くなるけれど、負担も小さくなる。
それはそうと、ミスしてごめんなさいという気持ちがある。プリセットでもしっかり意味があるから、しっかり申し訳なく思う。
・上のやつ、反省していない人の見本だ。
めっちゃ相手のことバカにしている。フォーカスをズラそうとしているというか。
口は災いの元とは、こういうことをしないよう説明してくれている。
・詳しく調べてみると全然僕が悪くない事案だった。完全に相手の勘違いだった。
でも、電話口で1回謝ってしまっている以上、マウントポジションを取っているのは向こうの方だ。
次にこの件で話す時は「僕は悪くない」アピールにならないように、さりげなく相手の勘違いでもある旨を伝えなければならない。マウントポジションを取られたまま謝ることはしない。悔しいからだ。
それに、何があったかを説明することは大事なことのはず。テメェの勘違いで私は謝る羽目になりましたってな。
・教育担当の先輩(僕にできないことが全部できる)が体調不良で療養されていて、上席(全知全能。全部知っていて全部できる)も普通にいなかった。日に、新人にはちょっと難しい案件がやってきた。
1人で対応することにした。もちろん僕が破裂したときは助けて頂けるような体制を整えた上で、だけれど、今回、僕は1人で対応した。逆境に立ち向かうとき、緊張で浮遊感がある。
ノルマクリア成功って感じで終わった。親父ならもっと上手くやれてる。
仕事が始まって一月と半月くらいが過ぎたけれど、未だに毎日分からないことが発生する。どういうことだろうか。やり込み要素しかない。
定年退職すると気が抜けたようになるという人たちの気持ちが分かる。
仕事、楽しい人はすごく楽しいだろうなと思う。
仕事であるということは何であれ手順があり様式があるから、どこかPapers pleaseのようなおもしろさがあるのだと思う。
・テニサー編:えち前リョーマ
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