俺は歯車。心も鋼で作られてる。

・今週末に仕事の締切がある。月曜日が祝日だった分、いつもよりタイトなスケジュールになっている。
 僕の技量、速度、正確さでは、これから毎日MAX残業したとして、ギリギリ終われるかか終われないかというラインだ。
 しかし水曜日の今日、普通に帰った。にじさんじ甲子園が始まるからだ。これを観ない選択をしたら、犠牲にしたら、もう、これから先も、自分の時間を自分の人生に使えなくなる。その対象がにじさんじ甲子園なのでイササカ矮小な響きだけれど、これは本当のことだ。
 金曜夜の自分も、今日の僕を肯定している。これは確かなことだ。

・最近、1日がすごく早い。早毎週のように早さが更新されている感覚がある。
 出勤して、すぐにお昼ご飯を食べて、いつの間にか15:30になっていて、定時を迎えていて、ちょっと残業して、帰る。
 まだまだ加速していく予感がしている。
 仕事はゲームに似ていると、程度の低い達観などを抜きにして、思える。
 決められた業務を決められた手順で制限時間内に終わらせる。イレギュラーすらもシステムの内で、何らかの対策が用意されている。仕事をクリアすると次の仕事が始まる。
 歯車という比喩も正確だと思う。仕事をしている間、僕の人格は限りなく薄められて、ただ処理すべきことを処理している。隣の歯車と噛み合いつつ、一体何を動かしているのか、全貌は望めないまま、ただ動いている。
 虚しくはない。辛くもない。けれど自我が薄れている。
 自我が薄れると時間感覚が杜撰になる。

・杜撰の杜は他に杜子春と杜王町でしか見たことが無い。

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