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「嫁さん」と呼ばないことにした理由

元々の私を知っている人には、簡単な理由です。
そもそも私は、結婚してからも、人前で彼女を「嫁さん」と呼んでませんでした。それを敢えて嫁さんと呼ぶようになったのは、主にツイッターで、不特定多数の、常識の違うと思われる人たちと関わることになった時、「誤解を招かないように」と、自分で勝手に空気を読んで、忖度して、呼び方を変えたわけです。それを今、元に戻すだけのことです。

私も53になりました。ツイッターでの立ち振る舞いも安定してきました。今さら誤解する人も、誤解して欲しい人も、いないでしょう。それに、まぁ、価値観が偏狭で誤解する人がいても、まぁ良いか、と居直れるようになった、ということもあります。
で、何故、「彼女」という呼び方にこだわるか。

私は人間同権主義者だからです。

男女だけじゃないですね。人種、民族、LGBT、その他あらゆるところで、人間はイコールだと思っているからです。だから差別を嫌います。それに若い頃から、「年長者を敬え」と言われるのを鼻で笑って生きてきましたし。

とりあえずその話は先にして、今は、彼女の話から先にします。

私はそもそも、結婚に全くこだわってませんでした。仮に、彼女と結婚してなかったとしても、今でも仲良く一緒にいるという事実は変わってなかったと思ってます。付き合って10年、うち5年を一緒に住んで、彼女の親に「勝手に5年も一緒に住みやがってどうすんだ」と言われ、仕方なく結婚したわけです。ただ、仕方なく結婚することになった時、最後まで結婚しないと言い張って抵抗したのは彼女です(笑)

誤解を招かないように書いておきますが、彼女は「私と結婚したくなかった」のではなく、「結婚をしたくなかった」だけなんですけどね。その点では私も同じです。ただし一方、一般的に世間では男である私は、彼女の親に「どうしてくれる」と詰め寄られては、「すいません、結婚します」としか言いようがなかったわけでして。

そういう強い自我と自己主張を持っている人だからこそ、こうやって20年以上も一緒にやって来られたのだと、感謝しています。それに、結果、結婚して籍を入れて、それはそれで便利な面もあることは十分に理解してます。だから、世間的には面倒くさいから、夫婦であることをアピールすることもあるわけです。

だからこそ今、その便利な「結婚」という制度を、男女にしか使えないものにして、特権的に独占していることに憤ってもいるわけですけどね。わかりやすく言えば、結婚という制度を同性カップルにも利用できるようにしてくれ、というわけですが、それはまぁ、話が広がりますので今は置いておいて。

ただ、私はイコールにこだわる。そうするとどうしても、「嫁」「妻」という言葉、漢字の成り立ち、歴史的経緯が引っかかります。どうしてもそこに、女性を「家に属するもの」「男に従属するもの」とみなし、蔑視する側面が含まれるからです。だけど結婚してることを明示する表現法が他にない。なので、「妻さん」という言い方は一般的でないから、「嫁さん」と、「さん」をつけることで、最低限の丁寧さで妥協してきたわけです。さすがに「嫁」「妻」と呼び捨てることには、ためらいがありましたので。

ただ、他の方がどう呼ぼうとも、それはその方々の価値観ですし、私はそれを尊重します。私は私の価値観を尊重して欲しい。だから、人の価値観を、たとえそれが私と真逆のものであっても、尊重します。
彼女との間でも、ずっとそうやって、お互いの価値観に干渉せず、尊重し合って生きてきたのです。それは他の方にも同じです。だから、他の方が「妻」「嫁」と呼び捨てることをどうこう言うつもりは全くありません。

ちなみに彼女は私のことを、職場では「旦那」と呼び捨ててます(笑)
それは彼女の選択で、尊重されるものです。

本来は、付き合っている頃から呼んできた「彼女」という言い方を、ずっと維持すべきだったんですが、それを元に戻そうというわけです。パートナーと呼んでもいいんですけどね。

さて、上に書いた通り、私は、若い頃から、「年長者を敬え」と言われるのを鼻で笑って生きてきました。そこそこの年齢になって、今こそ、自分の主張してきた価値観を、行動で体現する時が来たわけです。
即ち、年長者の自分が、若い人を、敬い、尊重することができるか。

ということで、若い方々は、普通の日本的価値観に従い、年長者を敬ってくださるわけですが、それに対し、自分がどこまでへりくだることができるかは、自分自身の行動にかかっているわけです。

できているかどうかは、私に判断する資格がありません。ネットで関わっている若い方々が、どう思っているか、それが答えでしょう。私としては、精一杯の努力をしているつもりではありますが。

最後に。フィンランド語で、三人称単数は男女共通でhänのみです。heとsheの区別もありません。
言葉には歴史的背景があり、それは決して、一概に否定されるべきものではありません。でも、経緯はともかく、言葉が社会を決めてしまう面は、一面で、あります。英語の-essという女性形が嫌われたりするのも、それが理由です。
男女を問わないこの単語を、私はとても好ましく思っています。もっとも、英語でも、三人称複数になればtheyなんですけどね。フィンランド語でもheですが。

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