執筆のための肉体調教

 執筆ハックというものの効果は、個人によって効き目が異なると思っている。それ故に、僕個人にしか適応できなさそうなハックはあまり書かないで、「ホモサピエンス」という生き物全般に通用しそうなハックを書き出してみたい。キーワードは、「肉体の調教」だ。

 なお、この記事は「~せよ」と命令形で書かれているが、これは後で自分が読み返すためである。僕は怠惰なので、こうして過去の自分に叱咤激励されなければハックを発揮できない。不快な思いをさせるかもしれないが、受け入れて読んでいただけると幸いである。

1、環境を設定せよ

 太古の昔、受験勉強をしていた僕は、専門家の先生から「集中力」を発揮する手段をいくつか教わった。重要なのは「環境」への「慣れ」だという。当時、僕らに与えられていた勉強場所は主に「自分の教室」「自習室」「部室」「図書館」「自宅」だった。

「どの環境でもいいから一つ選んで、いつも同じ席で、同じ体勢で、同じルーティーンで勉強しなさい」と、先生は言った。これを3週間続けると習慣になるらしい。自分の教室以外で同じ席の確保は難しいから、そこはある程度柔軟に捉えた。また、朝は教室、夜は図書館、というように、時間別なら環境をいくつ選んでもいいことを明記しておく。

 とにかく、一定の環境に座ったら「勉強する」と脳が思い込むようにしろ、というのが重要なのである。

 これは勉強だけに限らずあらゆる集中力が必要な作業に応用できる考え方だ。小説を書く、と決めた時、「自宅」でも「喫茶店」でも「通勤の電車」でも、なんでもいいから環境を設定せよ。その環境は、意思がある限り毎日気軽に使いことができるとなお良い。たとえば「自宅から1時間かかるお気に入りの喫茶店」なんて遠すぎる。在宅ワーカーは「仕事部屋」と「くつろぐ部屋」を分けていたりするが、これも環境づくりのためなのだ。すぐ仕事ができる環境、あるいは通勤電車のように週五回程度は必ずそこに同じ時間に訪れる環境を探せ。

 ちなみに僕は万年貧乏ワンルーム暮らしなので、仕事場もくつろぐ場も同じデスクである。じゃあどうやって「環境」にしてるのか、というのは後で話す。喫茶店も試したことがあったが、自分には合わないと感じて2か月くらいで辞めてしまった。冬だったので単純に足が寒かったというのもある。執筆は全然動かないので、寒さが肉体を容易に蝕み、精神を蝕んでいった。

 話が逸れた。

 環境を見つけたら、「執筆しかできない」状態を強制的に作り出せ。Twitterを閉じて、インターネットを遮断せよ。執筆マシーン・ポメラのえらいところはインターネットを排除したところである。無限に更新されていくコンテンツなんて、執筆時は邪魔でしかない。僕は書こうと思ったら兎にも角にもクロームを閉じて執筆をする。調べたいことがあれば、その度に立ち上げて調べて閉じる(辞書使えよ)。

 とにかくインターネットは敵である。


2、音を支配せよ

 作業時に音楽を聴くか否か、という命題についても見ていこう。

 人間というのは面白くて、過集中の際には何の音も聞こえていないような状態になる。その状態に入るために、あえて音楽を使うのである。音を無くすために音を流す。何だか哲学的だが、やっていること自体はシンプルだ。音楽を流すなり何なりすることで、我々は「聴覚」から予想外の音を消し去っているのである。だから一般的に執筆時にお勧めとされているのは「カフェの環境音」だったり「雨の音」だったり「歌詞のないBGM」だったりする。いずれも落ち着いていて、突拍子のない音が突然始まることがない。

 同様の理由で「聞き慣れた楽曲」も有効だ。展開をすべて知っているから、予想外のことが起こらない。さらに言えば、日本語をメイン言語にしている人は日本語以外の曲だといいかもしれない。日本語はどうしても意味が入ってきてしまうが、外国語なら聞き流せる。この観点から僕が使っていたのは、oasisとかRed Hot Chili Peppersなどだった。大好きかつ英語なので、すべては心地よく遮断される。ただし、好きな曲になってしまうと口ずさむ危険性が捨てきれないので、やはり「聴こう」とは思わず、「流れている」程度に思っておくのが吉である。この音楽はあくまで「聴覚を麻痺させるための音」でしかないのだ。

 ちなみに僕個人は、集中力が増していくと音楽も煩わしくなってしまうので、自宅で執筆中はイヤホンだけして何も流していない。音が邪魔になるならこのように、耳栓的なもので音を遮断するだけでもかなり効果がある。音楽を流すと集中できないが、無音でも集中できない人は、耳栓(イヤホンでもいい)を試してみてほしい。

 音楽と無音。やっていることは同じで、「この音楽で集中」と条件付けするか、「無音になったら集中」と条件付けするかだ。無音の利点は、音楽で必ず発生する「はっと気が付いたら音を聴いている瞬間」みたいなものがないことだ。欠点は、常に集中していないと何かを聴きたくなってしまうことだろう。自宅で作業できない人が喫茶店に行ったり、通勤電車で執筆するのも、その場の環境だけでなく、「環境音」に身体が慣れているからだ。

 聴覚を支配し、突発的な音を排除せよ。音楽は聴くために流すのではなく、聴かないために流すのだ。


3、肉体を調教せよ

 我々人類は精神が我が物顔で肉体を支配しているように見えて、実生活においては9割以上精神は肉体の奴隷である。肉体に染みついた習慣というのは怖ろしく、精神はそこに疑問を抱けない。体調不良ですぐ乱れる精神くんなんて放っておいて、肉体の方を調教しよう。

 執筆する人間たちは、座りっぱなしである。30分に一度は立ってストレッチをするといい、とか聞くが、集中しているとそんなこと忘れてしまう。だからもう、思い出した時でいい。トイレに立つ時もでもいいし、執筆に詰まった時でもいい。立って、動いて、血流をよくするのだ。お前が書けないのは案外、血流が滞っているだけかもしれない。そうなったら、僕はたいがい熱いシャワーを浴びる。あるいは筋トレをすることもある。気分転換の意味もあるが、これはそんな精神的なものじゃない。血流だ。血流をよくしているのだ。とにかく血を巡らせろ。僕の執筆ハックは輸血パックだ。寒いなら部屋を暖めろ。お湯を沸かしてショウガを入れて飲め。僕は今これを書きながらスクワットをしている。最近は寒すぎて血流が常に不足している。巡れ、血液。熱き血潮よ。

 散歩に出るのも有効な手段だ。僕はよく、詰まったらスーパーに買い物に行く。歩くことで巡った血流を利用し、アイデアを整理しつつ続きの展開を考えるのだ。スーパーに行かずに、もうとにかく散歩を続けることもある。春や秋には気候も安定しておりおすすめだ。気分転換やアイデア出しの散歩は景色に集中した方がいいが、執筆のための散歩はむしろ脳内を創作で満たせ。景色など見るな。詰まっている展開を常に脳裏に浮かばせ、様々なアイデアを検討せよ。従って、散歩ルートもできれば慣れたルートで固定すると良いだろう。


4、脳を調教せよ

 さて、ここで僕が同じデスクを「くつろぐ用」と「仕事用」で切り替えている方法を書いていこう。これもまた肉体調教なのであるが、「くつろぐ用」の時は、ノートパソコン(あるいはデスクトップの画面)を少し遠くに置く。さらに、椅子と机の距離もわずかに広く取る。こうすると、キーボードがやや叩き辛くなり、逆に画面の大きさが適正になるので動画視聴などはしやすくなる。「仕事用」の場合は、画面を近くし、椅子も近くする。一番キーボードが打ちやすい距離になると、割と画面に近くて(30~40センチくらい)動画は見づらくなる。こうやって「画面の見やすさ(視覚)」と「タイピングのしやすさ(腕)」を調教して、調整しているのだ。

 さらに言えば、以前『ある作家の一日のスケジュール』という記事で書いたのだが(こっちも気になったら読んでみてね)、仕事をする日はそもそも最初から「仕事用」ではじめることにしている。くつろいでから「そろそろ仕事するか……」とやると僕は絶対に怠けるので、もう起きた瞬間から「今日は仕事するぞ!」と始めるのである。

 起きてトイレに行ってコーヒーを入れたら、PCをつける。普段はまずメールかTwitterを開くが、「今日は仕事するぞ!」の日(修羅場とも言う)は、ワード(ないしtxt)を絶対に最初に起動する。そして、一文でもいいから昨日の続きを書くのである。読み返すのは事前の段落程度にとどめ、頭から読み返したりはしない。とにかく、第一文を書くことにすべてを注ぐ。ここで書かれた一文は、ほぼ間違いなく修正されることになるので、内容は重要じゃない。とにかく「書き始めた!」と朝一番に自分の身体に教えてやるのである。読み返したりするのは後からできるが、書くのは最初にやってしまわないと我々はサボる。自分を信用するな。脳に「一文書いたんだから次も書かなきゃなんか気持ち悪いな」と錯覚させろ。脳を調教するのだ。

 一年間の連載で一番強力だった執筆ハックが、この「起床即一文」だった。怠惰な僕は自らにムチ打ち、TwitterやYouTubeをこの方法で破壊した。このハックが成功すれば、執筆以外のことをした際に「こんなことしてる場合じゃない!」と脳が勝手に執筆に戻ってくれる。

 最後に、執筆中のハックも紹介しておこう。文章に詰まって手が止まってしまった時の方法論の一つだ。

 僕は執筆中に続きの一文に困ると、ベッドにダイブして布団をかぶり目を閉じる。そして、そこまでの展開を脳裏に思い浮かべ、自然な流れを導こうとする。これはかなり有効で、執筆にのめり込みすぎて場面全体が見えなくなった脳に、一度大きな流れを思い出させることができる。この行為を肉体的な部分から見てみると、布団にもぐることで「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」を一気に遮断しているのだ。一切の暗闇で、自作だけを思い出すことができる。ある意味、過集中を無理やり作り出しているとも言える。


5、まとめ

 色々な方法を見てきたが、「肉体を環境に慣らす」というのは毎日の起床時間を一定にするのと同じ行為にあたる。毎朝8時に起きている人は、たまの休日にたっぷり寝ようとしても8時に一度目覚めてしまう。ある環境で書ける人は、その環境で何も書かないでいると気持ち悪くなってくるものだ。これは精神ではなく、肉体の調教の結果現れる症状なのだ。習慣は肉体に刻まれる。村上春樹が同じ時間に起きて走っているのも、肉体を調教しているのである(多分)。

 さあ、環境を設定し、五感を過集中のために支配し、血流を巡らせ、文章生成と向かい合おう。孤独で、苦しく、めげそうになる執筆という行為を、過集中によってむしろ楽しんでやろう。集中できた、という事実は、我々に快楽を与えてくれる。ホモサピエンスは単純な生き物だ。今回紹介してきた執筆ハックによって肉体を調教し、脆弱な精神くんを気持ちよくさせてやろう。そうすることで、もっと執筆したいという意欲が湧いてくるはずである。

 では、僕はこれから散歩に行きます。

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