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short story_失われた感覚の再構築

Orion_ Composed by Tokyo Sanjin

上手くやらねばならない。
手に入れるべきは成功のみであって、期待通りに正答率100%を返す。
まして他人に迷惑を掛けてはいけない。
望まれた通りを望み、そして叶えてきた。
僕は、そうやって灰色の歯車を回し続けていた。
歯車を加速させながら徐々に感覚を失っていた事にも気付かずに。


心が凍っている。
何をしても、満たされない。それどころか、何もしたくなくなっている。食べることすら。眠ることすら。
陽が昇り、永遠にも思える日中。自分以外の人は、猛烈な速度でキーボードを叩くか、オフィスの中を忙しなく動き回っている。
自分も何かしら、作業をしているように見えるよう、ネットワークに接続しウェブのウインドウを開く。数分ごとに新しいニュースを送り込んでくるサイト。延々とネットサーフィンをやってみても、何一つ興味も、関心も惹かない。一体、何時からこうなってしまったのだろう。

半年前、あまり乗り気ではなかったが、仕事のあるプロジェクトメンバーに抜擢された。昇進を約束されるようなものだと、同じ部署の同僚たちから羨まれた。
正直に言えば、僕は目の前にぶら下げられた昇給や昇進という餌に目が眩み、詰まらない仕事と知っていながらその役を引き受けた。実際のところ、ワンマンなリーダーの太鼓持ちをするのが僕の主たる業務だった。
とはいえ、そのプロジェクトは数か月に渡って僕の時間のありたけを消費し続けた。自分のアイディアを持つ必要のないプロジェクトだ。満足させるべきは顧客ではなく、プロジェクトリーダーだった。決まったプロトコルで文字と数字を入力し続け、大したこともない商品を、さも素晴らしい製品のようにプレゼンテーションをする。自分が詐欺師にも思えた。2週間に1度はミュンヘンへの出張と会議。解消することのない時差ぼけのためか、ベッドに入っても目が冴え、48時間一睡もできない日が度々あった。
半年間のプロジェクトは何が成果なのか判然としないまま、期限が来たということで終わった。そして、期待通り、同期入社の中では最も早い課長補佐への昇進も果たした。早速、次の新たしい仕事にとりかからねばならないはずが、全く身体も頭も動かない。


「すみません、課長。企画書は、まだできていません。」
「嘘だろう。そんなこと言って。課長補佐になって、もう中堅より上の立場だよ。他の人とは違うんだからね。ドラフトはできていて、何かまだ原稿に気に入らない部分があって完成しないっていうなら、あとはこっちで見るから、とにかく出して。」
「いや、まだドラフトにもなってなくて。」
「どうしたの。君だけは今まで一度も企画書提出をスキップしたこと無かったじゃない。前のプロジェクトの後で疲れちゃった?」
「そうかもしれません。」
「どうしたの。」
大げさに聞く上司の課長に
「実は、ちょっと体の調子が。」
と、本当はこれといった症状もなく、身体にも痛みも不都合も何も無いのに、自分でもこんな自分の状態を受け入れられない状況の中で、初めて嘘を言い、上司に弱音をこぼした。そんな自分に対する驚きと絶望で、上昇の一途だった自分のキャリアパスが終わってしまうという恐怖とこれまで仕事で築いてきた信頼が崩壊する悲しみに襲われた。思わず涙で声が詰まった。
「ちょ、ちょっとどうしたの?ちょっと会議室に行こう。話を聞こう。そうか、そうか。体調が悪いんだな。」
周りの目を気にし、課長は私を奥の会議室に連れて行った。

そこからは、管理職人事研修の一環のe-ラーニングにあったプロトコル通りの、一字一句違わぬ上司の話を聞いた。“部下をうつ病しないために_メンタルヘルスに問題が疑われる場合の対処_”。今の部署に来る前、IT部門に在籍していた時、そのオンラインe-ラーニングシステムを作ったのは僕だ。
その時、ようやく思い至った。
「自分は今、鬱状態になっているのか。これが鬱というものなのか。」
優秀な会社人である課長は、以後私には腫れ物に触るように、不自然なほどやさしく丁寧な言葉遣いになった。そして、ひとまず、1週間の休暇を取るように指示し、その間にできれば会社と契約している心療内科を受診してみるようにと言った。
「いや、君はさ、年休もまだ20日残ってるし、1,2週間くらいは休養するといいよ。前のプロジェクトも無事終わったとはいえ、あれはスケジュールがタイトできつかっただろうからね。それから考えよう。1,2週間で足りなければ、まだ延長できるから。こっちのことは心配いらないから。とにかく休もう。」
とうとう自分もあちら側、いやもう、こちら側というか、戦線離脱組のほうに来てしまったのか。
それほど仕事にストレスを感じていたわけではなかった。つまらない仕事も、淡々とやり遂げてきた。つまらない仕事にストレスを感じるくらいで鬱になるようでは、国民皆鬱だ。いや、その通りか。そんな皮肉にも、苦笑いすら浮かばない。
とうとう自分も、社会の流行病に罹ったわけだ。でも今は決まった投薬治療があるのだと、それでなんとかなるのだと、ウェブで見たことがある。そうだ、薬だ。僕には今、薬が必要だ。そうすれば元に戻れる。
課長に言われた通り、会社と契約しているという心療内科を受診することにした。
みどりクリニック
その看板を見つけ、ビルの外階段を上がりそのクリニックのドアを開けると、病院というイメージからほど遠い、マンションのモデルルームのリビングのような待合室。モーツアルトのBGM。ご自由に、という張り紙の傍には、紅茶やコーヒーのサーバー、そして一口菓子が並ぶ。
そして、そのリビングルームに並ぶ、数少なくない椅子は全て先客で埋まっていた。
小さな窓口に向かう。
「すみません。今日が初めてで、予約とかしていないんですけれど。」
「初診の方は、こちらにご記入ください。予約の無い方はお待ちいただきますがよろしいですか。」
「はい。」
「では、保険証をお願いします。今、混んでいますので少々お時間かかるかもしれません。」
どうせ、時間は幾らでもある。体よくオフィスから追い出されたのだ。よりによって、一番業務成績が良かった自分があの部署から外された。今頃、皆、ざまあみろと思っているだろう。次から次へと自虐的なイメージが溢れてくる。時に、それが瞬間的に怒りに変わったり、悲しみに変わったりするが、長くは続かない。
次から次へとクリニックには人が入ってくる。
それから2時間弱待ったところで、ようやく受付で渡された自分の番号を呼ばれた。
「どうぞ。それでは、どんな様子か、聞かせて下さい。」
医師はあらかじめ私が記入した初診の問診票に目を通している。
「なんというか、気力が湧かなくなった、としか言えないのですが。自覚は無かったのですが、私の上司は鬱だと思っているようです。そしてこちらの受診を勧められました。」
鬱状態であったとしても、自分は決して、精神を病んだ病人などとは違う。社会的にも成功している、名前を聞けば誰でも知っている大手電子メーカーの人間だ。理路整然と、論理的に医師に現在に至るまで、そして現在の状況を説明しようとした。
怖しく詰まらない人間の日記を音読しているようだった。
自分の状況を論理的に客観的に話せば話す程、馬鹿馬鹿しいほど当たり前の社会人として暮らしていたに過ぎない。特別なストレスは何もなかった、と言っているだけだ。そして、それは医師に対してのみならず、自分に対して言い聞かせているようにも思えた。しかし、医師はあるところで突然電子カルテに書き込みを始めた。
そして、その手を止め、言った。
「海外に行った時の時差とか、航空機での気圧の急激な変化と言うのはね、脳に対してものすごく大きなストレスになるんですよ。自覚はないとしてもね。頻繁な海外出張と言うのは、大変でしたね。」
私はまるで医師が試した口頭試験に見事合格したかのようだ。合格のハンコの押された薬の処方箋が出された。すぐにその足で、隣の薬局に向かった。アトピー、喘息の子供。インフルエンザの小学生。花粉症の主婦。高血圧の老婦。その次に、鬱病の私の順番が来た。
胃薬、抗うつ薬、整腸剤
お守りのように薬袋を肌身離さず持ち歩いた。朝夕食後だけに飲めばいい薬も、今自分を守ってくれるのはこの薬だけだと思うと、一時も手放せなかった。
家の中に閉じこもり、出られなくなるのでは、と想像していたが、実際はそうではなかった。
家の近くで、道路の工事が始まったのだ。
年度末はいつもこうだ。

職場を休んでも、騒音と振動にたまりかねて日中は家を出て、駅前の公園のベンチに座っていた。昼間から、外で陽に当っているなんて、いつ以来のことだろう。大学生の時以来かもしれない。
これではまるで、リストラされて行き場のない元サラリーマンか、ホームレスのようだ。いや、事実今、自分はそうなろうとしているのではないか。
一週間後にクリニックを再診した。
そしてクリニックの医師は一月の休養が必要という診断書をくれた。
結局、一週間の有給消化は病気休職となりひと月、そして2か月、2か月が3か月と伸びていった。
これで完全に仕事からはドロップアウトだ。仮に会社に戻ったとしても、元のポジションに戻るとこはないだろう。
そう言った悲観的な気分の落ち込みも、ひと月もすると、会社のことなどどうでもよくなっていた。鬱の症状としては、とめどなく噴き出していた怒りや悲しみは現れなくなり、今度はその形態を変え、完全な無感動無関心状態がやってきた。そうなることが快方に向かっていることを意味するのか、悪化を意味するのか、分からない。薬は時々量が変わることはあるが、処方され続けている。一般的にうつ病に多いと聞く自殺願望は、今の私には無い。死にたいとすら思わない。何の欲求もない。ただ空気を吸って、時々何かを口にしているだけだった。いつまで続くのか、続かずに野垂れ死ぬのか、もう何もかもどうでもよかった。

律儀にクリニックの予約日を違えずに2週に1回通う。そうしなければ薬が手に入らない。
そのクリニックの近くには現代美術館がある。平日の日中は人も少ない。
これまで現代美術などに興味が向いたことは全くなかったが、その日、何故だかふらっと入った。
常設展には僕の外には誰一人いない。
高い天井の大きな真っ白い箱の中に、ひとり小人か虫にでもなって迷い込んだようだ。
広大な美術館の中の展示は、曲がり角を行けども、行けども次の巨大な白い箱の部屋が続く。
いつ終わるとも知れない。
部屋ごとに、絵画も彫刻も、音と光のインスタレーションも、いろんなものが展示されている。広い空間の中に、ポンと作品が在る。ひとり、作品に向き合う。奇妙な世界、異次元だ。
どれもこれも、美術作品に対する感想を言えるとしたら、唯一、奇抜だ、としか言いようがない。これまで想像すらしたことのない奇妙奇天烈なものが次から次へと、自分の前に現れる。

ここでは、自分が作品を見ているのではなく、強烈な作品から自分が見られているのではないだろうか。
美術作品といえども、昔、学校の美術や工作で習ったような、整った、作品など皆無だ。もはやどの作品も作者の意図など分かるはずもない。理解不能な奇抜な刺激が続く。
自分が作品のひとつひとつを好きなのか、或いはそうではないのか、そんなことには一切関わらず、非現実に面しているという事実が私の奥にドスン、ドスン、と衝撃を与える。
グロテスクな作品、しかしそこに嫌悪が浮かぶのでもない。
可愛らしいのであろう作品、しかし安らぎも優しさも湧かない。
ただただ、非現実の感覚が僕を奇妙な世界に引きずり込む。変な夢を見ているようだ。感覚が、揺さぶられ、かき回されている。
作者の意図など、作品の意味など解るはずもない。知ろうとも思わない。ただ、衝撃だけを感じて受けるしかない。快も不快もない。しかし、作品の中を通り抜ける間、それまで一ミリも動くことの無かった感覚が強制的に、外部から揺すられ続けていた。

美術館の売店でぱらぱらとページをめくっただけの文庫本の中のひとつに、こちらから読み取ろうとする前に、言葉が自分の中に流れてくるものがあった。無感動無関心の日々の中では写真や文脈を理解しながら読むことが難しく雑誌すら手にしていなかった。意味が頭に入らず文章にシンクロできなかったのだが、この本は一体何なのだろう。

「スペインの宇宙食」_菊池成孔_。

ブレスや余白の無い、語り、が襲い掛かる。小説とも随筆ともつかない。面白い、面白くない、そんな判断こそできないが、好き嫌いを超越して、強烈なイメージが襲い掛かってくる。それは、私のイメージではない。作者のイメージだ。

ある種の芸術家の度を越えた精神的エネルギー、感性、強いイメージ。それは弱りきって動けなくなった鬱状態の心を強制的に揺さぶる。癒しなどという陳腐な甘やかしとは程遠い。一度弱ってしまった感覚は、決して元と同じには戻ることはない。
しかし、この外部から揺さぶりが、機能しなくなった古い感覚を破壊し、別の形で感情やイメージを新生させるのを助ける。
芸術、音楽、美術、文学、人間の度を越えて強い感情やイメージから生まれた作品には、その力がある。異常なほど強いエネルギーをもつ作品は、時として作者も予想しない、鑑賞者にも意識されない形で、感覚に影響を与えている。
新たに生まれる感覚がどんなものであろうと、
剥き出しになり、何ひとつ持っていない、その自分の底力を知った今、
自分こそ、誰よりも己を理解し頼りになる存在だ。
過去の自分が築いた精巧な歯車を破壊できるのは、自分だけだ。この手で破壊することだけが、終わりのない回転の渦から抜け出す唯一の道だ。
自分の感覚で感じたことだけが、全てだと信じられる。

今ならそう思える。

あれから随分経った。僕は以前の会社を辞めて、今はさほど仕事の忙しくない出版社で勤務している。ある日、編集に携わった雑誌の中に、強い印象のある絵画のページを見た。あの時、現代美術館で見た作品。忘れられない奈良美智の描いた包帯の少女の目。
ファンシーに見えて、まったくそうではないパステルカラーの絵。今、再び写真で見て、あの頃受けた衝撃を生々しく思い出す。
原色の強い絵。ルネッサンスの西洋絵画とは比べられない、プリミティブな手が描く全く異なる油彩画。横尾忠則のY字路。描かずにはいられなかったそのエネルギーがあの頃、そのまま僕の感覚を激しく揺すった。


何をして過ごしていたのかほとんど記憶が失われているあの鬱と休職の日々の中、奇妙な現代美術の作品はこんなにも鮮やかな記憶を刻んでいた。

あの時の会社に辞表を出しに行こうと、ようやく足が動いたのは、あの現代美術館に行った後しばらくしてからだった。

失われた人の感覚は、誰かの強烈なエネルギーを持つ感覚によって新生するのかもしれない。芸術家にはその意図はないだろう。他人の感覚への影響を意図して作られる作品もない。
ただ純粋に、溢れ出た強烈なエネルギーによって出来上がった芸術だけが成し得る現象なのだろう。

今ではそう思える。

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