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Short story_友哉

その香りがLUCIANO SOPRANI Soloという名前のオードトワレのものだとを知るのはずっと後のこと。

この香りが蘇らせる痛みを、今ではとても尊く感じる。

鋭い結晶になり突き刺さったままのあの日々の記憶。

____
確かに彼は、どうみても小学生には見えなかった。

「高校生と間違われたらしいよ」

「暴走族と喧嘩して素手で10人倒したらしい。」

クラスメイト達は出処の知れない噂をした。

誰もが大人へのステップを見上げて、そこに小さな足を掛けてみたいと藻掻いていたけれども、まだまだ成長中の彼等には届かない。

その上に、彼だけが一人で立っていた。

成長が早すぎた、容姿も、中身も。

本居(もとおり)友(ゆう)哉(や)
彼の名前。

私は小学校の6年生に上がったその春、転校をしていた。
父親が転勤族で転校も数度目の事。
もうその変化には慣れていたし、新学年のクラス再編によるクラスメイトのシャッフルに乗じ、私はうやむやにクラスに紛れ込んでしまおうとした。

実際、その土地の方言を使わないことを指摘されて、ようやく、そう言えば自分は転入してきたのだったと自覚するくらい、気にしていなかった。


けれども、転入生を迎えた側にとっては必ずしもそうではなかったようだ。

学年に転入生が来たとなれば、即座に行動に出るのは学級委員と不良グループだ。

学級委員の方は、先生からあらかじめ転入者情報がもたらされ、いろいろ教えてあげてね、友達になってあげてね、と依頼されていたのだろう。
始業式のある登校初日、私を見つけるなり学級委員と数人の女子が寄ってたかって教科書ほか授業で必要なものを教えてくれ、校内を隅々まで案内してくれた。

一方、不良グループの方はといえば、
新入りの外部分子が自分たちのグループに取り込めるのかどうか、値踏みするのに余念がなかった。

私服の小学生。整髪料で髪を固めたその出で立ちが、精いっぱいの不良グループの証。それくらいしか他の子と違っていない。

彼等は、自由時間の度に、私のいた教室の外に集まってきていた。

「ねね、あいつら、また今日も来てる。さっきからずっとこっち見てるよ。」
掃除時間が終わり、帰り支度をする女の子同士で帰宅後に外で遊ぶ約束をしていた時の事。
「なんか、小百合のほうばかり見てるよ。」
「え、何で私なの。」

私の方は、数人の男子の集団に用はない。
そこに目を向けはしなかったのだけれど、ひとり、目立つ人がいた。

ひとり足が長く、雑誌モデルのように垢抜けた格好をしている。教員ではない。

卒業生か、誰かのお兄さんでも来ているのかな。

私が不安そうな顔をしたのだろうか。先生とよく母子喧嘩のような言い合いをばかりしているお転婆な英子が、無駄な正義感をもって窓から身を乗り出して廊下に集まった彼らに言った。
「ねえ、何見てるのよ。」


「お前なんか見てねえよ。うるせえな。」

一番小柄な男子が声変わりもしていない高い声で言い返した。
その乱暴な返事が英子に火を点けた。

「なんなのよ、さっきから。あんたたちが集まると、なんか整髪料臭いのよ、あっち行ってよ。」
「何だとこの、ブス。」
英子とつっぱった少年たちが小競り合いをしている脇から、ひとり目立っていた彼が集団から逸れて教室の中にいた小柄な男子を掴まえる。

「あそこで女子たちと喋っているあの子、転入生か?名前は何ていうんだ?」
「え、あ、お、小野、確か、小百合、って、、、、いいます。」
気の毒な少年はうろたえながら答える。
「どこから来たのか、知ってるか。」
「あ、あ、東京。多分。そう言ってた。」

その時、彼、友哉と目が合った気がした。

すぐに先生が教室に入って来たので、友哉も不良グループの他の子たちも散って、教室の前から去って行った。


12歳を迎えたばかりの私たち。
いつしか、あれ程夢中だったゴム飛びや高鬼、缶蹴りをしなくなっていた。
昨日のテレビの音楽番組の話や、CDからダビングしたテープの貸し借り、タレントの話ばかりしてる。

中学受験をする子が学年の中には1、2人はいたけれど、将来の進路なんて、私たちにはまだまだ先のことだった

学校内で、特別目立つ本居友哉は、私と同じ時間だけ生きてきたことが疑われるほど、大人びていた。
そして、当時の地方都市で子供が大人びていることは、同時に素行不良を意味していた。


友哉は高校生の兄のバイクに乗り、タバコも吸うことは皆が知っていた。
とはいえ、出たくない授業はさぼっていたようだが、比較的学校には来ていた。
だから皆よく彼のことを知っていたし、その整った容姿も併せて学校の名物でもあった。

彼の素行問題が発覚する度に、ベテランの生徒指導教諭は、よく遅くまで放課後の教室で彼と話していた。
彼は1人の人間として扱われていた。
友哉にだけは、暴れまわり言うことを聞かない反抗的な他の子たちに対し頭ごなしに怒鳴るのとは違う対応をした。

彼は教員たちより背丈も高く、体つきも子供ではない。

廊下を走り回る他の子供たちを遮って止めるのと同じようには、彼の動きを止められない。

彼の存在は小学校の教諭の手には余る。

そんな友哉自身は、周囲の生徒に対して威圧的に振る舞うようなことはしない。

しかし、まだ声変わりもしない少年たちにとってその存在は教員よりも十分に威圧的で、容易に近づき難かった。

一方で、常に友哉と行動を共にする数名のグループがあった。
不用意に教員が友哉を責めるようなことをすれば、彼を慕うグループのメンバー全体の行動が荒れることを職員室は恐れた。

彼を取り巻くグループの子たちはいずれも、親や教師に反抗する事に愉しさを覚えたばかりで、自転車からバイクに乗り変えることこそが大人へのステップだと勘違いをしていた。


友哉を真似て、整髪料を使ってみたり、母親が選んだものではないスニーカーを自慢したりしている。

同じように、年上の姉をもち、色つきリップをつけてみたり、ヘアアイロンで髪をカールし、マニキュアをすることが、男子の鼓動を早めることを本能的に知って面白がる女の子数人もそのグループにはいた。

いずれにしても、友哉と友人であること、できれば親密な友人であることが、彼らのステータスだった。

日没後に集団で野外活動をする彼らは、地域では不良グループと呼ばれた。
駅や閉店後のスーパーの暗い駐車場が彼らの場所だった。
そこに煙草の吸殻の山を作れば、確かに彼らの素行は不良の定義そのままだ。

しかし、日中の校内でしか彼らと会わない普通の同級生にとっては、彼らは教師たちに対して精一杯突っ張っているクラスメートでしかなかった。

グループの中心の友哉は、授業に出れば妨害をするわけでもなく、授業中の教師からの回答指名にも、とぼけた回答やユーモアのある発言をしてクラスや先生を楽しませることにも貢献していた。


だから、その取り巻きグループメンバーも、不良と呼ばれていたものの、同級生に対しては理由なく害を加えることは無かった。
だから、クラスメートのほうも彼らを排除することはなかったし、一緒にサッカーをして遊んでいる事も多かった。

学校に来ない日も多いというのに、友哉は6年生になって生徒会役員に選出されて、たしか副会長だった。

夏休みを迎えるころ、地域でもかなり目立つようになった彼は、自分の小学校やその周辺のみならず、他校生を含む広域の不良集団にとっての中心になりつつあった。


地方の小さな街のこと。

何よりも、およそ堅気ではない彼の兄の仲間を通じ、彼には暴力団からのスカウトの声も少なくなかったという。

学校は警察と組んで彼をどうにか暴力団とは関わらせぬよう、他の生徒への影響力もあったことから生徒会役員にでも据えておいて、何とか学校に繋ぎとめようとしていたという。


桜の葉が茂りだし、濃い翳を揺らす。窓から風が流れ込む昼休み。

「小百合ちゃん、三つ編みは自分でやってるの?」
「うん、この前従妹のお姉さんに、片編み込みおしえてもらったの。」
「どうやるの?やって」
英子がポニーテールの髪を降ろして私の前の椅子に座ったのをきっかけに、他の子もやってやってとせがんで椅子を並べて髪結いの待ち客だ。

私は長く伸びた友人たちの髪の毛を片っ端から編み込んでいった。
まるで腕利きの髪結い職人になったようで気持ちよかった。

クラスの男子は珍しそうに、次々に髪をひっ詰められていく女子たちを見ていた。

顔にかかる髪をサイドで編み込むと、いつも砂ぼこりの中で太陽の匂いをさせている少女たちが少し色っぽく、特別な顔に見えた。

それをきっかけに、何故か、東京から来た転入生は都会の洗練文化を持っている、ということになったらしい。

男子も女子もいろんな子たちが、東京の話を聞きに、話しかけてくるようになった。

別に、前いた学校の事など思い出したくは無かった。

転出以前の東京の小学校では、私は、鈍臭く呑み込みが悪い、身体も小さく運動も苦手、勉学に関心のない家庭の子、だった。
通知表を渡してくれる時、先生がそう言った。

それが一転、転入先のこの地方の小学校では成績優秀、運動神経抜群の優等生になってしまった。
ひとつは単に、地域による学力の差がとても大きかったことがある。

それに加えて、たまたま初めての体育の授業で一番高い跳び箱を飛ぶのに成功し、初めての授業で先生の質問に答えられた。
それだけのことが、集団の中での私の印象を、”都会から来た洗練された優等生”仕立ててしまった。

数年前の転校ではその逆も経験している。
人の印象なんて、いい加減なもの。

そしてそのいい加減な、傍が抱く印象が、本人を変えてしまう。

身体も小さく、皆ができることが皆と同じスピードで出来なかった私は、転校をきっかけに突然聡明な優等生へと変えられてしまうと、それまでひどかった忘れ物が無くなった。

人が抱く自分の印象に、無意識に自分を合わせていたのかもしれない。
子供は、殆ど超能力のような繊細さで自分に向けられた視線やその意味を読み取れるものだ。

前の学校では皆の期待通りのだらしない自分を許せたが、「優等生」にされてしまうと、もう許すことが出来なくなった。


「小百合ちゃんは、お母さんまで美人でいいなあ。」
「そうかなあ。」
「だから小百合ちゃんも美人だし頭いいし。」

そう言う須美ちゃんの方がスラっとして長い黒髪がきれいで、よほど美人だ。

前の学校でほんの数か月前、朝登校すると歯磨き粉の滴で胸にシミを作っているのを先生から皆の前で揶揄われ、恥ずかしさと悔しさの中で泣くこともできず、作り笑いでおどけていた私を、須美ちゃんは知らないだけ。

「そんなあ。美人じゃないよ。私は足太いし、ほら、ここにニキビできてる。でもさ、3組のアイちゃんてほんと可愛いよね。今日もワンピース、可愛かったね。」
「アイちゃん?ああ、本居友哉と付き合ってるとか、ないとか。小百合も気を付けてよ。美人はすぐ不良に目を付けられるから。」

普通の小学生の間では、男子と女子が二人だけで一緒に下校するだけで付き合ってると言われる頃のこと。
恥ずかし気もなく男子と女子が腕を組んで歩くのは、アイちゃんを含む友哉のグループのメンバーだけだった。


そんな点でも、私にとっては友哉たちは別世界の住人だった。

アイちゃんか。

雑誌モデルにでもなりそうな大きな瞳。
サラサラの髪。
水商売をしているお姉さんが化粧を教えてくれるという。
おしゃれで可愛くて、同級生の女子も目が離せない。
友哉にはお似合いだ。

子供の小さな世界にも、ゴシップがある。
学校内で美人女優と美男俳優のカップルは分かりやすい。

特に、友哉のグループの動向はすぐに尾ひれを付けて噂になった。
グループ内でシャッフルされるカップルの消滅と誕生の噂。
「付き合ってるらしいよ。」の翌日には「あの二人けんかして、別れたらしいよ。」だ。

本当のことなど、誰も知りはしなかった。


玄関のドアが開き、買い物袋を盛大にガサガサ言わせながら、今日はPTAに行くと言っていた母が帰宅した。

リビングテーブルでテレビを見ていた私を見るなり、母は溜息を吐く。
「ちょっと、夕食の前にアイスなんか食べないでよ。」

なんで、こんな母親、うるさいおばさんのことを須美ちゃんは美人とか言うのだろう。

人の見る目は分からない。
「半分は残すからさ。ねえ今日ご飯何?」
「いいから、早く犬(ペースケ)の散歩してきて。」

夕食の時、「本居友哉って子、あなた知ってる?」と母が聞く。
「知ってるけど、誰だって知ってるよ。有名だよ。知らない人はいないんじゃない。」
「不良なの?」
「そう。でも生徒会副会長なの。」

母子家庭で、母親も殆ど家に帰らず、彼も時折家に帰らなくなる(学校はそれを家出と言っていたそうだ)。
仲間の家を転々とし、その家で食事などの面倒を見てもらっているのだと、PTAで仕入れた噂を母が自慢げに披露する。
「お兄さんが暴走族なんだって?」
「知らないよ、そんなことまでは。」
「とにかく、そう言う人たちとか、その仲間には近づいたりしないでね。」

彼には、大人へのステップを何が何でも飛び越えなければならない理由があった。こんな風に口うるさく面倒をみてくれる母親も父親も、家も、彼には無かった。

そんなことは子供ながらも皆、薄々気付いていた。
けれど誰もそれは触れはしない。

友哉は、目立つし、時に「不良=悪い生徒」だったけれど、
私は彼を嫌っている人はいなかったと思う。ただ大人びた彼に憧れて、自分とは違う彼を遠巻きに見ることが精いっぱいなのだ。

放課後、友達と植物や動物と遊ぶことだけが生き甲斐で、身体も中身も子供の私にも、廊下で時にすれ違う彼の整髪料と煙草の匂い、そして初めて男性から香った香水の香りは、別世界だった。


放課後、須美ちゃんとふざけ合いながらのおしゃべりが止まらず、少し遠回りになるけれど、須美ちゃんの家の方を回って帰る。
「じゃあね、バイバイ」と言って須美ちゃんの家の前で別れて、ひとり帰り道に戻った。


「小野、小百合!」
突然、遠くうしろから名前を呼ばれた。
太い男の声で、こんなふうにフルネームで呼び捨てされるなんて、
どうみても、良からぬ状況。

須美ちゃんちに戻って、逃げようか。
けれど、そうするためには、声のする方に行かねばならない。

こんな大人の男の声は、あってはならない、友哉の声だ。

須美ちゃんが言うように、私は不良の集団に目をつけられてしまったのか?
あのグループに引っ張り込まれるのだろうか。

私のような子供っぽい子はあの大人びた集団では、きっと前の学校でされたようにまた揶揄われて、強い子の下僕のように仕えさせたりすることになる。
そんなのはもうごめんだ。

聞こえぬふりをして、足早に過ぎ去ろうとした。

「小野、小百合~」
また呼ばれる。

振り返ることなく、早歩きを続ける。
さっきよりも友哉の声との距離が近づいている。

「待てよ、ちょっと。」
友哉が叫ぶ。

私は立ち止まった。
もしかすると、本当に何かの用があるのかも。

振り返ると、そこには友哉一人だけだった。
いつもの取り巻きはいない。

そして彼は大股で私に近づいてきた。
「何。」

「家は、こっちなのか?遠い?」
何となく、彼に自分の家を知られることが怖くなった。

もし家に帰る私が友哉と一緒に歩いていたら、母親に見られたりしたら面倒だ。
「あ、あの今日はちょっと寄るところがあって。隣町の従妹の家に、行くの。」
後先考えず咄嗟に、子供が吐ける精一杯の嘘だった。


「そうか、じゃあそこまで送るよ。」
「え。」

横に近づく彼からスッとする、香りがする。

香水をつけている。
私と同じ年齢のはずだが、それが信じられない。
「どうして?」

「あ、俺は本居友哉。もう知ってるかな? 小野は、転校生なんだろ?」
「そう。」

「この街には、もう慣れたか?」
黙ってうなずく。

なんだか、先生との会話みたい。
同級生なのに。

「でも私、校歌とかは、まだ全然、覚えられなくて。」
小さい声で言った。

転校の度、始業式で歌われる校歌を私はひとり歌えない。
高学年になればなるほど、周りが校歌を歌い慣れているから、私ひとり歌えないことが、普段は忘れているこの集団の中での私の異質性を暴く。

なぜそんな、誰にも言ったことのない小さな不安を、今、友哉に語ってしまっているのだろう。
よほど、緊張していたのかもしれない。
先生でも親でもない、大人の男の人と、初めて話しをしている気がした。

「校歌なんか、どうでもいいじゃないか。何、まじめに唄いたいわけ。」
揶揄われたようで、急に少し腹が立った。

私が彼と目を合わせて答えるには、首が疲れる程に見上げる必要があった。

「あの、何か私に用ですか?私を不良のグループに誘うの?」
友哉は足を止めた。

そして、聞こえないほどの声で呟いた。

「なんだよ、それ。」

友哉の整った顔は、今すぐにでもジャニーズ系アイドルとしてテレビ画面に見てもおかしくない。
その眉間には小さな皺が寄っていた。

彼を怒らせてしまったのだろうか。
まずい。
私は怖いことをしたのかも。


「やっぱり俺、今日は別のとこ行くわ。じゃあな。」

友哉は突然そう言って、元来た道を引き返していった。

何なのだろう。

何はともあれ、隣町の従妹の家に行くなどという唐突で稚拙な嘘が崩壊する前に、彼を追い払うことには成功した。

けれど。

彼の後ろ姿を見て、喉の奥に鈍く強い痛みが走った。

それが何だったのか、初めて経験する感情は、幼な過ぎた私には喉の痛みとしてしか捉えられなかった。

そこから家へ向かう道、緊張の中で嗅いだ彼の香水の匂いが、鼻腔の奥にずっと残っていた。

________
それから、友哉はいなくなった。

初めのうちは、いつもの家出だと思われていたけれど、彼の仲間の誰も、匿っているわけではなく本当に彼の居場所が分からないとなって、学校が警察に届け、話は大ごとになった。

警察が動いた以上、この地域の中ならば居場所はすぐに分かると思われた。

けれども、友哉は戻ってこなかった。

友哉がいないまま、私たちは卒業式を迎えていた。



__________
今、須美ちゃんは地元で結婚していて2児の母だ。
父の葬式で東京から帰省した私に会いに来てくれて、葬式に参列してくれただけでなく、火葬場にも一緒に来てくれた。

故人を悼むためというよりも、久々に私と会って、話したいことが積もるほどあったから火葬の待ち時間に付き合ってくれたというのが本当のところ。

「おばさんは、おじさんがいなくなって大丈夫?」
「うん、ありがとう。なんか旅行に行く予定をいっぱい立ててるよ。看護で疲れた心身を友達と旅行して癒すんだってさ。」
「そうかあ。」
「うちも母親のほうが足の骨折の後に身体が弱っちゃって、結構生活が色々大変になって来た。」
「私たち、もうそういう世代になっちゃったねえ。」

「そういえば、英子がねえ、離婚して実家戻ってるの。」
「英子!懐かしい。あんなに派手な結婚式したのに、そうだったんだ。そういえば去年から年賀状来てない。元気なのかなあ。」
「元気、元気、あれは変わらないよ。」

それから、須美ちゃんは昔仲の良かった子たちの近況情報を色々教えてくれた。


懐かしい話と新しい話に、火葬場なのに盛り上がってしまう。

「それからさ、ねえ、友哉って覚えてる?」

「ああ、覚えてる。いなくなっちゃったよね。卒業式の前の頃。」
「見つかったのよ。小百合は高校でまた東京の方に行っちゃったから知らないでしょ。今は、アイちゃんと結婚しててね、双子の子供もいて駅の近くで美容室やってるよ。アイちゃんのことは覚えているよね。」

「なんだあ、良かった。めでたしめでたしじゃない。」

須美ちゃんはあまり明るい顔をしない。
「そうでもないのよ。」
「なんで?」

「英子から聞いただけだから、だから私は詳しくは知らないよ。」
「うん。」
「友哉はね、あのいなくなった時、この街を出て東京に行ってたんだって。年齢ごまかして働いてたんだって。」
「なんか、彼ならありそうな話ね。」

何より、生きて出てきてよかった。

「それがね、」
「何?」
「なんか年齢がばれて補導されたんだけど、でもお母さんもお兄さんも引き取りに行かなくて、ずっと何年も東京の施設で暮らしてたんだって。」

「施設か。」
私は、壮絶であっただろう彼の少年時代を思った。

「それをアイちゃんが高校時代に知って、迎えに行って。」
「なんか、愛情深いね。小学校から長い恋愛だね、あの二人。羨ましいよ。」

「違うのよ。友哉は、その東京まで来たアイちゃんを追い返したらしいのよ。自分には他に好きな人がいるって。」
「あらまあ。」
「でも、友哉の方がその人に振られたらしく、ずっと忘れられないままなんだって。」

「ちょ、ちょっと、何でそんな彼のパーソナルな話がオープンになって、英子の耳にまで入って拡散されているの?」
「だってそれが、彼が12歳にしてひとりで東京に行く決断をさせた理由だったらしいの。英子はね、アイちゃんから相談されたんだって。高校同じだったんだよ、英子とアイちゃん。」

「そうやって色恋が動かしていく人生って、ちょっとロマンチックよね。」
私は勝手に、美しい映画のような場面を想像していた。

「あのねえ、小百合ちゃん。」
「なに。」
「その友哉の初恋の相手が、小百合ちゃんだったんだって。小百合ちゃん、友哉をフった?」

「ええええ、いつの話よ?私、友哉を降ってなんかないよ、それ以前に、そもそも告白すらされてないし。何その噂。英子が適当に話を作った?」

「私も初めそう思ったよ。英子が何か間違ってるのか、話を盛り上げようとして作ってるのかって。だって小百合ちゃん、あの頃、友哉と一緒に居たこともなかったし、話してるところも一度も見たこと無かったし。」
「ない、ない。ないよ。」
「だよね。そうだよね。友哉の初恋の人、振られて東京に出て行っちゃうほど好きだったのが小百合ちゃんって。ちょっと突飛な話だと思うよね。」

私は根も葉もない噂が、私の知らぬところで地元に広がっていることにぞっとした。
けれど、少し別の理由で動悸がした。
私と友哉が話をしているところを、須美ちゃんは見たことがないけれど、
私は一度だけ、友哉と話したことは、ある。

けれど。

「だって、あの頃、友哉はもうアイちゃんや、グループの女の子と付き合ってたのに、なんで、そこでまた、初恋とかっていう話なの?」

「いろんな子と、遊んで付き合っていた友哉が、初めて本気になった相手ってことじゃない。初めて本気で好きになった子。」

「アイちゃんとか他の子たちは、あれが遊びだったってこと?まあ、それは彼の自由ですけど。でも、そこで私は関係ないでしょう。」

そうね、と同意してくれたけれど、須美ちゃんは言い難そうに続けた。

「でもね、友哉が小百合に初恋って、英子の想像力が語らせたにしても、アイちゃんから聞いたっていいながらの嘘なら、もうちょっと誰もが信じそうな話を言えばいいのに、って思ったのと、それと、9割はただの噂として、1割は、私、本当かもとも思っているの。」
「え、、、なんで?」

須美ちゃんは少しだけ恨めしそうな眼を私に向けて言った。

「小百合ちゃんはあの頃、女の子たちと、あと、犬とか、兎ばっかりと遊んでいて、全然分かってないみたいだったけど、すごくモテてたんだよ。東京から来て、頭も顔もよくて、ちょっと神秘的で、すごく、なんていうか手が届かない美少女っていうか。」
「嘘だ。」
「そうね、神秘的美少女は、ちょっと言い過ぎたかな。でもモテてたのは本当よ。なのに、須美ちゃんは男子が話しかけても全然興味なさそうだったよね。兎に子供が生まれたとかで、餌の草取りに行かなきゃとか、そっちで頭が一杯だったようだった。」

「私がモテてた、ってそれ、30年前に教えてよ!おかげで私だけ、未だに独身じゃない。兎の草?、、何それ、どうでもいいじゃん。そうだったねえ。」
そう言ってふたりで笑った。

火葬場で大笑いする私たちに冷たい視線が集まる。笑いをかみ殺せば涙が出る。

「だってあの頃、私たち12歳だよ。モテるとかいっても、好きっていうこともなんだか、まだ幼稚で、全然、分かってなかったと思う。」
ひそひそ声でそう言った私に、須美が頷いた。

「あのさ、友哉だってね、全然そうは見えなかったけれど、彼だってね、あの時はこの世でたった12年しか生きてなかったんだよ。その時、ようやく本当の初恋が訪れたって、おかしくないよ。そして、もし街を出たくなるほど傷ついたのなら、彼だったら本当に出ていけたのかもね。」

___友哉は、家庭の問題や、家庭や学校が気に入らない仲間たちに取り巻かれて、不良と呼ばれるグループの中心にいたけれど、彼自身がそれを望んだのではなく、そこに居たかったわけでもなかった。
夜に出歩くのを習慣にしながらも、休みがちとはいえ学校にもそこそこ通って来ていた。
教師たちからの生徒会役員への推挙を甘んじて受けたのも、彼は、不良集団ではなく、本当はまっとうな小学生として生きたかったんじゃないかな。
勉強もして真っ直ぐ普通でいたかったんじゃないかな。

須美ちゃんの話を私は黙って聞き続けた。

___けれど、あまりに目立ってしまった容姿や彼をめぐるいろんな状況が、それを許さなかった。
だから、洗練されていてまっすぐで、東京から来た転入生で、自分に対する先入観をまだあまり持っていないと思った小百合のことが、好きだったんじゃないかな。
小百合にしてみれば、そうと知ったところで、或いはその時、告白されていたとしても、いい迷惑だったかもしれないけど。


彼の初恋。


須美ちゃんは子供たちが学校から帰ってくるからそろそろ帰るね、と言い、私たちは手を握り合ってまたね、元気でね、と言って別れた。


______今は、アイちゃんと結婚しててね、双子の子供もいて駅の近くで美容室やってるんだって。

よかった。本当によかった。

私は30年前に知った香りを、忘れることが出来ない。
あなたはあの頃の私には十分大人に見えたけれど、まだ精一杯大人に向かって無理な背伸びをしていた。軽い香りだから、本当の大人は着けないけれど、子供には手に入らない香り。

今、それを嗅いでみると、痛みとともにあの日の刹那の出来事が蘇る。

誰にとっても特別だったあなたが、私なんかに話しかけてくれた。
向き合えた時の胸の高鳴りと歓びを、認めることが出来ずに圧殺して、喉の奥に無理やり押し込み、呑み込んだ痛み。

私は、あなたがいなくなる直前にこの街で最後に話をした相手が私だったかもしれないことを、あなたを捜索していた学校にも誰にも伝えなかった。

怖かった。
無かったことにして、記憶から消し去ろうとしていた。

けれど今、香りを嗅いで思い出した。

私はあの時、震える程嬉しかった。


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