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東京残香_VII.銀座6丁目

その街に固有であって、他の街にはない空気。その独特の匂いが失われようとしている。止まらない均質化は複雑な人の感覚を無いものとする。奥行きを失った東京。コストという尺度で繰り広げられる、貧しくもない、豊かでもない、無味無臭の物欲文化は不可逆的に進む。「東京残香」は消えていく東京の街の香り描き残す試み。貴方の街の記憶は、どんな香りがしますか?
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L'Heure Bleue Guerlain


真っ直ぐに伸びた路 
柳並木もビルも 黒く切り抜かれた影 
墨色の夜闇が街を覆う前の一瞬
見上げた狭い空に宵の蒼
それはまるで透明な水の底を覗く様な揺らぎを湛えて輝いた それは私にとって永遠の銀座の姿だった 
もうそれに触れることはできない

空っ風が砂埃を舞い上げ、口元をコートの襟で覆う季節は過ぎた
季節は肌に湿度を感じる5月 
柳の若芽にも力が籠る
観光客、若者、子供、夫婦、喧噪、巨大な商業ビルに吸い込まれ吐き出される人 
中央通りの歩行者天国 
2019年 彩を失った雑踏
延々続く影のないアスファルトから逃れるように
陽の当たらない脇道へと逸れた 
影に慣れた目が捉えた風景は 誰もいないゴーストタウン
向こうから近づいては去って行くサイレンの音の重なり
 
遠く視界を遮る高速道路
呼吸が止まっている
この街はもう息をしていない
私の足から伸びていた影が薄れていく
少しずつ身体が透明になっていく

この土地にあった香りが薄れていくのを感じたのは20年以上も前のこと。
「分かるか、心というものは一人ひとりの中に在るものだが、意識というのはその時代に生きる者すべてに共有されている、生命の総体だ。」
そんな話を、歩きながら聞いた。
あの日、何故この街に来たのかを思い出すことはできない
それでも年に数回だけ、飯田橋の家から銀座の方向へと向かう都電に父と一緒に乗るのは少し緊張した。
父に連れられて向かうところは何処でも、父と以外には立ち入ることのできない場所ばかりだった。それは悪戯好きの年上の仲間たちと行く空き家探検よりももっとずっと、神秘的で不思議な魅力に満ちていた。
初めて父が私を銀座に連れて行ったのは、私がその街の名前が銀座という事だけを朧げに解することができた頃のことだ。その日のことを、僕は一生忘れないだろう。
鈴の音をさせて父がドアを押し開けると、嗅いだことのない匂いがドアそのものよりも厚く店内と外を隔てていた。ムッと襲ってきた匂いの正体はコンロの上の鉄鍋の上で燻る豆から立ち上る薄蒼い煙。カウンターの内側で白い服を着た店主がアルコールランプに火を点す。二人用の小さなテーブルと椅子。注文を取りに来た品の良い老女に、父は静かにコーヒーとミルクセーキと伝えた。僕は、カウンターの中で一体何が起こるのか今この目で確かめたく、たまらず父の許しを得て、席を立ち店主の前で背伸びをしてカウンター越しにすべてを眺めていた。ガラスの中でボコボコと湯が沸く。と、突然黒い液体が上に向かって噴出した。何とも言えない匂いが立ちこめる。甘いような苦いような、焦げているような、美味しいような、或いは嗅いではいけない毒の匂いなのかもしれない。そう思わせる程に黒く、不透明な液体は小さな取っ手付きの茶碗に注ぎ入れられ、テーブルに供された。父があまりにも美味しそうにそれを啜るので、僕は今でもこの世で最も美味しい奇跡の飲み物であると信じるミルクセーキを吸い込むストローから口を離した。
「父さん、それ、なあに?そんなに美味しいの?」
父は微笑みながら、もっと大きくなったら一人で来て注文してご覧、と言った。僕は父と一緒に連れてこられて、大人の仲間に入れてもらったものと思っていたところが、まだ子供扱いを受けているようで少し気分を害した。店を出ると父は、僕がショーウィンドウの中のピノキオに釘付けになった和光のビルを通り過ぎ、別のビルへ入った。

そして、今日もそのビルのエントランスの石段を上がっている。狭いが絨毯が敷かれた階段。そこを上った先にある特別な店のガラスのドアを開け、父は僕を先に通した。そこは、それほど広くはない店で少し薄暗い中、柔らかな照明の下に輝く一つ一つの商品は、いつも見たことがない物に溢れていた。一体何をするものなのかすらも分からない物ばかりだった。
それらは消費されていく物ではない、手にすれば物を語り始めるようなもの。父は一つ一つ説明してくれた。まるで博物館のような場所で、僕は爪鑢やパイプ磨き、携帯する靴箆や、純銀のマッチ入れというものの存在を知った。江戸の職人の手によるものか、または目利きが買い付けた舶来の小物だったりした。それらは生活に不可欠なものでは決してなかったが、
「こういったものを手に入れて愛用することは、毎日を消耗する繰り返しの時間とは違う物語の断片にしてくれるものだよ。」
父はそう言った。その意味を理解したのはもっと、コーヒーの味を知ってからさらにずっと後の事だったが。

その年初めて25度を超えたとラジオが伝える日中、母に言われた通り、菖蒲の花を庭から切り5月飾りの床の間に活けた。シャツの袖を捲り頬を伝った汗を拭った。今からこんなに暑いんじゃ、真夏はどうやって過ごすことになるのだろう。丁度父は水風呂から上がり、僕にもそうしてから出かける支度をするように言った。普段は夕食の後に入る風呂に昼間から入るのは奇妙な気もしたが、これからまた特別な街に行くのだ。そのためには禊が必要なのだろう。

その街に行く日、父は普段出勤する時に着ていくのとは違った洋服を母に用意させ、それを着た。そして、私にも父と比べるとはるかに小さかったが、とっておきの革の靴を履かせようとした。それは昨日の夜よく磨かされたものだった。しかし、今日出がけに足を入れてみて驚いた。前に履いた時には誂えたように足に合っていた靴なのに、足が入らない。無理矢理に足をねじ込んでみると踵から血がにじむほどの窮屈さだ。母は、もう何でもすぐ入らなくなるわねえ、と微笑みながら溜息を吐き、代わりに3番目の兄が中学に履いていく布の紐靴を出してくれた。

路面電車は満員に近い人を乗せ半蔵門を過ぎ、日比谷に着くと殆どの人を降ろした。洋装の女性もちらほらいる。肩から伸びる逞しい二の腕がつり革とハンカチを握りしめ、頻りに額の汗を押さえている。その隣で、ゆったりとした帯にふんわりと紬を着た女性は涼しげに風で袖を膨らませていた。その対照に見とれていたが、父に促され都電を降りる。傾きかけた陽射しに目を細める。頬に熱を感じる。深い濠の向こうには森がある。お濠と言えば城と天守閣が付き物のように思うのだが、江戸の城は外堀からは臨むことはできない。

松坂屋では新しい革の靴を買ってもらった。それはとても素敵な事だったけれど、もっと素敵なことは、陽が傾きかけて閉園が間近に迫っていたが、デパート屋上の動物園に駆け込めたことだった。駆け足で一周して、それから、赤や緑の羽をもった大きなオウムに言葉を教えようと試みた。そのうちにオウムが癇癪を起しトサカのような美しい飾り羽を頭頂に逆立てキーっと叫んだ。それを見ていた周りの子供たちも大はしゃぎで、笑い転げた。父は時計の修理の依頼を終えて、屋上に私を迎えに来た。


柳が揺れる路。宵の口。父だけが連れてきてくれる世界。
ふと、路地に涼しい風が吹き抜けた。日中の熱の籠った空気が入れ替わるようにやさしい空気に変わった。
「気持ちがいいね、父さん」
「どうだい、磯の匂いがしないか。」
確かに、微かだったが涼しい風は磯の香を含んでいた。
「海風だ。宵の口に吹くのだよ。」
ビルやデパートの並ぶ、その先は皇居がある。そんな街中に居て目にするわけではない東京湾を想った。陽が落ち、淡い青から深い碧へと移ろう空が、海風に揺らぎ煌めくようだった。

天麩羅屋の暖簾を潜り、ここからのことは母さんや兄さんたちには内緒だぞ、と私に言い含めて夜まで父と銀座で過ごしたのはたった一度の事。
私が生きた時間の中に輝くそのような一つか二つの記憶が、肉体を失った後の私を豊かな空気へと変え、100年近くこの土地を安寧のために風を通してきた。今その役目も終わろうとしている。



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