子育てをしているつもりが、私が育ててもらっていた
5月29日。今日で、娘が3歳になった。
おめでとう、娘。おめでとう、わたし。
この3年は本当にあっという間に過ぎ去った。人生でもっとも早くすぎた3年だった。(年のせい?)
そしてこの月日は、私を大きく変容させた。予測不可能な未来を楽しめるようになり、空白を味わえるようになった。ハレの日だけじゃなく、いつもの日常こそが楽しく、幸せなことを知った。
それは、私の人生を彩り豊かにしてくれ、心の奥がぎゅっとする昔の記憶さえも新たな物語として再編集してくれた。
【妊娠中】生命が宿り、自分の身体なのに自分のものじゃなくなる
本当に人の身体って、不思議。
お腹のなかに命が宿り、どんどん変化する身体。
とにかく眠い。寝ても寝ても眠い。大荒れの船に乗ってるのかなってくらいの乗物酔いのような気持ち悪さが24時間続く。足がつって夜中に飛び起きる。お腹がすくのに、いざ食べはじめると小鳥の食事くらいしか胃の中に入っていかない。それなのに、また2時間後には急激に空腹がやってきて、何かを口にいれないと動けなくなる。
妊娠10ヶ月頃にはお腹はさらに大きくなり、中からぐいんぐいんと蹴ってくる。このままエイリアンが腹を割って出してくるんじゃないかってくらい、ぐいんぐいん押してくる。
自分の身体なのに、自分ではコントロールできないことが増え、今まで経験したことのない変化が次々に起きる。(しかし、これはまだ序章にすぎない。)
【出産】「まだまだですね」と言われた、その日に産まれた
それは突然、やってきた。
午前中、定期検診に行くと「まだまだですね。予定通り10日後くらいかな。」と医師に言われ、のんきに家に帰ってお昼ごはん。
なんだか今日はにぎやかだなぁと外をのぞくと、隣の敷地でせんぐまきが始まるみたい。(新築の家や建物を建てるとき、一番高い棟木(むなぎ)が上がったことのお祝い。紅白餅や小銭、お菓子なんかをまき、建物が完成することを祈願する儀式を、私が住む宮崎では「せんぐまき」と言います。)
「わ〜〜〜!せんぐまき!なつかし〜〜〜!」
たまたま休日だった母を誘って、せんぐまきに行くことに。元気なキッズたちがたくさんいたので、後ろのほうに飛んできたらキャッチするぞおおおと待機。
安全第一、、と思っていたのだけれど、いざはじまると、なんだろね。周りの興奮に感化されるのかな。妊婦とは思えないスピーディーな動きで、落ちた餅をちゃっちゃと拾っては、ポケットにつめるだけつめてたよね。運動神経をどこかに置き忘れてきたような人生なのに、こういうときだけはアスリートの血が騒ぐんだよね。
たくさんお餅を拾って帰り、「まだつきたてやね。柔らかいお餅を醤油につけて食べるの美味しいよね。早速食べようか〜!」と話していたら、
あれ、、、おなか、、、
い、、、た、、、い、、、
ちょっとトイレにいってくるね。
あ、、れ、、
なんかもれてる。
も、、し、、や、、、
これが、破水ってやつ???
慌てて産婦人科に電話をする。
「(午前中みた感じだと)まだだと思うけど、念の為もう一度病院来れる?」ときかれ、すぐに病院へ。
「帰ってきてからお餅たべるね〜」と言い残して。
その6時間後、23時18分に産声をあげた。
ドラマのように「おんぎゃ〜〜〜!!!」と生まれるのかと思ったら、ちいさなちいさな声で「ふんにゃ〜」と誕生したので驚いた。そんな小動物のような声に似合わず、いかつい顔をしていた。目と目があった瞬間、涙が、鼻水が、汗が、身体から分泌する汁がとめどなく溢れた。
身体はくたくたに疲れているのに、脳が覚醒して眠りにつけない。それに加えて、私の場合は空腹すぎて眠るに眠れない。
夕方から分娩台にいたので夜ごはんは食べそびれているし、なんならつきたてのお餅を食べることで頭がいっぱいだった私は、お腹がすいてすいてこのままいくと背中とくっついちゃいそうだった。
夜勤で回ってきた看護師さんに「おなかが、、すいて、、ねむれないんです」と話すと、「夜勤の休憩で食べようとおもっていたコンビニおにぎりですけど、食べますか?」とわけてくれた。
ずいぶん昔、富士山の山小屋で、寒さのあまりがたがた震える身体を、THEシンプルなうどんが私の命を救ってくれた以上に、あったかいおにぎりだった。生き返った。(これから出産予定のお母さんには、しっかり食べてからお産にのぞむことをおすすめします。)
窓の外がうっすら明るくなったころ、ようやく眠りについた。ほんの少しだけ眠ったら、お母さんの仕事が待っていた。
【退院】小さな小さな宇宙人を、我が家に連れて帰る
「え!もう退院?!」
赤ちゃんの抱っこの仕方、おむつの替え方、母乳のあげ方、沐浴指導(お風呂の入れ方)を一通りさらりと教えてもらったら、退院。
さっきまで沐浴といったらガンジス川で清めることだとばっかり思っていた私が、たった1回しか練習していないのに。うっかり落としたら泣くどころの騒ぎじゃない、小さな小さな生命体と一緒に帰るの?
なにより、、、
腰が!!!!股が!!!!痛すぎるのに。
(韓国では「産後調理院」という産後の母子をケアする施設があるらしいので、もしまた産むような日がきたら利用したい。)
そんな自分のケアもままならないなか、引っ越したばかりのなにもない家で、新しい家族生活がスタートした。それはとっても柔らかくて、ふんわりあまい香りがして、それでいてちょっと緊張もある不思議な空間だった。
時間感覚も私たちの慣れ親しんでいるものと違うし、言葉も通じない。私にとって未知のことばかりの娘は、宇宙人のようだった。こんな可愛い宇宙人なら、火星に住む未来も悪くない。
【産褥期】食べて、おっぱいをあげて、寝て、寝て、また食べる
はい、ここで質問です。
「産褥期」なんと読むでしょう?
すぐに答えられた方は、お母さんか、産後のケアを共に頑張ったお父さん。はたまた医療関係者か、漢字検定1級の持ち主とかなんじゃないんですかね。(知らんけど)
私は子供を産むまで、この言葉と出会ったことはなく、なんと読むかも分からなかった。(答えは、「さんじょくき」。産後6〜8週間までの期間で、この期間は特に安静に過ごすことが大切とされている。)
産後から世界を変える「NPO法人マドレボニータ」 さんのおかげで、日本でも産後の重要性を理解する人が増えてきたと思うのだけれど、わたしも
・「産後の体は、事故後の体に例えるなら全治2ヶ月」
・「母乳を与える。それだけで、ラグビー1試合分の体力を消耗してしまう。」
というポスターのキャッチコピーを頭にいれて、ついつい動きたくなる身体を労わることに注力した。
横になっている時間が多いから、たっぷり本を読もうと楽しみにしていたものの、目がするするすべって文字が読めない。スマホやPCを開くと頭がいたくなっちゃう。
潔く、「私の任務は、この小さな生命体の命を守ることだけだ」と切り替え、他のことは手放した。(いや、これだけってさらりと言っちゃったけど、すんごい最重要任務じゃない?)
産後からすぐに発信ができるお母さんってすごいなって心底思うし、(わたしももっと細かに育児ログつけたかった!)すぐに仕事復帰してナイスバディなお母さんもいらっしゃって、きっと見えないところでとてつもない努力をしているんだろうなと思うけれど、ただただ赤ちゃんと横になっているだけでも充分すぎるほど責任を果たしている。
ずいぶん長い間、私はなにかをしないと誰かの役に立ってないんじゃないかと思い込んでいたけれど、何もしなくても、ただいるだけで喜びあえる関係性があることを知った。
毎日、同じように見えるけれど、毎日、変化する。観察をすればするほど、不思議で愛おしい宇宙人は、日に日に「人」になっていく。一緒にはじめてを経験するたびにどきどきして、人生がカラフルになっていく。少しずつ、着実に娘の世界が広がっていくのを隣で感じるのは、心が踊る瞬間の連続だ。
【今】毎日が、実験と笑いの連続。これからもたっぷり味わいつくそう
3歳の誕生日には、友人ファミリーと公園でピザパーティー。
公園がこんなに楽しいところだなんて、知らなかったよ。
お散歩がこんなに楽しいことだなんて、知らなかったよ。
3歳になる前日。
「もう明日で3歳だね」と言うと、
「めいちゃんは3歳になりたくないの。ずーっと2歳がいいんだ〜」と娘。
「どうしてずーっと2歳がいいの?」と尋ねると、
「だって2歳はとーっても楽しかったもん。」だって。
そっか!それは最高の人生だね。
きっとこれから、さらに楽しいこと、嬉しいこと、驚くことがあるよ。世界は広くて、深くて、美しいから。
これからもたくさん冒険しよう。感じよう。めいっぱいあなたの人生を味わいつくそう。
何者でもないわたしを、お母さんにしてくれたあなたに「ありがとう」の気持ちを込めて。
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