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偏り過ぎは、良い結果を招かない!?

『故に、将に五危あり。
必死は殺され、必生は虜にされ、忿速(ふんそく)は侮られ、廉潔(れんけつ)は辱しめられ、愛民は煩(わずさ)わさる。<
凡そ此の五者は、将の過ちにして、用兵の災いなり。
軍を覆し将を殺すは、必ず五危を以てす。察せざる可からざるなり。』「孫子の兵法 九変篇」)

通解は、こちらです。

偏り過ぎると相手に利用されやすい

軍という組織を率いる将軍が、ここで上げられた気質だと、敵軍にこの気質を利用され、結局は軍絶滅と将自身の死という結果に陥るから注意をしなさい、との指南である。

結局は、これら気質事体が偏り過ぎるので、相手が利用しやすいということだと思う。

何事も偏りすぎは、弊害でしかないのかもしれません。

『五危』は、現代でもあり得るか?

この『五危』の話は、この原文のままだと、あまりにも私達の身近な話と受け止められずらいと思います。

ですので、私達の身近なこととして想定してみます。

(1)「必死」は、「死ぬこと覚悟で戦う以外に自分の活用方法を見出せない」ということでしょうから、「視野が狭い」過ぎる、「目の前のことで頭が一杯」という意味になるでしょうから、「自分の存在価値を過小評価する」、「将来の変化に対応できない」ので、生き延びることができない。

(2)「必生」は、「生き延びる」ことを考えているので、「リスクを冒さない」という意味に通じると考えられます。それはそれで生き方としては良いのかもしれませんが、「リスクを冒す」ことが出来る誰かに雇われることになる。

(3)「忿速(ふんそく)」は、場合によっては相手に「大義名分」を与える為に利用されるかもしれません。戦争をするかどうかを判断基準である『五事七計』。その内の『道』がこの「大義名分」です。そのことを弁えて行動する必要があります。

(4)「廉潔(れんけつ)」だと、周囲の「程度の低い悪い口」など相手にもしませんが、そのことを逆に利用され、悪口を言う人間が高く評価され、周囲から低い評価を受ける結果になるかもしれません。

(5)「愛民」。「民」は、私達の立場で言えば、「従業員・部下」ということができるでしょう。愛するがあまりに、信頼をし過ぎて、結果苦労する羽目に合う。このように受け止めることができます。

ま と め

『五危』を招く気質の悪い面を気を付けましょう、という意です。これはあくまでも悪い面であり、これらの気質は必ず「悪」である訳ではありません。「悪」と成らざるを得ない「縁」に触れて『五危』を招くのです。

このことを弁えることと、同時に自身の欠点に対して助言をしてくれる人を傍に置くことも大事だと感じました。ご参考までに。

孫子の兵法 一覧

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