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移住してきて思うこと

移住してきて4ヶ月が経った。
あっという間なような、まだ4ヶ月かというような。そんな感じ。

こちらにきて思うこと。
それはまさに自分達で生活している、と思う。

以前は私の母も近くに住んでいたし、旦那の実家も車で30分ほどのところだったから、何かあればすぐ頼ることが出来た。
子どもが熱出したから病院連れていくのに1人を見てて欲しいとか、一緒にご飯食べるだの、一緒に買い物行くだの。ちょっと夫婦で出かけるから、なんて時に預かってもらったり。

それは頼る部分反面、一緒にいた方が良いだろうという勝手な娘にエゴだったのだと思うけど。だけどそうすることで、私と子ども、子どもたちと祖母たち、というバランスをとっていたのかも、とも思う。

移住してきて、それが一切なくなった。
連絡を取ることもなかなかなくなって、もちろん全くないわけじゃないし、気にはなっているけれど、やはり自分達の生活を整える方が優先になるわけで、後回しになりがちだった。

後回しになりがちな、そういった家族との関わりが、生活していく中でものすごく大きかったんだなぁと、冒頭のような出来事が起こると身に沁みる。

仕事に行けなければ私は収入がその分なくなるし、子どもと向き合わなくてはいけない。それは病気じゃなくてもそう。普段の生活の中でも、1人になりたいー!と思っても、それが叶うのは仕事の行きと帰りの車の中だけ。

だけど、それでも私たち夫婦にとって、というか私にとっては着実にきちんと生きているという気がする。家族で生きる、生活するということが手にとって形が見えてきたような気がする。

以前は今よりももっと、自分なんだけど他人の時間を過ごしているような自分を客観的に見ているような、そんな感覚だった。
移住してきて、いざ自分達がしっかりしなくてはいけないという思いからか、どこか自分軸をしっかり持たなくては、とさらに思ったように思う。
自分がなかったわけではないし、むしろ突き通してきた方だと思うけれど、それは内面に隠してきたつもりで、それが今は外に出して、私は私、と思っていることを伝えたいと思うようになっている。
知っている人からすれば、全然隠してないよ、と思うかもしれないけども、今はもっと自分らしく生きていると思う。

仕事、子育て、家族の生活をすすめ、滞らないようにする時、その家の周りが穏やかで暖かくて静かだからこそなのかもしれない。
今まで気が付かなかった生活を自分達で作っていくという感覚が、移住してきて少しだけわかった気がする。