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頑張れ

頑張れ!頑張れ!頑張れ!

「頑張れ」は万能な言葉じゃないことをほとんどの人は知らない。厳密に言えば気づいていない。

それが人を押し上げる言葉になると思い込み、人を押しつぶす言葉になりうることに思いいたることもない。


他人は所詮「他人」の枠をでることはない。周りの人間はどこまでいっても「周りの人間」でしかなくて、自分の思考を一寸のずれもなく理解してくれることはない。

だから、自分を信じなければならないのだけれど、その自分という枠の輪郭がぼやけてくることがある。何をするべきなの。何を求められてるの。何がしたいの。何を頑張ればいいの。
自分のことがわからなくて、どこに向かっているのかも分からなくて、どうしようもなく怖くなる時がある。

自分の意志で頑張り始めたはずなのに、走り続けている間に、周りの期待や応援、自分自身のプライドや意地が無理やり背中を押してきて、気づけば自分の意志は消えている。
ただ、周りの「頑張って」や「期待してる」などの歓声が力になって体を動かす。
その体に意志はない。


いつまで?どこまで?何を?どうやって頑張ればいいの?
歓声を送ってくださる皆様にそうやって質問をしたところで返ってこない。
だって所詮他人だから。そこまで考えちゃいない。


自分を信じる。自分の意志を貫く。
それが一番の理想だと思う。でも、そんなの難しい。

もし他人にすがっていいのなら、他人という枠を飛び越えて、心のうちまで入ってくれる人がいるのなら、言ってほしい言葉は決まっている。


「頑張ったね」

これだけでいいから。




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この記事を読んでいる人に、今頑張っている人はいるだろうか。
もしいたのなら申し訳なく思う。この記事にあなたを励ます力はない。
僕はあなたにとっての他人で、どうやってもあなたの心のうちには入っていかれない。
辛いならやめたらいいよ。時には逃げたっていいんだよ。そんな無責任なことが言える甲斐性もない。
ただ、僕は「頑張れ」と言われて素直に喜べなかった理由を言語化したかっただけ。
「頑張れ」がどんな人にも励みになる言葉であるという概念が間違っていることを確かめたかっただけ。
でも、それは「頑張れ」を使わないということではない。
「頑張れ」に背中を押す力があることは事実だからだ。

もし、あなたにあと少し、もう一歩を踏み出す意志があるのなら、あなたの力になるために「他人」である僕が勇気を持って言おう。

頑張れ


そして、改めて言うが、頑張れに悪い効果があることを僕は知っている。
さっきの「頑張れ」は全員に言ったわけじゃない。
もっと頑張るか、一旦休むか、別のことに取り組むか。
これから先どうするか、それはあなたの意志に赴くままにすればいい。
僕から確実に言えることは一つだけ。

ここまで、よく頑張ったね


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