はじめに

元々自分にとって韓国は食文化、音楽文化、映像文化etc..通俗的な文化は興味の対象ではなかった。例えばほんの10年前には今ほど韓国料理屋なんてないわけで、たまに行く焼肉屋でビビンバを頼むくらいだった。高田馬場に住んでいる時期があったので、歩いてでも行けた新大久保には大きめのペットショップがあったのでそこに何度か行ったくらいで、例の立ち並ぶグッズショップはあの街の少しいかがわしい雰囲気を際立たせるドラマのセットのようなものだった。足を踏み入れようなどとは考えたこともない。

初めてポップカルチャーの文脈で韓国を意識したのは冬ソナ。
ぺヨンジュンとチェジウ。最初に極端にデフォルメされたヨン様になりきった芸人からイメージを植え付けられてしまったので、観てみようとは思わない。
なにしろ、当時は高校生だったし、アメリカやイギリスの音楽に夢中だった。アメリカのインディー映画や、香港映画を観てた。
韓国ドラマはおばさんが見るもので、10代にとってはレトロ。モダンな要素は何もない。

大分時間が経って、2009年くらい。
少女時代とSHINeeをyoutubeで観る。自分が普段聴いてる欧米の音楽に似てる、ところもあるけど、全く違う。
低音が粒だっていて、リズムはファンキー。ディスコの要素もあるけど、あえていなたさを出すような余裕さえ感じた。それでも当時のR&Bの流行にも目配せされたものだった。
でもAメロ~Bメロ~サビがあって、そんなフォーマットは欧米のブラックミュージックでは見られない。BPMも大分速い。
しかも文句の付け所のない美男美女が一糸乱れぬダンスを踊りながら魅せてくれる。
これは自分にとって新しい音楽体験だった。
確実に日本では生まれない音楽だった。
というか、韓国でしか生まれない音楽だった。
曲の構成や和音の使い方は日本に影響を受けたものだが、プロダクションや表現のやり方がまったく異なっていた。
90年代以降の日本の大衆曲は小室哲哉〜avex系のプログレッシブテクノやトランス系に画一化されていて、極端に低音軽視のプロダクションが続いていた。それはカラオケ文化隆盛の中で、カラオケボックスのスピーカーにマッチした音作りとして非常にリーズナブルではあったのかもしれない。

2000年代には90年代からの金大中大統領の融和政策による日本の文化開放があり、韓国で日本のアニメ、映画、音楽の販売や公開が全面解禁された。
公に解禁されたとはいえ、以前から海賊版は出回っていたし、インターネットの普及とともに日本文化に触れることは容易く、その規制は実質的に意味をなしていたとは言えないだろう。
ある文化人は「韓国と日本の文化の競争は、子供大人の戦いのようなものだ」と日本文化流入による韓国のエンターテインメントの凋落を危惧したが、それは杞憂だった。
2002年の日韓ワールドカップに向けて、両国が積極的な交流へと舵を切ったことも追い風となっただろう。
韓国の文化がこれまでにない程日本で多く触れられるようになり、僕のように韓国に興味のない層にまで耳に入ってくるようになったのだ。
BOAが日本でデビューしたのは2001年。
冬のソナタの日本初放送は2003年。

そこからのK-POPの勢いは、右肩下がりの日本国内の音楽業界をあっという間に席巻した。その勢いはこの文章を読む方の多くが知っていると思うので割愛するが、2010年代のavexの経営を支えていたのは、紛れもなくBIGBANGであり、東方神起であり、少女時代だ。

そして今、僕がキーボードを叩いている2022年6月。
BTSは日本のみならず、はたまたアジアに留まることなく、世界で一番有名なバンドになった。
さらに、コーチェラのメインステージでは韓国のアーティストが何人も出た。
88risingと韓国芸能事務所の政治的な糸引き?全く問題にならないだろう。メインステージのトリに出るようになったらそんなノイズは聞こえなくなる。
BTSが出るなら、ありえない話ではない。

もちろん世界的に成功している韓国のアーティストはほんの一握りだ。
しかし、韓国では若い世代を積極的にプロデューサーとして起用してチャンスを与えたり、メディアもSHOW ME THE MONEYや高等ラッパーといった、サバイバル方式の番組の流行により、新たな才能を探すことに抜け目がない。k-popにもアイドルのサバイバル番組は数多くあるが、別の文脈でもスターシステムが確立されている。

一方で、韓国の芸能システム自体がまだ歴史が浅く、契約期間中の労働問題や、賃金の支払い不備など、問題をあげればキリがない。
しかし今、間違いなく最初のピークを迎えているK-pop(韓国の音楽産業をあえてこの言葉で一括りにする)が世界でどのような未来を描いていくのか。
アジアの国から発信された音楽が世界の舞台で大きな存在感を発揮している、初めての機会に僕たちは生きている。
その過程を自分なりの考察を交えながら文章に残していきたいと思ったのである。

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