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138億年の時間の中で☆第7話☆「違いと対話」


 こどもの時に読んだ本の中で印象にのこっていることの一つに、昆虫には花の色が見えていない、蜜がある周辺部分だけ色が見えている、というのがあります。事実はちょっと違うようなんですが、人間と同じようにミツバチは色を認識していないことは間違いないようです。
私にとっては「赤い花」であってもミツバチにとっては「無色」。
そんなことを聞くと、自分には赤く見えている花は本当は何色なんだろう?って思いますよね。(「実は物理的世界には色がついてない」と別の本には書いてありました。)

 太陽の色を表す時にフランス人は黄色で、日本人は赤であるとも聞いたことがあります。
 コバルトブルーの海もあれば群青色と表現される海もある。
 能面の顔は笑っているのか、果たして泣いているのか。見る角度によって表現しているものが正反対になります。

全部、誰かの主観。

 人によって、見る角度によって、場面によって、一緒にいる人によって、「真実」なんてものは、どうやらいくらでも変化してしまうらしい。
 このような違いは日常生活の中から世界情勢の分断に至るまで、あらゆる場面で見られますが、だったら「真実」なんて実はどこにもないんじゃない?
私たちは対象物や相手によって「これが真実としよう」と合意しているに過ぎないんじゃないかな、きっと。そんなことを思ってしまいます。

 じゃあ、「合意」が成立しない場合はどうしよう??

 リンゴは、赤でしょ?ぜったい赤だよ! 
 いや、黄色だって!僕には黄色にしか見えない!

 ほら。すぐに喧嘩勃発!
 いやですねー。怒鳴りあうのも、殴り合うのも、罵りあうのも、ましてや戦争状態なんて。

 対立を最小限に抑えるには、やっぱり「話し合い」しか今のところ思いつきません。
 対話なんです。
 英語で言えばdialogue。
conversationでもなくdiscussionでもなくdebateでもない。(この違い、結構大事な気がします。)

 まず、相手と自分はものの見え方が全然違うことを認識する。

 私はリンゴが赤いと思う。
 僕は黄色く見える。
 へえ、私と君とでは見え方が違うんだね。

 じゃあ、私は君の立っているところから見てみるよ。
 うん、こっちに来てみて。
 本当だ。黄色っぽく見えるかも。
 ね、そうでしょ。
 次は僕も君と同じところから見てみるよ。
 うん、そうしてみて。
 あっ!赤く見える!僕からは黄色しか見えてなかったけど、赤いほうが多いかも。

 じゃあ、本当は何色なんだろう。もう一度よく見てみようよ。
 あ、よく見たら赤色の中に黄色も混ざっているかも。
 僕は黄緑色もみつけたよ。
 ということは、リンゴは赤が多いけど、部分的には黄色で黄緑色もあるんだね。
 そうだね。これで私たちはリンゴの色について「合意」できたね!!

 こんな風にできたらいいなあ、って思うのです。

 誰にとってもかわいいワンちゃんでも長男にとってはオオカミに見えるのかもしれない。
 私にとっては楽しい運動会でも、次男にとっては苦行のようなイベントかもしれない。

 親子といえど、別々の生き物。異なった感覚、考え方、環境にいること。
違いがある可能性や事実に、まず気が付いて受け入れること。相手の見え方、感じ方に寄り添うこと。そのあとに、親子で「合意」ができればいいですね。(現実には親が寄り添うことの方が多いと思いますが)

そんなふうな心の余裕ができれば、子どもとの時間はほんのちょっと穏やかに楽しく豊なものになると思います。


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