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138億年の時間の中で☆第14話☆「美しいと感じるのはなぜ?」


 冬休みのある日、王子動物園に長男と二人で行ってきました。リーズナブルな入場料で、思いついたタイミングで行ける身近な動物園は、学校や幼稚園の遠足以外でも頻繁に訪れている憩いの場です。


 長男がハトの群れや暗い空間を怖がり、落ち着ついて楽しむことが難しかった時もありましたが、彼なりに恐怖対象から逃げることを覚え、こちらもどう対応すれば良いのかわかってきてから何度も行くことで、長男もゆっくりと動物の観察ができるようになりました。幸せな経験です。


 私はといえば、なぜなのか、動物に「美しさ」を感じるようになりました。アムールトラやクロヒョウのしなやかな筋肉と曲線美。アシカやペンギンの優美な泳ぐ様、サルの軽やかな跳躍力、キリンの柄や蛇の模様、骨格標本の規則的な並び方にすら、ついついウットリと綺麗だなあと見とれてしまいます。


ふと、なぜ、人は「美しい」と感じるんだろう??と疑問が湧いてきました。動物に関心が少ない人がトラの模様を見て、特に何も思わないとよということがあっても、「かっこ悪い」と感じることはあまりないと思います。同様に、花に興味がない人がサザンカやシクラメンを見て「きたない」と感じたり、沈む夕日に寂しさを感じたとしても、「気持ち悪い」と思う人はいないんじゃないかな。


 多分、世界中の人々が「美しさ」を感じる対象はだいたい同じなのではないでしょうか。美しいと感じることは、対象に愛情を感じていることだし、関心があることでもあります。
五感の快・不快は健康や生存に直結しているのでわかりやすいのですが、美しさを感じることは直接的なメリットはわかりにくいけど、それでも何らかの理由があるのだとしたら。

 最近、友人がベストセラー本「嫌われる勇気」の読書会を開いていたのですが、本書の中で「共同体感覚」=social interestについて記述があります。
家庭、学校、地域社会を超えて、国家、人類、宇宙全体を含めた過去や未来を包括する「共同体」という感覚。家族や友人、挨拶を交わすご近所さんとは、お互いを知っていて合う回数が多いので、自然と愛情のようなものは抱きやすいのですが、元は遠く離れたアフリカに生息するライオンなんかは、日常生活の中でリアルにみる事はないし、動物園でもアクリル板一枚超えたら大けが、あるいは命すら危険にさらされる恐怖でしかないのに、のっそりと歩く様すら「かっこいい」と思ってしまうから不思議です。
恐竜の迫力にあこがれる子も多いし、古代遺跡を前にしてなんともいえぬ感動と興奮を覚えるのも不思議なものです。


「共同体感覚」が何なのか、今いちピンとこないのが正直なところです。でも、動物や自然に美しさや尊さを感じること、それは、一人の名もなき人間も大自然の一部であり、永い過去から続く地球上の森羅万象と繋のがりを感じることで、「共同体感覚」を理解する一歩になるのではないかな、と思いました。


読書会のあと、友人が「身の回りの生きとし生けるものに美しさを感じることができれば、孤独は怖いことではないのかも」と言っていました。なるほど、と感心しながら空を見上げると、月の輝きが「大丈夫だよ」と言ってくれる気がして、イライラしたり泣いたりするカッコ悪い自分でも生きてていいんだ、と思えてくるのです。

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