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転売屋は性格が悪くないと続かない仕事

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現在、家電メーカーの店員によって暴露された悪質な転売屋に対して批判の声が殺到している。

こう言った批判は今に始まったことではなく、チケット転売問題など何度も話題に上がってきたことだ。

転売屋への世間の目は厳しい。

記事にあるように店側が明らかに断っている所から無理やり買い占めるようなやり方は確かに悪質に思える。

ただ、転売を生業にしている人間からすれば法律に反していない範囲で自分の利益を最大化する行為の何が悪い?という話なのだろう。

そのため、転売で稼ぎたいのならこうした批判に晒されるということを理解したうえで全く気にすることなく利潤を追求するメンタルが必要になる。

個人がやっているために転売行為は目立ちやすく、批判を浴びせる的となる。小売店などもそうだが、ビジネスの基本は安く仕入れて高く売るということにある。山の上でペットボトルの水を買おうとすれば500円など普通ではあり得ないくらい高くなっているのが分かりやすい例だ。

PCR検査が拡大したことによって陽性者の数が増えたというだけなら心配は少ないが、重症化人数が増えたことによる医療崩壊にはやはり注意が必要になる。

圧倒的に人口が多いからね。5Gなどのテクノロジーの進歩は確実に日本が遅れを取る。すなわち、中国で使われている技術や流行を考えると日本の相対的未来を見ることができる。

現状を見る限り、今後は需要に対する看護師の数は減ることが予想される。そうなると、期待が高まってくるのは医療ITの分野で効率化やAIによる代替でいかに人間の負担を減らすかという事になりそうだ。

確かに感染は拡大したかもしれないが、実際に感染した260人全員が軽症で済んだということもまた事実。つまりはただの風邪の蔓延となんら変わらない。

今日の1日

起床したのは14時過ぎごろ。安定の昼過ぎ。

食事回数が減ってしまったことは問題だ。

夜なんとなく熱がありそうと思って測ったら37.2度だった。自分の体温が今何度くらいかってのは昔から測らなくてもだいたい把握している。朝も黄色いタンが出たし風邪気味か?だがこれというほど体の調子は悪くない。むしろ良い。なので、多分一時的なヤツで杞憂だ。長年の経験でわかる。

徐々に活動の力が湧いてきている。机に向かって考え事をする時間が増えた。考えるだけじゃ何も変わらんけどね(^^;;

あと今日は将棋を久々にやった。前までは「2分切れ負け」という将棋という名のスポーツをやっていた。そして負けても自分の対局を振り返ることもしない。ただ、勝った負けたで喜ぶだけ。そこに成長はない。スポーツで言えば適当に遊び程度にやるって感じ。

なので、趣味でもどうせなら強くなるために真剣にやろうと思い立った。10分切れ負けで、対局した後はソフトでどこが良くてどこが悪かったかを分析する。これが成長に必要なことのはず。

多分この数ヶ月で俺は怠けることに慣れてしまっている。続けているのはこのマガジンくらいだ。

情報のインプットとアウトプットをただ繰り返してもそれを生かさなければ無意味。

いきなり大きく変わるのは難しいと思う。昨日しなかったことを今日やる。その意識。

PDCAを回せば俺のような凡人でも実現できる事は沢山あるはずだ。

短期的な目標立てとそれに必要な行動とその分析。それをやっていく。「世界一優しい問題解決の授業」という本を参考にする。

自分語り-人の顔色を伺うヤツ-

そういえば友人が書いているnoteの小説を読んだ。やっぱりその友人は凄い。

よく小説家や漫画家では「登場人物の心にまで踏み込んだ作品」とか「心情への踏み込みが浅い」みたいなことが言われている気がするが、それを理解した気がした。

その筆者が内面の心理のどこまで迫るのかって所にドキドキする。ちゃんと文章を読むと、確かにそういう踏み込みの強弱が見えてくる気がする。「あ、ここはちょっと浅くとどめたな」とか「おぉーここまで言うか」みたいな。人が「本当に心の底で思っていることを素直に口に出す」ってことは多分簡単じゃない。誰かに対する配慮、本心を人にバレたくない、「これを言ったらみんなに嫌われるかも」、、

多くの人はそんなことを考えながら自分の発言が無意識のうちに周りに合わせたものになっている。

小説などではそういう内面といかに正直に向き合うかが人の心を掴む、ような気がする。

ちなみにだが、私は心で思ったことをそのまま口に出してしまう方だ。

口が悪いとも人に言われるし、捻くれ者と言われたり、小学一年生の担任のコメントには「君は一言多い」と書かれていた。つまり、空気が読めないとこがあるんだろうね。

まぁ、場を乱したり、人を無闇に傷つけたりってことはしてないつもりだけど、、

自分からすると、俺が捻くれ者なのではなく、本当にそうだと思ったことを(主に良くないこと)理論立てて説明してしまうからそう言われるのだろう。その分、人を称賛したり、凄いと言ったり、料理を美味いと褒めるなどのプラスな言葉もほとんど嘘偽りが無い。

誰かをおだてようとか、社交辞令で良いこと言おうとかも思わない。

そういう意味では楽というか、聞く側もある意味安心できるんじゃ無いかなと思う。八方美人の人間だったらすぐ「何を取り繕ってんだ」とその心中を邪推されかねないしね。

人の一見悪い部分やコンプレックスは文脈によっては武器だ。例えば石原さとみのタラコ唇。最初あれはコンプレックスだと揶揄されることもあったみたい。けど、今は立派な武器。むしろコンプレックスと呼ばれることよりなんの特徴もない方が武器もないってことなんだ。

コンプレックス、悪いと思われる部分は全部前向きに捉えれば良い。それを活かす文脈で考えれば良い。

以上。

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